2026年8月5日:コナン・ドイル上陸地点の再検証―ポーツマスで聞いた話を思い出す

シャーロッキアン日記

昨年9月、SHSL(Sherlock Holmes Society of London)のポーツマス・イベント「Ships, Shanties and the Shingle of Southsea」に参加した時のことでした。

とある港の一角で、Holmes Fest主催者のマット・ウィンゲットさんが案内してくれていたツアーで、彼はこう切り出しました。「ポールの研究によれば、コナン・ドイルがポーツマスに上陸した場所は、これまで信じられてきた場所とは違うのだ、と。その場にはポール本人も同行していました。」

このポールこそ、ポーツマス在住のシャーロッキアン、ポール・トーマス・ミラーさんです。彼は「The Shingle of Southsea」という、ポーツマス限定のホームズ協会を一人で主宰しています(会員は彼一人だけです)。

ワトスンの発言をすべて真実とみなす前提で正典の年代記を組み立てた『Watson Does Not Lie』や、遊び心満載の『Was Sherlock Holmes an Elephant?』などの著書があり、Baker Street JournalやSherlock Holmes Journalへの寄稿歴もある、ユーモアと緻密さを兼ね備えた研究者です。

 

「クラレンス・ピア上陸説」への異議

1882年6月、コナン・ドイルはプリマスでのバット医師とのパートナーシップを解消し、単身ポーツマスへ渡ります。これまで多くの伝記や観光案内で語られてきたのは、「サウスシーのクラレンス・ピアに上陸した」という筋書きでした。Holmes Festという上記のウィンゲットさんが主宰するホームズイベントでも、過去、クラレンス・ピアを巡礼コースの起点にしてきた経緯があります。

ポールの説は、この定説に一石を投じるものです。根拠は蒸気船の実際の航路にありました。プリマスからの定期便を運航していた蒸気船会社は、行楽用の桟橋であるクラレンス・ピアには寄港せず、旧市街(Old Portsmouth)側の商業港——「キャンバー・キー」と呼ばれる一帯に着いていた、というのです。上陸後の足取りとして、ドイルはトランクとトップハットの箱を、ブロード・ストリートにあった汽船会社の事務所に預け、市内へトラムで宿探しに向かった、という具体的な行動も紹介されました。当時のキャンバー・キー周辺は木材や石炭を扱う貨物駅で、軍艦クラスの船を建造する造船所も隣接していたそうです。

この説、実際どこまで史料的な裏付けがあるのか、自分でも少し調べてみました。

まず、蒸気船会社の事務所についてです。1876年のHampshire Advertiser紙の広告に、British and Irish Steam Packet社のポーツマス代理店として「4, Broad Street, Portsmouth」という住所が実際に掲載されていました。ツアーで聞いた「ブロード・ストリートの汽船会社事務所」という話と一致します。同社はポーツマス・サウサンプトン・プリマス・フォルマス・ダブリン・ロンドンを結ぶ航路を運航していた会社です。

地理的にも筋が通ります。ブロード・ストリートは旧市街の「ポイント」地区、キャンバー・キー一帯にあり、歴史的に商業港として機能してきた場所です。一方クラレンス・ピアはサウスシー側の行楽用桟橋で、場所としては別物です。商用の定期蒸気船が着くのは行楽桟橋ではなく商業港の方だった、というポールの論理は、当時の港湾機能の分担から見て納得のいくものでした。

ただし一点、気になる発見もありました。ドイル自身の半自伝的小説『スターク・マンローからの手紙』(1895年)には、ポーツマスの仮名である「バーチェスプール」へ向かう場面が出てきますが、そこでの描写は「荷物棚の上に置いた真鍮の看板」など、どちらかというと鉄道移動を思わせるものです。もしこの一節が本当に到着の場面を指しているのだとすれば、「蒸気船で到着した」という前提自体、もう一段掘り下げる余地が残っているのかもしれません。この小説は脚色を含む自伝である以上、額面通りには受け取れませんが、記録しておく価値のある違和感でした。

 

ワトスンの上陸地点との対比

ツアーではもう一つ、面白い対比が示されました。ドイル(をモデルにした人物)がタウン・キーに上陸したのに対し、正典の中でアフガニスタンから帰還したワトスンは、軍属としての帰還だったため、海軍工廠(Naval Dockyard)側、「ポーツマス・ジェッティ」と呼ばれる場所に上陸したはずだ、という指摘です。タウン・キーからは川上に1マイルほど離れた場所にあたるとのことでした。もっとも、この「ポーツマス・ジェッティ」という名称が現在も使われているのかは不明瞭で、そもそもドイルは正典の地名表記にあまり厳密でないことも多い、という留保つきの話でした。

創作上の人物であるドイルと、同じく創作上の人物であるワトスンの上陸地点が、ポーツマスの港の中で作り分けられているのだとしたら、史実の作家の足跡と、虚構の登場人物の足跡が、同じ港の地図の上で微妙にすれ違っている構図は、なんともシャーロッキアンらしい面白さだと思います。ワトスンとドイルがポーツマスで出会っていたという設定のパスティーシュがあったら楽しそうです。なければ自分で書きたいぐらいです。

港に立ってこの話を聞いたとき、目の前に広がっていたのは今も現役の商業施設が並ぶ景色でした。140年前、まだ何者でもなかった23歳の青年医師が、心細い懐具合でこの岸に降り立った場所は、観光地化されたクラレンス・ピアではなく、荷役の喧騒に紛れたこちらの岸だったのかもしれません。定説を疑い、航路図と行動の細部から地図を描き直す——ポールのような「会員一人だけの」クラブの研究者が積み重ねてきた仕事の厚みを、身をもって実感した午後でした。


出典・参考:

  • SHSLポーツマス・イベント「Ships, Shanties and the Shingle of Southsea」(2025年9月)ウォーキングツアーでの現地解説(案内:マット・ウィンゲット氏、上陸地点説の提唱者:ポール・トーマス・ミラー氏)
  • The Hampshire Advertiser, February 2, 1876(British and Irish Steam Packet社広告)
  • Arthur Conan Doyle, “The Stark Munro Letters,” Letter 10 (1895), Wikisource

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