2026年10月5日:手がかりのシニフィアン連鎖――Habjanの応答(後編)

シャーロッキアン日記

前編では作品の形式と生存の関係を扱いましたが、ここでは発表当初の成功の規模も確認しておきます。モレッティの小標本では、『冒険』全篇が最上位の枝に到達するわけではなく、読者にとって解読可能な手がかりを備える作品は、モレッティの判定では寛大に数えても12篇中4篇、厳密には0篇にとどまります。それでも最初の読者はドイルの装置を熱狂的に受け入れ、その選択はのちの世代にも受け継がれて、ドイル作品を探偵小説の正典に押し上げました。モレッティ自身が「ブラックボックス」と呼んだのは、まさにこの最初の選択がなぜ起きたのかという部分です。今回は、この空白を正面から論じたJernej Habjan(スロベニア科学芸術アカデミー附属スロベニア文学研究所ZRC SAZU、ミュンヘン大学LMU所属)の論文「The Bestseller as the Black Box of Distant Reading: The Case of Sherlock Holmes」(Primerjalna književnost35巻1号、2012年、91〜105頁)を紹介します。

Habjanはこの成功の規模を、文芸研究者Peter McDonaldの研究を引きながら示しています。1891年、ドイルがStrand誌に『冒険』最初の6作を発表した年、原稿料・連載権・書籍権による収入は前年までの開業医としての年間収入の5倍に達したそうです。1892年10月までには『冒険』の初の書籍版が1万部、「The Strand Library」第1巻として刊行され、1893年、『思い出』が依頼・掲載された時期にはStrand誌はイギリス国内だけで読者数100万人に達したといいます(ホームズ作品単独の部数ではなく、雑誌全体の読者数です)。

Habjanの応答、バディウの「出来事」

ここで押さえておきたいのは、Habjanが「読者はなぜこの形式を好んだのか」という心理学的な因果説明を新たに提出しているわけではない、という点です。彼は問いの水準そのものをずらします。最初の読者の選択を実証的な受容史として復元するのではなく、その選択を「出来事への忠実さ」として理論的に読み替えるのです。読者を、形式的刺激に反応する心としてではなく、新しい手がかりの形式が「出来事」として現れたとき、それに忠実であることを通じて成立する主体として考え直す。モレッティのブラックボックスを解いたというより、別の水準で定式化し直した、と言うほうが論文の達成に近いと思います。手続きとしてはラカンの論文「科学と真理」の読解(ジャン=クロード・ミルネル、およびそれを文学理論に展開したラストコ・モチニクを介して)を使い、手がかりを「シニフィアンの連鎖」として捉え直すところから始まります。

事例に選ばれているのは「まだらの紐」です。母を亡くした依頼人ヘレン・ストーナーが、結婚を控えた双子の姉ジュリアの不審死をめぐり、継父ロイロット博士への疑いをホームズに訴えます。ホームズとワトスンが屋敷を調べると、外に通じない通気口、床に固定された寝台、実用にならないベルの紐、継父の部屋にある金庫・犬用の鞭、そして猫がいないのに置かれた、猫用サイズのミルク皿が見つかり、これらの手がかりを結び合わせることで、ロイロットがインドから持ち帰った蛇を操って継娘のジュリアを殺し、ヘレンも手にかけようとした仕組みが明らかになります(作中の蛇が口笛に反応し、ミルクを飲み、紐を登るという描写は動物学的には不正確で、Habjan自身もこの点に触れています)。Habjanは、シュクロフスキーがこの作品を「技法の総和」として形式主義の典型例に位置づけたのに対し、手がかりが物語を「構造」に変えるというモレッティの指摘を足場に、技法の寄せ集めではない構造として読み直そうとします。

ここでHabjanが依拠するのは、モレッティ自身の手がかり論です。モレッティは手がかりを、物語の部分を寄せ集め以上の「構造」へと変える蝶番だと述べています。手がかりを探しはじめると、それまで意味を持たなかった細部の一つひとつが急に「意味ありげ」に見えてくる、という読書体験の変化です。Habjanはこれをラカン派の記号論へ接続し、通気口やベルの紐、金庫といった個々の手がかりを、それ単独では意味を欠いた「シニフィアン(記号表現)」として捉え直します。英語の”band”は「帯・紐」と「一団」の両義を持ち、ヘレンは当初この語を屋敷に出入りするジプシーの一団を指すものと疑います。解決時には蛇を指していたと分かりますが、Habjanの関心は正解の語義そのものより、この語を軸に通気口やベルの紐といった散在する手がかりが一つの連鎖として読めるようになること、その連鎖化の働きにあります。

そのうえでHabjanが出す結論は、最初の読者を、形式的特徴から影響を受けつつもその影響を十分には意識していない「心」としてではなく、ドイルの手がかり技法という文学史上の「出来事」に対して忠実さを実践するなかで主体化される存在として捉え直す、というものです。ここでいう「主体」は、バディウの語法では、すべてを自覚的に選び取る個人というより、出来事への参与を通じて「それと知らずに」成立する主体でもあります。論文最後の一文を借りれば、モレッティの「ブラックボックス」の中身は「精神ではなく、主体」だということになります。

系統樹の先に残る問い

正直なところ、バディウやラカンの用語が続く部分は決して読みやすい論文ではありません。ただ、モレッティの系統樹分析そのものは初期探偵小説の形式上の分布と、ホームズ作品の特異な位置を見せてくれる珍しい資料ですし、Habjanの応答は、精神分析的な作品解釈(以前ご紹介したHeta Pyrhönenの論考など)とは違い、量的文学史という別の方法論が抱えた未解決の問いに、哲学の側から一石を投じる試みです。受容史でも書誌学でもない切り口として、ここで一度記録しておく価値はあると判断しました。

モレッティの議論そのものは、前編でも触れた『遠読 〈世界文学システム〉への挑戦』(みすず書房、初版2016年)所収の「文学の屠場」と「始まりの終わり」で日本語でも参照できます。系統樹の議論そのものに触れたい方はそちらから入るのも一つの手だと思います。

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