2026年8月30日:ホームズ対ワトスン、法廷にて ― マイケル・ニューマンの異色パスティーシュ

シャーロッキアン日記

先日、Academiaのアラートメールに、興味深い題名の作品が届きました。「The Trial of Dr John Watson, Probably The Last Sherlock Holmes Story」。マイケル・ニューマンという人が2017年に発表した、ワトスン一人称のパスティーシュです。脚注も参考文献もない、純然たるフィクションですが、法廷劇の形を借りて科学と物語の関係を問う、哲学的な色合いの濃い一篇でもあります。(ネタバレを含みますのでご留意ください)

珍しい公開のされ方

この手のシャーロキアン系の文章は、たとえばBSJ(Baker Street Journal)のように会員制の団体の機関誌で、誰でも自由に読めるわけではないことが多いものです。もっともBSJの場合、1946年の創刊号から2011年までを収めたeBSJというデジタルアーカイブが存在し、過去号の一部は無料で閲覧できるので、「完全に非公開」というわけではありません。Sherlock Holmes Journalも同様です。それでも今回のニューマン氏の作品が、Academia上で誰でも読める形で公開されていたのは、少し珍しい巡り合わせに感じました。Academiaのプロフィール欄には独立研究者(independent researcher)とありますが、作品本文には著者の現実の所属先などは一切書かれておらず、どういう経緯でここに置かれたのかまでは分かりません。とにかく、こういう形で偶然出会えたこと自体が、面白い巡り合わせだと感じます。

「ホームズ対ワトスン」という法廷劇

物語の概要ですが、晩年、養蜂に専念していたはずのホームズが、インペリアル・カレッジの法律顧問を通じてワトスンを訴えたというもの。理由は、自分は科学的な犯罪捜査法の確立者であるのに、ワトスンの通俗的な冒険譚のせいで、その学術的な功績が正当に評価されていない、というものです。これは実際に正典でもホームズがワトソンに言っているシーンがありました。ホームズ側の証人としてT.H.ハクスリーが登場し、科学こそが真実を守る唯一の手段だと熱弁をふるいます。一方、ワトスン側はH.G.ウェルズを証人に立て、インペリアル・カレッジの科学教育そのものを鋭く批判させます。

ここまでなら、科学と物語、客観と主観というよくある対立構図に思えます。ところが物語は思わぬ方向に転がっていきます。ワトスン側が突然、チェスタトンの生んだ探偵ブラウン神父を証人として呼び、ホームズがかつて誤った推理で無実の人間を犯人扱いした事例を暴露するのです。ホームズの推理が絶対に正しいわけではない、という指摘は、読んでいて胸がざわつく場面です。

デュパンの介入と、法廷の外の陰謀

そしてもう一つのねじれとして、法廷劇の裏側で「モリアーティ・ジュニア」を名乗る人物が暗躍しており、ワトスンとウェルズを巻き込んだ陰謀が進行しています。これを察知して動くのが、あのオーギュスト・デュパンです。ポーの生んだ元祖名探偵が、インペリアル・カレッジの学生団体「H.G.ウェルズ・ソサエティ」を巻き込みながら爆破計画を阻止しようとする展開は、法廷劇というより一種のスリラーの様相を帯びてきます。最終的にデュパンをきっかけにホームズとワトスンは和解し、ホームズはインペリアル・カレッジの法科学センターの教授に、ワトスンの著作は「フィクション」として棚に並ぶことになる、という結末を迎えます。

史実との重なり

作中でウェルズがハクスリーの教え子として、かつて学んだインペリアル(旧ノーマル・スクール・オブ・サイエンス)を内側から批判する、という配役は史実に沿ったものです。ウェルズは18歳でこの学校に入学し、ハクスリーのもとで生物学を学んでいますし、ハクスリー自身も1881年に同校のDeanを務めています。ニューマン氏がウェルズを単なる著名人ゲストではなく「かつての内部生」として登場させているのは、なかなか芸が細かいと感じました。なお作中に出てくる「法科学センター」は、あくまで物語上の設定で、現実のインペリアル・カレッジに同名の機関があるわけではありません。

読みながら考えたこと

単なるパスティーシュとして読むこともできますが、私にはむしろ、科学と物語り(ナラティブ)の関係を問う哲学的なエッセイのように読めました。何を「真実」とし、誰がそれを語る権利を持つのか。これは、正典とパスティーシュ、一次資料と二次的な語りの境界線を日頃から意識している身として、他人事とは思えないテーマです。ホームズを実在の人物として扱うGameの枠組みで読むと少し違和感もありますが、それも含めて、こういう変わり種に出会えるのがシャーロキアン研究の面白いところだと、あらためて感じました。

出典

  • Michael Newman, “The Trial of Dr John Watson, Probably The Last Sherlock Holmes Story” (July 2017), Academia.edu

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