先日のニュースまとめ記事で、Netflixのスペイン発リミテッドシリーズ『ホームズ最後の事件』(原題El problema final)が9月25日から配信開始されることをお伝えしました。あのときは「元ホームズ俳優が現実の事件を解決する」というメタフィクショナルな設定のご紹介にとどめていたのですが、原作となったArturo Pérez-Reverteの同名小説を掘ってみたところ、なかなか興味深い事実がいくつも見つかりましたので、今回はその深掘りをお届けします。
本名はOrmond Basil、芸名はHopalong Basil
原作小説の主人公は、本名をOrmond Basil、芸名をHopalong Basilといいます。作中では、この芸名を1935年に亡くなったある劇場エージェントから与えられたとされ、25年間にわたって映画のポスターやクレジットに(しばしば共演者より大きな文字で)載り続けた名前だ、と本人が振り返る場面があります。ただし本人はこの芸名にどこか馴染めず、地中海を望む自宅の扉の真鍮の表札には、本名のOrmond Basilの方を刻んでいる、という設定になっています。
つまり「Hopalong Basil」は姓名ではなく、あくまで俳優としての通称・芸名であり、正式な本名は「Ormond Basil」です。前回のニュース記事、そして多くの海外メディアが単に「Basil」とだけ紹介しているのは、この芸名(あるいはその一部)を指していることになります。
Basil Rathboneへの、名と姓を入れ替えた献辞
原作小説の公式紹介や複数の書評は、この人物設定を、1939年から1946年にかけて14本の映画でシャーロック・ホームズを演じた俳優Basil Rathboneへの「明白なウィンク(guiño)」だと明言しています。パイプ・ルーペ・鹿撃ち帽といった、いまなお流通するホームズ像の視覚的定着に大きく貢献した、あの俳優です。
ここで面白いのは名前の作り方です。Basil Rathboneでは「Basil」はファーストネームですが、作中人物Ormond Basilでは同じ「Basil」が姓になっています。名と姓の位置をずらしながらも、読者には即座にラスボーンを連想させる、控えめだけれど明確な仕掛けだと言えるでしょう。
「Ormond」は、もう一つのシャーロキアン的仕掛けか
もう一点、気になるのが本名の方の「Ormond」です。これは、アーサー・コナン・ドイルが『緋色の研究』の執筆準備段階で、後のワトスンに当たる人物に与えていた名、Ormond Sackerを思い起こさせます。よく知られている通り、ドイルは当初、探偵を「Sherrinford Holmes」、その相棒・記録者を「Ormond Sacker」と名づけており、刊行前にそれぞれ「Sherlock Holmes」「John H. Watson」へと変更しました。
Pérez-Reverte自身がこの草稿名を意識したと明言した資料は、今回確認できた範囲では見つかりませんでした。ただ、Basil Rathboneへの参照が明白な人物名に、シャーロキアンにはよく知られた「幻のワトスン名」を重ねたのだとすれば、単なる偶然と見るにはやや示唆的だと感じます。もしこの読みが成り立つなら、「ワトスンになるはずだった名を持つ男が、映画でホームズを演じ、現実の事件でホームズの役割を引き受ける」という、役割の入れ替わりが仕組まれていることになります。実際、物語内でBasilを補佐する役回りのミステリ作家Paco Foxáは、紹介文で明確に彼の「ワトスン役」と位置づけられています。
「作者対読者の知恵比べ」という設計
原作者の公式サイトは、この小説を単なる「元ホームズ俳優が事件を解く物語」以上のものとして紹介しています。これは犯人と探偵の対決ではなく、作者と読者の知性の勝負である、という性格づけです。つまり「novela-problema(問題小説)」として、読者自身にも古典的な本格ミステリの規則に従って謎を解くよう促す設計になっているわけです。刊行時のインタビューでは、この作品がホームズ・ドイルだけでなくアガサ・クリスティへのオマージュでもあると述べられており、嵐で孤立した島・限られた容疑者・小さなホテルという舞台立ても、クリスティ的な「孤立空間もの」の伝統に連なっていると見ることができます。
原作とNetflix版で確認できる設定変更
原作小説(Alfaguara刊、2023年9月5日発売)とNetflix版(Netflix公式発表)を照らし合わせると、いくつかの前提設定が変更されていることが分かります。
| 項目 | 原作小説 | Netflix版 |
|---|---|---|
| 舞台 | コルフ島沖の架空のウタコス島(ギリシャ) | マヨルカ島沖の小島 |
| 時代設定 | 1960年6月 | 1959年春 |
| 死亡する英国人旅行者 | Edith Mander | Elisa Mander |
| 嵐で孤立する人数 | 9人 | 13人 |
| 主人公の表記 | Ormond Basil(芸名Hopalong Basil) | Basil(José Coronado) |
| 形式 | 長編小説 | 全4話のリミテッドシリーズ |
舞台をギリシャ領コルフ沖からスペイン領マヨルカ島近郊に移したのは、スペイン発の制作であることを考えれば自然な改変です。一方で年代を1年ずらし、被害者名や人数を変えている点は、単なるローカライズを超えた脚色が行われていることを示しています。なお、確認できるのはあくまでこうした前提設定であり、全4話の映像はまだ配信されていないため、物語の展開や結末まで原作とどう異なるかは、配信開始後にあらためて確認したいところです。
Netflix公式発表によれば、主演のJosé Coronadoのほか、María Valverde、Martiño Rivas、Maribel Verdúらが出演し、監督はFélix Viscarret、脚本はAlberto Macías、Carlos Molinero、Marisol Farré、製作はMod Producciones(プロデューサー:Fernando Bovaira)です。
原作者自身の反応
Pérez-Reverte氏はX(旧Twitter)上で、読者からドラマ版への感想を尋ねられています。このとき「小説にあった暗さがドラマにはあまり感じられず、『ナイブズ・アウト』的なトーンが合うか分からない」という留保を述べたのは、原作者自身ではなく質問した読者の方でした。これに対しPérez-Reverte氏は、まだ第1話しか見ていない段階ながら「とても気に入った」と肯定的に答えており、視聴後の感想を聞かせてほしいと読者に返しています。原作者自身がドラマ版に否定的な見立てを示しているわけではない、という点は誤解のないようにしておきたいところです。
おわりに
「ホームズを演じた俳優が名探偵の役割を引き受ける」というメタフィクショナルな設定自体は前回のニュースでもお伝えしましたが、その核にある「Ormond Basil/Hopalong Basil」という名前一つとっても、Basil Rathboneへの献辞と、もしかするとドイルの草稿段階の人名まで踏まえた、二重三重の仕掛けが潜んでいるように思えます。配信開始後、実際の映像でこれらの要素がどう扱われているか、確認してみたいと思います。
出典
- 221-books.com: Netflix『ホームズ最後の事件』、日本で9月25日配信へ(既報のニュースまとめ記事)
- Arturo Pérez-Reverte公式サイト: El problema final(あらすじ・作品の性格づけ)
- Penguin Club de Lectura: 『El problema final』紹介PDF(本名Ormond Basil/芸名Hopalong Basilの確認)
- Infobae: Pérez-Reverteインタビュー(Hopalong Basil/Ormond Basilの由来に関する作中描写)
- スペイン語版Wikipedia: El problema final(novela)
- The Arthur Conan Doyle Encyclopedia: A Study in Scarlet(Ormond Sacker/Sherrinford Holmesの草稿名について)
- Netflix公式ニュースルーム: The Final Problem予告編・キャスト・スタッフ情報(2026年9月3日)
- Infobae: Pérez-Reverte本人のNetflix版への反応(2026年9月4日)

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