第1回では、Thomas Vranken の論文「The Public, the Press, and Celebrities in The Return of Sherlock Holmes」(Authorship 4.2, 2015)の主張を、『冒険』12編と『帰還』13編で数えて確かめました。論文は、『帰還』では大衆と新聞が無力化され、公爵や首相のような有名人が自制と秘密の管理によって力を持つ、と論じています。数えてみると、群衆・新聞・秘密・失敗の場面は両者でほとんど差がなく、差が出たのはワトスンの冒頭の断り書きと、ワトスンが名士を肯定的に評価する場面でした。
今回は、数では見えない中身を確かめるために、六つの作品を読みます。『冒険』からは「ボヘミアの醜聞」と「緑柱石の宝冠」、『帰還』からは「プライオリ学校」「アベ農園」「六つのナポレオン」「第二の汚点」です。
『冒険』の先例――王室と家名の秘密
短編の第一作「ボヘミアの醜聞」からして、秘密を守る話です。正体を隠して現れた依頼人は、まず二人に口止めを求めます。
“by binding you both to absolute secrecy for two years; at the end of that time the matter will be of no importance.”(「ボヘミアの醜聞」)
二年間は絶対に秘密を守ると、お二人に誓約してもらわなくてはならん。二年を無事に経過すれば、いっこう問題はなくなるのだが、
依頼人はボヘミア王で、婚約を控えています。かつての恋人アイリーン・アドラーとの写真が表に出れば、婚約は壊れます。王は “A shadow of a doubt as to my conduct would bring the matter to an end.”(自分の行いに疑いの影がさしただけで縁談は終わる)と言い、ホームズは “It must be recovered.” と応じます(【延原訳:同 340行目付近と295行目】)。ホームズが引き受けたのは、真実を明らかにすることではなく、王室の醜聞が広まるのを防ぐことでした。そのうえ、この仕事は失敗に終わります。
群衆を道具にした例も、この作品にあります。ブライオニー荘の前で騒ぎを起こした人々は、ホームズが雇った人たちでした。
“You, of course, saw that everyone in the street was an accomplice. They were all engaged for the evening.”(「ボヘミアの醜聞」)
喧嘩した連中も、やじ馬も、みんなこっちの仲間だったのは、君も気がついていたろう? 今晩だけの約束で雇ったんだ
「緑柱石の宝冠」も同じ型です。銀行家ホールダーは、担保に預かった宝冠を “One of the most precious public possessions of the empire”(最も貴重な国宝の一つ)と呼んでいます。事件を解いたホームズは、訴追しない理由をこう説明します。
“I saw that a prosecution must be avoided to avert scandal”(「緑柱石の宝冠」)
というのは世間の問題になるのを防ぐため、告訴沙汰は避けなければなりません。
ホームズは犯人のバーンウェル卿に訴追しないと約束して故買屋の居所を聞き出し、その故買屋から宝石を一個千ポンドで買い戻しました。ホールダーは最後に “A day which has saved England from a great public scandal”(一大醜聞事件からわが大英帝国を救った一日でした)と礼を述べます。高位の依頼人の名誉のために、事件を表に出さずに収める。このホームズ像は、『冒険』の段階ですでに完成しています。
公爵の自制と、暴力をふるう上流の人物
論文が「有名人の自制」の例に挙げるのが、「プライオリ学校」のホールダネス公爵です。ホームズに告発された公爵は、取り乱しかけて持ち直します。
“Then, with an extraordinary effort of aristocratic self-command, he sat down and sank his face in his hands.”(「プライオリ学校」)
公爵は貴族らしい自制心で、ようやく落着きをとりもどすと、いすに腰を落として両手に顔を埋めてしまった。
Vranken はこの場面を “an aristocratic effort of self-command” と引用していますが、私が照合した単行本系のテキストでは “an extraordinary effort of aristocratic self-command” です。論文は Strand 初出のファクシミリから引用しているので、初出との異同の可能性がありますが、私は初出とは照合できていません。
このあと公爵は、ホームズに求められた6,000ポンドの小切手を書くことになります。公爵の自制は、家の秘密を守るための自制でもあります。ホームズは事件の処理について、こう言います。
“I am not in an official position, and there is no reason, so long as the ends of justice are served, why I should disclose all that I know.”(「プライオリ学校」)
私の立場は官憲ではございません。正義の結末さえつきますれば、知っていますことを何でも暴露するにも及びません。
ホームズは、実行犯のヘイズについては絞首台から救うつもりはないと突き放しています。一方、公爵の私生児ワイルダーは、公爵の判断でオーストラリアへ去ることになりました。ホームズが公爵に求めたのは、夫人との関係を修復するよう努めることでした。公爵は称賛の対象というより、秘密を管理する当事者として描かれています。
「アベ農園」は、論文の一般化にもっと強い留保をつけます。「サー」の称号を持つ富豪ブラックンストール卿は、酒に酔って妻に暴力をふるう人物です。卿を殺した船長クローカーは、ためらいなくこう言います。
“Curse the beast, if he had as many lives as a cat he would owe them all to me!”(「アベ農園」)
野獣にのろいあれ! あいつがねこのように九つも生命をもっていたとしても、みんな私が取ってやります。
ホームズはワトスンを陪審に見立てて私的な裁判を開き、こう宣告します。
“Vox populi, vox Dei. You are acquitted, Captain Croker.”(「アベ農園」)
民の声は神の声なり。クローカー船長を放免します。
ここで秘密が守っているのは、称号を持つ者の名誉ではありません。暴力を受けた夫人と、法では救えないクローカーです。身分と人格は、『帰還』でも一致していません。「金縁の鼻眼鏡」のコーラム教授も、仲間を裏切った過去を持つ学者でした。
新聞を「使う」ホームズ――「六つのナポレオン」
論文の新聞論の中心は「六つのナポレオン」です。記者のハアカーは、自分の家で事件が起きたのに記事が書けないと嘆きます。
“All my life I have been collecting other people’s news, and now that a real piece of news has come my own way I am so confused and bothered that I can’t put two words together.”(「六つのナポレオン」)
私はこの年になるまで、他人の消息ばかり集めてきましたが、こんどという今度は自分で自分のことを報道でもしなきゃならないような、どうもとんでもないことが持ちあがっちまったんで、すっかり面くらっちゃって、いやはやどうも、通信どころか一行半句だって書けそうもありませんて。
Vrankenがハアカーを、混乱し、利用される新聞人として読むのはもっともです。しかし、ホームズの言葉は新聞を無力なものとしては扱っていません。
“The Press, Watson, is a most valuable institution if you only know how to use it.”(「六つのナポレオン」)
新聞というものはね、ワトスン君、その利用法を知ってさえいれば、きわめて重宝な機関だよ。
ホームズが誤った推理を記事にさせたのは、新聞が広く読まれ、犯人にも届くからです。新聞の力は弱まったのではなく、その力を誰が使うかが問題になっている、と読むほうが正確だと私は考えます。
国家の秘密と公衆――「第二の汚点」
『帰還』で秘密がいちばん大きな規模になるのが「第二の汚点」です。盗まれた外交文書について、首相は警察に届けない理由をこう説明します。
“To inform the police must, in the long run, mean to inform the public. This is what we particularly desire to avoid.”(「第二の汚点」)
警察に知らすのは、結局世間に公表するようなものです。これは特に世間に知られたくない問題ですからな
ここでは、公衆に知らせないことが平和を保つ条件とされています。Vrankenがこの作品に、公衆を蚊帳の外に置く構図を読んだのは妥当です。そのうえ、ヒルダ夫人の夫婦の秘密も、国家の秘密と同じ「表に出さない」論理で処理されます。ホームズは夫にも首相にも真相を告げません。戦争と平和にかかわる情報を少数の人だけが扱うことへの不安も、この作品には同時に読み取れます。
第2回のまとめ
六つの作品を読むと、秘密を守るホームズは『帰還』で生まれたのではないことが分かります。「ボヘミアの醜聞」や「緑柱石の宝冠」で、ホームズはすでに王室や上流の名誉を守るために事件を表に出さずに収めていました。『帰還』で変わったのは、秘密の舞台の広がりです。家門(プライオリ学校)、そして国家(第二の汚点)へと広がっています。
一方、『帰還』の貴族は一様に称えられているわけではありません。公爵の自制は家の秘密を守るための自制でもあり、「アベ農園」では上流の人物が暴力者として描かれます。新聞も、無力化されたというより、ホームズに「使われる」ものとして描かれています。
第3回では作品の外に出て、ホームズの復活が実際の雑誌でどう売られたのかを、論文の文献表に残る広告から調べます。
出典
- Thomas Vranken, “The Public, the Press, and Celebrities in The Return of Sherlock Holmes,” Authorship 4.2 (2015). DOI: 10.21825/aj.v4i2.1441(掲載ページ)
- 正典の英文は、sherlock-holm.es 配布の電子テキスト(version 3.1)によります。1892年 Newnes 版と1905年 McClure 版のスキャンでも照合しました。
- 正典の和訳は、延原謙訳『CD-ROM版 新潮文庫 シャーロック・ホームズ全集』(新潮社、1998年)によります。

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