今朝の午前4時、ロンドン・シャーロック・ホームズ協会の創立75周年行事の一つ、講演会「75 years of the Festival of Britain and the Sherlock Holmes Society of London」にZoomで参加しました。ロンドンでは11月3日の夜7時開始なので、日本からは早朝の参加です。毎度のことながら、夜中に起きるのがつらいのですが、今日は奇跡的に3時45分に目が覚めました。登壇者は、デザイナーのエイブラム・ゲイムズの娘であるナオミ・ゲイムズ氏と、協会のドミニク・エドワーズ氏です。
フェスティバル・オブ・ブリテンの「ブリタニア」
1951年のフェスティバル・オブ・ブリテンは、1851年の大博覧会から100年を記念して開かれた国家的な催しです。その公式シンボルとして、ブリタニアの横顔と赤・白・青の星形を組み合わせた意匠(Festival Star)を作ったのが、エイブラム・ゲイムズでした。
前半はナオミ氏が、父の生い立ちからシンボル制作までを語りました。着想の出発点は、子どものポケットにあったペニー硬貨のブリタニア像だったそうです。最初の案は「フランスのマリアンヌに似ている」「戦争ポスターのようだ」と委員会から指摘され、もっと祝祭的にと求められました。そこで、庭で母親が洗濯物を干す様子から、旗飾りの列を加える発想を得たといいます。ゲイムズの信条とされる「最大限の意味を最小限の手段で」という言葉も紹介されました。
シンボルはポスターや冊子だけでなく、ビスケット缶やパンなどの日用品にまで広がりました。病院で患者から摘出された600個以上の胆石を並べてシンボルを形作った医師がいた、という逸話も披露されました。
ホームズ展と協会の誕生
後半はドミニク氏が、フェスティバルと協会のつながりを説明しました。フェスティバルの一環として、セント・マリルボン区がシャーロック・ホームズ展を企画しました。当初は反対もありましたが、展示は実現し、5万人を超える来場者を集めます。協会は、この展示の準備をめぐる動きの中で、1951年1月に設立されました。展示会の招待状にも、ゲイムズのフェスティバル・シンボルが使われていたそうです。
質疑では、1951年の展示に由来する資料を収めた、パブ「シャーロック・ホームズ」の展示室が話題になりました。管理に携わるロジャーさんとジーンさんによれば、30〜35年にわたって手入れを続けてきて、いまは開設以来でも特に良い状態にあるとのことです。お二人には去年のポーツマスのイベントでお会いできて、このあたりのことも伺うことができました。
75周年記念エンブレムができるまで
協会の75周年記念エンブレムは、このフェスティバル・シンボルを翻案したものです。ドミニク氏がゲイムズの遺族に連絡して趣旨を説明したところ、ナオミ氏から許諾を得て、デザインの検討にも加わってもらえたそうです。ナオミ氏からは、年号の数字をオリジナルの様式に近づけることや、輪郭と曲線の特徴を損なわないことについて助言がありました。
ゲイムズは、写真館を営んでいた父親から受け継いだエアブラシでヘルメットに陰影をつけていました。ドミニク氏はこの効果をデジタルで再現することも考えましたが、手描きの質感を中途半端に真似ることになるとして見送ったそうです。関連するビジュアルでは、ゲイムズが手がけたという1954年刊『The Exploits of Sherlock Holmes』のジャケットを参考にした、という話もありました。
ナオミ氏は、フェスティバル・シンボルの制作に焦点を当てた小規模な展示を12月1日から開く予定だそうで、詳細はエイブラム・ゲイムズの公式サイトで案内されるとのことでした。講演の動画は、YouTubeで公開される予定です。
今年のSHSLの75周年でモチーフとして使われているシンボルの由来が聞けたのは収穫でした。記念品もいくつか買っていて、そこにもこのシンボルがありましたのですっきりした気持ちです。
参考
- The Sherlock Holmes Society of London「75 years of the Festival of Britain and the Sherlock Holmes Society of London」(イベント告知)
- The Sherlock Holmes Society of London 公式サイト
- The National Archives「The Festival of Britain 1951」
- Naomi Games, A Symbol for the Festival: Abram Games and the Festival of Britain, Capital Transport, 2011.

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