2026年5月6日:論文「シャーロックの女王蜂(Sherlock’s Queen Bee)」

シャーロッキアン日記

今日もAcademiaからシャーロック・ホームズをキーワードとした論文の情報がメールで届きました。(特に今日発表されたもの、ということではないところがどういうルールなのか不思議)

「Sherlock’s Queen Bee」というのが今日きたメールで紹介されていた論文です。

ベルギー・KUルーヴェン大学のテオ・ダーエンによるもので、Crime Fiction as World Literature(Bloomsbury、2016年)所収の論考です。この論文が問うのは、現代のホームズパスティーシュが、原典に対して何を「補填」しようとしているかという問いです。

ダーエンの中心的な分析対象は、アメリカの作家ローリー・R・キングによる『シャーロック・ホームズの愛弟子(The Beekeeper’s Apprentice)』(1994年)。

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ダーエンが特に注目するのは、作品の構造的な仕掛けです。キングが付けた出版タイトル『シャーロック・ホームズの愛弟子』はメアリー・ラッセルをホームズの「見習い」として位置づけますが、メアリー自身が付けた原題はOn the Segregation of the Queen(女王蜂の隔離について)です。養蜂において女王蜂こそが巣を支配するという事実を反映したこの題名に、ダーエンはメアリーの真の主体性を読み取ります。

ダーエンが本論文で展開する独自の概念が「括弧(parenthesis)」という分析的比喩です。括弧とは「公的なものと私的なものの間の存在論的断絶」を示すもの――この概念を援用しながら、ダーエンは『シャーロック・ホームズの愛弟子』における「ホームズパスティーシュ」というジャンル的期待と、メアリー(=ローリー・キング)が語る私的真実との断絶を浮き彫りにします。

さらにダーエンは、探偵小説というジャンル自体の社会的機能へと議論を広げます。ルカーチの「小説論」を援用しながら、19世紀後半に社会秩序が揺らいだとき、その秩序を虚構の中で回復する装置としてホームズ譚が台頭したと論じます。そしてキングの諸作品は、この構造を踏まえながら逆手に取るものだと指摘します。

原典で周縁に押し込められていた女性・マイノリティ・同性愛者たちが、翻案の中で物語の中心へと「回帰」する――それがキング作品の本質的な批評的身振りだというわけです。

と、論文ではかなり深掘った論説がなされているのですが、恥ずかしながら、メアリー・ラッセルシリーズは、手元にあるのですが、積ん読状態で、この論の立て方が妥当なのか、判断が付きません。

いったん、このような背景も踏まえながら、読み始めなくてはいけないなとともっております。

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