2026年7月24日:『A Bibliography of A. Conan Doyle』(Richard Lancelyn Green & John Michael Gibson 著)が届く

シャーロッキアン日記

シャーロッキアン研究ガイドの記事(シャーロキアン研究を支える書誌の世界――De Waalから現代まで)では、Ronald Burt De Waalの書誌三部作を軸に、シャーロキアン書誌の歴史を整理しました。その記事の中で、De Waalとは異なる軸に位置する「もう一つの重要な書誌」としてご紹介したのが、Richard Lancelyn GreenとJohn Michael Gibsonによる 『A Bibliography of A. Conan Doyle 』でした。

あの記事を書いた時点では手元になかったこの本が、先日ようやく届きました。今回はこの本を実際に手にした感想も含めて、あらためてご紹介したいと思います。

 

De Waalとは何が違うのか

上述の記事の整理を引き継pぐ形で確認しておきます。De Waalの書誌が記録したのは「ホームズをめぐる文化的広がり」つまり批評・翻訳・パスティーシュ・映像・団体活動など、ホームズという存在が生み出したあらゆる二次的産物です。

Green & Gibsonが記録したのはまったく異なるものです。コナン・ドイルという著者の著作そのもの。ホームズ作品に限らず、どの作品がいつどの雑誌に初出し、どの出版社から単行本として刊行され、英版と米版ではどちらが先で何が違うか、改訂の際にテキストはどう変わったか。Green & Gibsonが行ったのは、単なる出版目録ではなく、書誌学(bibliography)と本文研究(textual bibliography)の成果を結合した、ドイル作品の標準的な記述書誌です。

同じ「書誌」という名を持ちながら、この二冊は書誌学の異なる系譜に属しています。

 

書物として

届いたのは2000年3月刊行のHudson House版(First revised edition)です。1983年Clarendon Press版(xvi + 712ページ)を基礎に、追補・訂正(Addenda and Corrigenda)を加えた増補改訂版で、全726ページに拡張されています。郵便で受け取った際に、ずっしりと重く、何が届いたのかと驚くほど。

バーガンディ(深い赤みがかった茶)の布装に金文字のスパイン、そして薄いグレーのダストカバーが付いた、いかにも英国の学術書らしい重厚な(重さも含めて)一冊です。Graham Greeneによる序文は1983年の初版から引き継がれています。

発行はHudson House(c/o The Mysterious Bookshop, New York)。ISBN: 0-9677500-0-8。奥付には著作権表示として1983・1984・1999年の三年が記されており、長い年月をかけて積み重ねられた改訂の履歴が刻まれています。

初版はOxford University PressのSoho Bibliographiesシリーズの第23巻として刊行されました。文学者・作家の詳細書誌を扱うこのシリーズに加わったということは、学術的文脈においてドイルの著作が「正式に研究に値する対象」として認定された、という意味を持っています。Oxfort University Pressからは、ホームズ作品に文学的な観点から註を付した全集も刊行されており(現在改訂作業中)、こちらもドイル作品が文学として扱われるに値する根拠となっています。

 

内容の構成

本書はドイル自身の著作だけでなく、関連資料・伝記資料まで含めた総合書誌となっており、以下の五つのセクションに分かれています。

A. 小説・フィクション作品(Works of Fiction)

ホームズ正典60作品はもちろん、チャレンジャー教授シリーズ、ブリガディア・ジェラードもの、歴史小説など、ドイルが書いたすべてのフィクションを収録します。各作品について初出雑誌・初出日・初版本の刊行情報・版次の異同が詳細に記録されています。

B. その他の著作(Miscellaneous Works)

心霊主義に関する著作、ボーア戦争に関するノンフィクション、回顧録など、フィクション以外の単行本著作。

C. 小品(Minor Contributions)

序文・寄稿文・短いエッセイなど、単行本化されなかった小品類。ドイルの筆が意外なところにも及んでいたことを示す項目が並びます。

D. 定期刊行物・新聞への寄稿(Periodical and Newspaper Contributions)

The Strand Magazine への掲載はもちろん、他誌・新聞への寄稿を網羅。正典の初出確認という用途でここを参照することになります。

E. 伝記的資料(Biographical Sources)

主要な伝記・回想録・雑誌記事など、ドイル研究の基礎となる参考文献のリスト。ドイル自身の著作の範囲を超えた、研究者のための案内として機能します。

 

各主要項目には単なる書誌データだけでなく、出版経緯や版本間の相違についての解説的なノートが付されており、これが本書をただの目録以上のものにしています。古書目録に「per Green & Gibson」という記載を見かけることがありますが、それはこの書誌が版本識別において半ば標準として機能しているためです。

なお奥付の謝辞には、The Universal Sherlock Holmes(De Waalの三部作の集大成)の刊行母体であるメトロポリタン・トロント図書館のCameron Hollyer氏と同館スタッフへの謝辞が記されています。シャーロキアン書誌の世界における人と知識のつながりを示す一節として、目に留まりました。また版本研究の専門家William B. Todd氏とAnn Bowden氏(Tauchnitz International Editions in English, 1988の編者)の名も挙げられており、本書の学術的な裏付けの厚さが伝わります。

 

著者について

Richard Lancelyn Green(1953〜2004)

Cheshire州Bebington生まれ。父は英国の著名な児童文学者・神話研究者Roger Lancelyn Greenで、C. S. Lewisとも親交のあった文人家系に育ちました。少年期からホームズ関連の収集を始め、SHSL(ロンドン・シャーロック・ホームズ協会)に早くから参加し、後に会長(1996〜99年)も務めた人物です。University College, Oxfordで英文学を修め、コナン・ドイルとホームズの世界的第一人者として広く認められていました。

この書誌の刊行後、Lancelyn Greenはドイルの三巻本伝記執筆に着手します。しかし2004年3月27日、ロンドンの自宅で50歳の生涯を閉じました。彼の死は、Christie’sで予定されていたドイル関連資料の競売問題と時期が重なったことから大きな議論を呼びました。検死では自殺と判断されましたが、その経緯については現在も多く語られています。David Grannが The New Yorker(2004年12月)に「Mysterious Circumstances」と題して詳細に報じ、Graham Mooreの小説 The Sherlockian(2010年)もこの死に着想を得ています。

残念ながら、私がSHSLに入会したのは、彼が逝去されてから2年後でしたのでお会いする機会はありませんでした。

Lancelyn Greenの膨大なコレクションは遺言によってポーツマス市に寄贈され、現在はポーツマス市立図書館と博物館でArthur Conan Doyle Collectionとして公開・保存されています。コナン・ドイルがポーツマスで医師として勤務し、ホームズを生み出した場所であるという歴史的つながりからの選択でした。

ご本人にはお会いできませんでしたが、博物館のコレクションには2007年に初訪問し、昨年2025年はSHSLのイベントのポーツマス旅行に合流し、図書館、博物館ともにじっくりと拝見させていただくことができました。

John Michael Gibson(生没年の情報無し)

英国の文芸批評家・著述家。Lancelyn Greenとの共同作業においてテキスト分析と版本研究の面で中心的な役割を担いました。

 

シャーロキアン研究者にとっての実用

稀覯本を扱う場面ではこの書誌が直接役に立ちます。たとえば 『The Adventures of Sherlock Holmes』(1892年10月14日、George Newnes刊、初版10,000部)の初版を評価するとき、版・刷・状態(edition / issue / state)の識別はGreen & Gibsonに当たることで行えます。英版が米版(Harper & Brothers、翌15日刊)に一日先行すること、初版第一刷の識別ポイントとして表紙の街路標識に名前がない点(there is no name on the street sign)が詳細に記録されています。また、装丁についての情報も書かれているため、どのような色をしているのか、といったことも分かります。

De Waalの書誌との関係でいえば、両者は補完関係にあります。「この作品は世界でどう受容されたか」を調べるにはDe Waal、「この作品の刊行経緯と版本の異同」を確認するにはGreen & Gibson、といった使い分けが想定されます。

 

おわりに

手元に届いた本を開くと、各項目のノートがただの記録ではなく、著者たちの深い知識と愛着を感じさせるものであることが伝わってきます。Lancelyn Greenが生涯をかけてドイル研究に向き合い続けたことが、行間に滲んでいるように感じます。

絶版であり重版の予定もないため、良品が出回っているうちに確保しておく価値は十分あります。2026年現在、古書市場では状態によりおおむね100ドル前後から入手可能です(AbeBooks等で検索できます)。シャーロキアン研究を本格的に続けるつもりであれば、De Waalの書誌とともに手元に置きたい一冊です。

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