2026年10月8日:ホームズの復活と、その名で売られた商品――Vranken論文の文献表からCollier’sの広告を追う(3)

シャーロッキアン日記

第1回と第2回では、Thomas Vranken の論文「The Public, the Press, and Celebrities in The Return of Sherlock Holmes」を、正典の本文で確かめました。結論は、『帰還』で事件の型が一変したわけではなく、目立つようになったのはワトスンの語りの上での変化であり、「新聞の無力化」は筋の上では裏付けが弱い、というものでした。

今回は、作品の外に出ます。論文の文献表には、本文で一度も使われていない Collier’s Weekly の広告が3点載っています。この3点を手がかりに、1903年から1904年にかけて、ホームズの復活が実際の雑誌でどう売られたのかを調べてみました。

復活は取引として始まった

まず、復活の段取りです。Grolier Club の展示解説によると、米国の Collier’s はドイルに「6編で25,000ドル、8編で30,000ドル、13編で45,000ドル」という条件を示しました。ドイルは1903年4月上旬、社主のコリアーに “I’ve actually resuscitated Sherlock, and run to over 9000 words doing so”(シャーロックを本当に生き返らせましたよ、それで9000語を超えてしまいました。拙訳)と書き送っています。この手紙の日付は、Grolier Club は4月8日、ACD Encyclopedia は4月3日としていて、資料によって食い違います。代理人ワットあての手紙では、提出順と掲載順を同じにしなくてよいと伝え、追加の4編の契約も認めています。

英国の Strand は1903年9月号で復活を予告し、10月号に「空き家の冒険」を載せました。Grolier Club の解説では、この予告は9×6インチの、挿絵のない文字だけのちらしだったとされています。一方、Collier’s は英国より先に、1903年9月26日号で「空き家の冒険」を載せました。

予告から連載へ――Collier’s の誌面

Internet Archive には Collier’s の各号のスキャン画像があります。

まず、「空き家の冒険」の2週間前にあたる1903年9月12日号に、予告の文章があります。

“The Tale of his Marvellous Escape will appear in Colliers Household Number for October. It is the first of a series of adventures written by Sir A. Conan Doyle especially for Colliers.”

売り文句は「驚くべき脱出の物語」、つまりライヘンバッハの滝からどう生還したか、でした。

 

次に、掲載が始まった9月26日号です。表紙まわりに “IN THIS NUMBER—’THE RETURN OF SHERLOCK HOLMES'” と “Beginning a New Series of Detective Stories by A. CONAN DOYLE” とあります。

目次には “1.—The Adventure of the Empty House. Illustrated by F. D. Steele” とあり、編集部の告知欄は “SHERLOCK HOLMES AGAIN!” という見出しで、”written especially for COLLIER’S by Sir A. Conan Doyle” と紹介しています。前年にナイトに叙されたばかりの「サー」の称号も、宣伝に使われていました。残念ながら、この号のCollier’s Magazineの現物は所有していません。チャンスがあれば手元に置きたい一品です。

 

この告知欄には、以下のような連載の予定も書かれています。

“There are to be eight of them, and they will be published in the Household and Christmas Numbers as follows: …”

このあとに「空き家の冒険」(10月の Household Number)から「黒ピーター」(3月の Household Number)までの予定が並びます。つまりホームズは、毎週の誌面ではなく、月に一度の「Household Number」とクリスマス号の目玉として予告されていたようです。

また、開始の時点で予定されていたのは8編で、実際には13編が載りました。代理人ワットあての手紙にあった追加の契約と、話が合います。

1904年11月26日号の目次にも、これが11作目で、「アベ農園」は12月31日付の1月の Household Number に載る、という注記があるようです。

作品 Collier’s 掲載号
空き家の冒険 1903年9月26日
ノーウッドの建築士 1903年10月31日
踊る人形 1903年12月5日
美しき自転車乗り 1903年12月26日
プライオリ学校 1904年1月30日
黒ピーター 1904年2月27日
犯人は二人 1904年3月26日
六つのナポレオン 1904年4月30日
三人の学生 1904年9月24日
金縁の鼻眼鏡 1904年10月29日
スリー・クォーターの失踪 1904年11月26日
アベ農園 1904年12月31日
第二の汚点 1905年1月28日

文献表の広告3点を追う

Vranken の文献表に載っている広告は、次の3点です。

  • “The Return of Sherlock Holmes”(Collier’s Weekly, 1903年9月12日, p. 18)
  • “Taylor Old Style” brand roofing tin(1904年9月24日, p. 22)
  • “The New Game, ‘Sherlock Holmes'”(1904年11月26日, p. 6)

上の掲載表と並べると、文献表の3つの号は、日付の上では、予告の号か作品の掲載号と重なっています。上記の9月12日号は「空き家の冒険」の2週間前、1904年9月24日号は「三人の学生」の掲載号、11月26日号は「スリー・クォーターの失踪」の掲載号です。

屋根材の広告に現れた “Sheerluck Holmes”

文献表の3点のうち、いちばん意外だったのが屋根材の広告です。(こちらのサイトからの引用となります。)

Collier's 屋根材広告.

1904年9月24日号では、この広告はホームズを持ち出す戯文で始まります。

“If there was another detective as great as Holmes you would know his name equally well. Your telegram proves he has no equal.”

続いて、ある建築家が屋根の仕様書に「Taylor Old Style またはそれと同等のもの」と書いたところ、どちらでもないものが納められた、という小話が来ます。ホームズに並ぶ探偵がいないように、この屋根材にも並ぶものはない、という理屈です。広告は “Sheerluck Holmes”(わざと崩した綴り)と「屋根の問題」に関心があれば、”The Adventure of the Vague Specifications”(曖昧な仕様書の冒険)を載せたものを取り寄せてほしい、と結ばれます。広告主はフィラデルフィアの Taylor 社です。

つまりこれは、ホームズの作品が載った号で、別の会社がホームズの名と「冒険」の題の付け方を借りて自社の屋根材を売った、パロディ広告でした。ただし、p. 22 という頁、広告の図像、ドイル側の許諾の有無は、分かりません。

新聞の推薦文で売られたホームズ・ゲーム

1904年11月26日号のゲーム広告は、Parker Brothers(マサチューセッツ州セーラム)のカードゲームのものでした。Parker Bros ホームズゲーム.

見出しは文献表と同じ “The New Game, ‘Sherlock Holmes'” で、本文では新聞2紙の推薦文が並びます。

“Sherlock Holmes is the liveliest of all the games which have become popular fads. … is becoming as much of a rage as Ping-Pong in its prime.” —New York World

“Society, always on the lookout for unique diversions, has seized upon the new card game, Sherlock Holmes …” —Boston Herald

続いて、全員が同時に遊べること、「世界でいちばん売れているゲーム」であることが書かれます。広告主は自社を、Pit や Ping-Pong などの「有名なゲーム」の製造元と紹介しています。百貨店、文具店、運動具店で売られ、値段は50セント、金縁の版が75セントでした。広告の文面には、ドイルの名が一度も出てきません。文面からは、ドイルの許諾があったかどうかは分かりません。

同じゲームの広告は、11月5日号にも載っていたようです。BoardGameGeek には「1904年11月5日号 p. 23」に広告があったという記録があり、同号にも次の見出しが見えます。

“THE LATEST CRAZE / SHERLOCK HOLMES / THE GAME / LAUGHABLE EXCITING / ENTIRELY NEW.”

こちらにも Boston Herald の推薦文が引かれています。見出しの違う広告が、少なくとも2回載ったことになります。

作中の新聞観と、誌面の新聞

私がこの2つの広告で面白いと思ったのは、ホームズの名と新聞の使われ方です。第2回で見たとおり、『帰還』のホームズは新聞を「使い方しだいで役に立つ」ものとして扱いました。そして現実の Collier’s の誌面では、ホームズの名を冠したゲームが New York World と Boston Herald の評判を借りて売られ、屋根材の会社はホームズの名を自社の宣伝に借りていました。どちらの広告にも、作者の名はありません。

Rodgers の論文によれば、Collier’s はこの時期に新聞批判を続けていた雑誌です。その誌面で、新聞の推薦文が商品の権威づけに使われていました。Vranken は名声を「本人と大衆と新聞が主導権を奪い合う関係」と捉えましたが、1904年の誌面では、ホームズの名はすでに作者の手を離れ、ゲーム会社や建材会社の広告にまで使われていたことになります。

 

ドイル自身は新聞をどう使ったか

作中の新聞観は、そのまま作家の新聞観ではありません。ドイルは生涯に新聞へ数多くの投書を寄せていて、その多くは Letters to the Press(1986)にまとめられています。また1907年のエダルジ事件では、Daily Telegraph に長文を寄せて世論に訴えました。ただし、これは『帰還』の数年後のことです。『帰還』執筆当時のドイルと新聞の関係は、時期を区切って別に調べる必要があります。

おわりに

Vranken の論文は、ホームズの復活を「名声」と「新聞」から読むという、面白い問いを立てています。論文が文献表に挙げながら使わなかった3つの広告をたどると、ホームズの名が予告、パロディ広告、ゲームの商品名として誌面に広がっていく様子が見えてきました。

これらの広告は、Vranken の議論をそのまま裏づける資料でも、直ちに反証する資料でもありません。しかし、正典本文の新聞観だけでは捉えきれない、ホームズの名前の商品利用と、広告における新聞の権威を考える手がかりにはなると思われます。論文の文献表から、掲載誌そのものを読む別の問いが開けてくるという面白い展開になりました。

出典

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