2026年7月26日:ホームズは「社会科学者」だった?——1988年の異色論文を読む

シャーロッキアン日記

シャーロック・ホームズを「探偵」としてではなく「科学者」として読み解く・・・、そんなユニークな視点の論文をご紹介します。(毎度おなじみのAcademiaサイトからのメールでこの論文がヒットして送られてきました。)

今回取り上げるのは、Veronica Ward(ユタ州立大学)と John Orbell(オレゴン大学)による “Sherlock Holmes as a Social Scientist”(The Political Science Teacher, Fall 1988, pp.15-18)です。

政治学教育の専門誌に掲載されたこの論文、タイトルだけ見ると意外に思われるかもしれません。しかし読んでみると、ホームズの推理法を科学哲学(Popper、Hempel、Kuhn、Lakatos、Toulminといった面々)の枠組みで読み解くという内容になっています。ただし、この5人すべてということではなく、PopperとKuhnが主に取り上げられており、他の3人についてはあまり取り上げられていません。

私も学部は政治学科出身、そして科学哲学は大学院の時に少しかじった程度なのでほぼ素人といって良い状態です。ですので、引用されている科学哲学者については予備知識がないため、AIに解説してもらいながら読み進めました。ついでと言ってはなんですが、残る3人の学者についても少し調べてみることにしました。

 

「秩序」という前提から始まる

論文はまず、科学の最も基本的な前提、「世界には発見されるべき規則性がある」という考え方、から出発します。ヒュームが指摘したように、自然界に規則性がある証拠は実は誰も持っていません。それでも科学は「秩序はある」という前提のもとに営まれています。

ホームズもまた、ワトスンにこう語っています。

これはね、ワトスン君、二つの事件は関連がある。必ずなければならないのだよ。その関連を見つけだすのが、われわれの役目なんだよ。(「第二の汚点」より)

事件に「解」があるはずだという前提こそが、捜査という営みを可能にしている——著者たちはここにホームズの科学者的資質を見ています。

ブレイン・アティックとPopperの「背景知識」

有名な「屋根裏部屋(brain-attic)」の比喩は、『緋色の研究』でホームズが自らの知識観を語る場面に由来します。延原謙訳ではこう表現されています。

「人間の頭脳というものは、もともと小さな空っぽの屋根裏部屋のようなもので、そこに自分の勝手にえらんだ家具を入れとくべきなんだ。ところが愚かなものは、手あたりしだいにこれへいろんながらくたまでしまいこむものだから、役にたつ肝心な知識はみんなはみだしてしまうか、はみださないまでもほかのものとごた混ぜになって、いざというときにちょっととりだしにくくなってしまう。」(『緋色の研究』より)

論文は、この考え方が Karl Popper が20世紀に体系化した「背景知識(background knowledge)」概念、理論を組み立てる前提として必要な、経験や常識に根ざした知識のこと、を先取りしていたと指摘します。Popperはもともと、観察や実験を積み重ねれば真理に近づけるという「帰納主義」を批判し、どんな理論も反証(誤りを証明されること)の可能性にさらされ続ける限りにおいてのみ「科学的」だと考えました(反証主義)。理論を裏付ける証拠をいくら集めても「証明」にはならず、反証に耐え続けている状態を「暫定的に正しい」とみなす、という立場です。

ホームズの「屋根裏部屋」論は、そうした理論構築の土台となる背景知識を、限られた容量の中でどう選び取るかという問題を、Popperに先立って直感的に言い当てていた、というのが著者たちの見立てです。ただし、ホームズ自身は何を取捨選択の基準にしていたかを明言していないと論文では率直に認めていますが、明確な定義はホームズが知るのみではありますが、「犯罪捜査に役に立つか立たないか」、がその基準だと私は思います。

 

パラダイムと「セブン・エクスプラネーションズ」

クーンの「パラダイム」概念も、この論文の重要な補助線になっています。トーマス・クーンは1962年の『科学革命の構造』で、ある時代・分野の科学者集団が共有する「ものの見方・前提・研究の枠組み」をパラダイムと呼びました。

パラダイムが安定している間、科学者は与えられた枠組みの中で謎解きのようにパズルを解いていく——これが「通常科学」です。天動説から地動説への転換のように、パラダイムそのものが根本から入れ替わる断絶的な変化が「科学革命」にあたります。

論文は、ホームズが個々の事件に向き合う姿勢を、この「通常科学」的な謎解きになぞらえます。その好例として引かれるのが、「椈屋敷」でホームズが「僕は七通りだけ説明のつけかたを考えた。七つとも、いまわかっているだけの事実とは矛盾しないのだ。そのうちのどれがあたっているかは、これから先方へ行って新しい事実を聴取してからでないとわからない。」と語る場面です。

複数の仮説を並行して保持し、新しい事実が入るたびにふるいにかけていく——このプロセスは、後述するPopperの反証主義的な手法の実例としても読めます。

 

Hempelの「説明のモデル」とLakatosの「研究プログラム」

論文中では重点的に取り上げられていないのですが、冒頭に登場する他の学者のモデルについて追加で調べてみたところ、Carl Hempelの科学的説明論も、ホームズの推理法を理解するうえで補助線になるようです。

Hempelは、ある出来事を「説明する」ためには、一般法則と初期条件から論理的にその出来事を導き出せなければならないと考えました(演繹的法則的モデル、通称DNモデル)。「オレンジの種五つ」でホームズが語る「理想的な推理家」像は、モデルを思わせます。

「いったい理想的な推理家というものは、一つの事実をちゃんと提示された場合、その事実から、そこにいたるまでのすべてのできごとを、のこる隈なく推知するばかりでなく、その事実につづいておこるべき、すべての結果をもよく演繹するものだ。……ある一連の事件のうちの一事実を十分に究明しえた観察者は、その事実の前後につながるあらゆる事実を、正確に述べられなければ嘘だ」(「オレンジの種五つ」より)

一つの事実(初期条件)から、前後の出来事の連鎖をまるごと論理的に導き出す——この態度は、Hempelが説明の要件として求めた「一般法則+初期条件からの演繹」の構図と重なります。

また、Imre Lakatosは、Popperの反証主義とクーンのパラダイム論を統合し、「研究プログラム」という考え方を提唱しました。ある理論体系には、簡単には手放されない中核的な仮定(ハードコア)と、その周囲を守る補助仮説群(防護帯)があり、反証にぶつかったときは防護帯の側を修正することで中核を守る——というモデルです。この構造は、「サセックスの吸血鬼」でホームズが自らの方法を語る場面が合致しそうです。延原謙訳ではこう訳されています。

「そうでしょうね。誰でもこんなときは暫定的に見当をつけておいて、時がたつにつれてその黒白がわかるなり、あるいはもっと資料を得て自説に訂正を加えるなりするのです。悪いくせですよ。でも人間は弱いものですからね」(「サセックスの吸血鬼」より)

「暫定的に見当をつけ」つつ、新しい資料が入るたびに「自説に訂正を加える」——事件には解があるという大前提(ハードコア)は保持したまま、個々の仮説(防護帯)だけを柔軟に組み替えていくホームズの態度は、Lakatosの研究プログラム論に近い考え方ではないでしょうか。

 

「データなしに理論化するな」

一方で論文が強調するのは、ホームズの一貫した戒め——時期尚早な理論化への警戒です。データを持つ前に理論を立てるべきではないというホームズの繰り返しの忠告や、「鳴かなかった犬」(”Silver Blaze”)という非事象への着目は、社会科学者が見落としがちな「起こらなかったこと」の重要性を示す好例として紹介されています。「鳴かなかった犬」の場面は、「白銀号事件」ではこう訳されています。

「あの晩の、犬の不思議な行動に、ご注意なさるといいでしょう」
「犬は全然なにもしなかったはずですよ」
「そこが不思議な行動だと申すのです」

何もしなかったことそれ自体が、実は最も雄弁な手がかりになりうる——この視点の転換は、論文では詳しく触れられていないものの、Stephen Toulminが『Foresight and Understanding』で論じた、科学における「予見(foresight)」の働き、すなわち何が起こるはずかという期待の枠組みがあって初めて、期待から外れた出来事の意味が浮かび上がるという議論とも重なります。

 

「不可能を除外すれば、残ったものが真実」の限界

これはホームズの手法をそのまま持ち上げるだけの論文ではありません。著者たちは、物理科学ではうまく機能する「秩序と一貫性の前提」が、社会科学の対象——人間社会——では必ずしも成り立たないことにも触れています。ホームズ自身、どの事件にも通用する普遍的な決定則は持ち得ず、最終的には「判断」という、ある種の技芸(art)に頼らざるを得なかった——その限界も含めて論じているのが、この論文の誠実なところだと感じます。

 

雑誌の位置づけについて

なお本論文が掲載された The Political Science Teacher は、アメリカ政治学会(APSA)の教育部門が発行していた教育者向けの実務誌で、教室で使える教材や視点を紹介することを目的としています。本論文も「For the Classroom」という欄に掲載されており、学部生に科学哲学の基礎を教える際の導入教材として書かれたもののようです。

従って、この論文は「ホームズ研究」の論文というより、「ホームズを使って科学哲学を教える教材」と読むほうが、その狙いがよく伝わります。


出典
Ward, Veronica, and John Orbell. “Sherlock Holmes as a Social Scientist.” The Political Science Teacher (Fall 1988): 15–18.

日本語引用:新潮文庫シャーロック・ホームズシリーズ(延原謙訳)

※原論文の英語引用箇所は William S. Baring-Gould 編 The Annotated Sherlock Holmes, Vol. I & II(New York: Charles N. Potter, Inc., 1967)に依拠しています。

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