ホームズの「復活」を、作品の中身の変化として読んだ英語論文を見つけました。Thomas Vranken「The Public, the Press, and Celebrities in The Return of Sherlock Holmes」(Authorship 4.2, 2015)です。オープンアクセス(CC BY 4.0)なので、どなたでも全文を読めます。
今回は論文を紹介するだけでなく、その主張を『シャーロック・ホームズの冒険』12編と『シャーロック・ホームズの帰還』13編、計25編の本文で確かめてみました。全3回の第1回では25編を数えた結果を、第2回では六つの作品の精読を、第3回では当時の雑誌広告を扱います。結論を先に書くと、論文の観察には確かな根拠がある一方で、『冒険』から『帰還』への「断絶」として述べている部分は、25編を比べると修正が必要だと私は考えています。
なお、作品名は延原謙訳の題に合わせています(「犯人は二人」は “Charles Augustus Milverton”、「花嫁失踪事件」は “The Noble Bachelor” です)。
論文の主張
Vrankenは、名声を「本人と大衆と新聞が主導権を奪い合う関係」として捉えています。そのうえで、十年以上有名人として暮らしたドイルの経験が『帰還』に表れていると論じます。付け加えると、ドイルは1902年10月24日に、南アフリカ戦争での活動を理由にナイトに叙されています。『帰還』は「サー・アーサー」になった直後に書かれた作品集でした。要点は次の三つです。
- 大衆の無力化:『帰還』の野次馬は、事件現場で立ち止まって眺めるだけの存在になる(「ノーウッドの建築士」「六つのナポレオン」「空き家の冒険」)。
- 新聞の無力化:「六つのナポレオン」でホームズは、記者ハーカーを通じて誤った記事を流させ、新聞は使い方しだいで役に立つと言う。
- 有名人の強化:ホームズは繰り返し「famous」と呼ばれ、失敗も減る。公爵や首相、学者は自制心の強い人物として描かれ、秘密を守ることが肯定される。
比較の対象は、ホームズが「女の機知」に敗れることもあった十年前の『冒険』です。著者は当時メルボルン大学の博士課程の学生で、この研究はのちに単著『Literary Experiments in Magazine Publishing』(Routledge, 2019)にまとめられています。
25編を同じ基準で数えてみました
論文は印象的な場面を挙げて論じていますが、『冒険』と『帰還』を全編で比べてはいません。そこで、25編すべてについて同じ基準で数えてみました。基準は次のとおりです。
- 語が一度出てくるだけの例は数えず、事件の発端、捜査、解決、人物の行動に関わる場面だけを数えました。一つの作品に例がいくつあっても、一編を一件としています。
- 群衆は、背景の通行人ではなく、事件を見物したり、ホームズの作戦に組み込まれたりする集団です。
- 真相を伏せる・訴追しないは、ホームズ自身がそうする場合に限りました。登場人物どうしの秘密(「踊る人形」のエルシーの過去など)は数えていません。
- 失敗・限界は、依頼人が死ぬ、犯人が逃げる、ホームズが出し抜かれる場合です。ホームズが自分で選んで訴追しなかった場合は、ここには入れていません。
- 高位の人物の描き方は、人物の道徳的な善し悪しではなく、ワトスンの語りがその人物の自制、能力、人柄を評価しているかどうかで判断しました。
- 判断が分かれる場面は数に入れず、表の下に別に書きました。
| 指標 | 冒険(12編) | 帰還(13編) |
|---|---|---|
| 筋に関わる群衆の場面 | 2 | 2 |
| 新聞・広告が筋に関わる | 8 | 8 |
| ホームズが新聞を道具に使う | 1 | 1 |
| ホームズ自身が真相を伏せる・訴追しない | 6 | 7 |
| 明白な失敗・限界 | 3 | 3 |
| ワトスンが冒頭で「今回は伏せて書く」と断る | 0 | 4 |
| ワトスンが高位の人物を肯定的に評価する | 0 | 5 |
数えた作品は次のとおりです。ご自分で数え直したい方のために載せておきます。
| 指標 | 冒険で数えた作品 | 帰還で数えた作品 |
|---|---|---|
| 群衆 | ボヘミアの醜聞、赤髪組合 | 空き家の冒険、六つのナポレオン |
| 新聞・広告 | 赤髪組合、花婿失踪事件、ボスコム谷の惨劇、オレンジの種五つ、唇の捩れた男、青いガーネット、技師の親指、花嫁失踪事件 | 空き家の冒険、ノーウッドの建築士、美しき自転車乗り、犯人は二人、六つのナポレオン、スリー・クォーターの失踪、アベ農園、第二の汚点 |
| 新聞を道具に使う | 青いガーネット | 六つのナポレオン |
| 真相を伏せる・訴追しない | ボヘミアの醜聞、花婿失踪事件、ボスコム谷の惨劇、唇の捩れた男、青いガーネット、緑柱石の宝冠 | 空き家の冒険、プライオリ学校、犯人は二人、三人の学生、スリー・クォーターの失踪、アベ農園、第二の汚点 |
| 失敗・限界 | ボヘミアの醜聞、オレンジの種五つ、技師の親指 | 踊る人形、美しき自転車乗り、スリー・クォーターの失踪 |
| 冒頭で伏せて書くと断る | なし | 黒ピーター、犯人は二人、三人の学生、第二の汚点 |
| 高位の人物を肯定的に評価する | なし | 空き家の冒険、踊る人形、犯人は二人、スリー・クォーターの失踪、第二の汚点 |
判断が分かれたので数に入れなかった場面もあります。群衆では「技師の親指」の火事場の人だかりと「ノーウッドの建築士」の見物人、失敗では「花婿失踪事件」(法で罰せない)と「金縁の鼻眼鏡」(服毒を止められない)、高位の人物では「三人の学生」のギルクリストです。これらを入れても、両者の差はほとんど変わりません。
もう一つ断っておくと、この数は場面の重さを測るものではありません。「第二の汚点」の外交文書と「青いガーネット」の新聞広告は、どちらも一件ですが、物語の中での重さは同じではありません。ここで数えたのは、論文の言う対比が全体の傾向として成り立つかどうかを確かめるためです。
最初の表の上の5行には、ほとんど差がありません。論文が『帰還』の特徴とした場面の多くは、『冒険』にすでにあります。いくつか例を挙げます。
群衆を道具にする例は、短編の第一作「ボヘミアの醜聞」にすでにあります。ブライオニー荘の前で騒ぎを起こした人々は、ホームズがその晩のために雇った人たちでした(第2回で詳しく読みます)。
新聞を道具にする例もあります。「青いガーネット」でホームズは、落とし主を呼び出すために夕刊各紙に広告を出しました。真相を伏せる例としては、「ボスコム谷の惨劇」でターナーの告白を封印し、「唇の捩れた男」ではセントクレアの二重生活を内々に処理しています。
反対に、失敗は『帰還』でも減っていません。「踊る人形」では、ホームズが着いたときに依頼人はすでに撃たれていました。「美しき自転車乗り」では到着が遅れ、誘拐を許しています。この作品の冒頭で、ワトスン自身もホームズに失敗があったことを認めています。
“Many startling successes and a few unavoidable failures were the outcome of this long period of continuous work.”(「美しき自転車乗り」)
多くの驚くべき成功と、少数の止むを得ない失敗と、これがこの期間の絶えざる努力の結果であった。
では、何が変わったのか
最初の表の下の2行には、はっきりした差があります。一つはワトスンの語り方です。『帰還』では「黒ピーター」「犯人は二人」「三人の学生」「第二の汚点」の4編で、ワトスンが冒頭に「依頼人の名は伏せる」「然るべく伏せて書く」と断っています(「以前は公表を禁じられていた」という型の断り書きも含めると、『冒険』1編に対して『帰還』6編です)。
“I should be guilty of an indiscretion if I were even to hint at the identity of some of the illustrious clients who crossed our humble threshold in Baker Street.”(「黒ピーター」)
名まえをここに明かしては、不謹慎の譏りを免がれまいから、暗示的にもいうわけにはゆかぬが、中にはずいぶん著名な人たちも幾人か、ベーカー街の陋屋を訪れたのである。
もう一つは、首相やアームストロング博士のような名士を肯定的に描く場面が増えたことです。
さらに、公表に対するホームズの態度も変わっています。『冒険』のホームズは、「花嫁失踪事件」で夫婦に秘密を持つのは間違いだと説き、「椈屋敷」では世論の力を認めていました。
“The pressure of public opinion can do in the town what the law cannot accomplish.”(「椈屋敷」)
都会では法律の手が届かぬところにも、世論の力というものがあって、代りをつとめてくれる。
ところが『帰還』の「スリー・クォーターの失踪」では、ホームズは事実を新聞に出さないよう協力すると約束し、こう言います。
“so long as there is nothing criminal, I am much more anxious to hush up private scandals than to give them publicity.”(「スリー・クォーターの失踪」)
そこに犯罪でもないかぎり、私人の秘密をあばきたてるのは私の好まぬところで、むしろ揉みけしたいほうです。
第1回のまとめ
ここから私は、Vranken論文を次のように言い直すのがよいと考えています。『帰還』で事件の型そのものが一変したわけではありません。目立つようになったのは、ワトスンの語りの上での変化です。依頼人の名を伏せる断り書き、名士への敬意、新聞と距離をとるホームズによって、名声と秘密の関係が前に出てきました。論文が言う「大衆と新聞の無力化」は、筋の上では裏付けが弱いものの、語り方と人物の態度の上では一定の裏付けがあります。
では、秘密を守るホームズは本当に『冒険』からいたのか。『帰還』の貴族は本当に称えられているのか。第2回では、六つの作品を本文に即して読んでみます。
論文の引用と書誌について
照合の途中で、論文の側の細かい問題もいくつか見つかりました。
- 引用の語句の違い:単語が違う箇所が4つあります。たとえば新聞についての台詞は、論文では “if only you know how to use it” ですが、本文(単行本系テキストと1905年米国版)は “if you only know how to use it” です。公爵の描写も、論文の “an aristocratic effort of self-command” に対し、本文は “an extraordinary effort of aristocratic self-command” です。論文はStrand初出のファクシミリから引用しているので、初出の本文がこうなっている可能性は残ります。私は初出とは照合できていません。
- 文献表の不備:本文で引用している Ronald R. Rodgers の論文(Collier’s 誌の新聞批判を扱ったもの)が文献表にありません。逆に、文献表には Collier’s Weekly の広告3点が載っているのに、本文では一度も使われていません。
この最後の点は、私にはいちばん惜しく感じられました。題名に「Press」を掲げた論文が、文献表に挙げた当時の広告を分析に使っていないからです。第3回では、この3点の広告を手がかりに、ホームズの復活が実際の雑誌でどう売られたのかを調べます。
なお、私の調べた範囲では、この論文を日本語でまとまって紹介した文章は見つけられませんでした。ただ、会誌や紙媒体まではすべて確認できていません。
出典
- Thomas Vranken, “The Public, the Press, and Celebrities in The Return of Sherlock Holmes,” Authorship 4.2 (2015). DOI: 10.21825/aj.v4i2.1441(掲載ページ)
- Thomas Lloyd Vranken, Literary Experiments in Magazine Publishing: Beyond Serialization, Routledge, 2019.
- Ronald R. Rodgers, “Collier’s Criticism of the Press During the Norman Hapgood Years, 1902 to 1913,” American Journalism 25.4 (2008): 7–36.
- Honours And Awards(The Arthur Conan Doyle Encyclopedia。ドイルの叙勲)
- 正典の英文は、sherlock-holm.es 配布の電子テキスト(version 3.1)によります。1892年 Newnes 版と1905年 McClure 版のスキャンでも照合しました。
- 正典の和訳は、延原謙訳『CD-ROM版 新潮文庫 シャーロック・ホームズ全集』(新潮社、1998年)によります。

コメント