2026年8月8日:ホームズの「知識の偏り」は、なぜ食い違うのか——ワトスンの記録を読み直す

シャーロッキアン日記

Google Alertでお知らせがあったのですが、CrimeReadsに面白い記事が出ていました。タイトルはそのまま「ホームズの雑多な科学知識はどこまで本物なのか」。書いているのはコロンビア大学ではヴィクトリア朝文学・演劇における探偵表象をテーマにPhDを取ったOlivia Rutigliano氏で、CrimeReadsの編集者でもある人です。

記事の骨子はこうです。『緋色の研究』では地動説すら知らなかったホームズが、『四つの署名』では進化生物学や地質学に通じた知性派として描かれる。この落差について、記事はJonathan CranfieldLawrence Frankといった研究者の議論を引きながら、ドイル自身の40年に及ぶ執筆期間中の心境の変化——大衆小説への軽視、信仰と科学のあいだで揺れ続けた立場、後年の心霊主義への傾倒——がそのまま作品に染み出した結果だ、という読み方を提示します。つまり、ホームズの科学知識がぶれているのは、作者ドイルの人生がぶれていたからだ、という伝記的な説明の立て方です。

これは正統なドイル研究としては筋の通った見方だと思います。ただ、自分はいつもの通り「ホームズは実在した」という立場(the Game)でこの記事を読み直してみたいと思います。the Gameの流儀では、説明の根拠を作者の内面に求めることはしません。ホームズという人物とワトスンという記録者が実在した以上、矛盾の理由もまず正典テキストとワトスンの記録姿勢の中に探すべきだ、というのが自分のスタンスです。

『緋色の研究』の内部ですでに食い違っている

『緋色の研究』でワトスンがホームズの知識を分類する有名な場面があります(原文はこちら)。

  1. Knowledge of Literature.—Nil.
  2. Philosophy.—Nil.
  3. Astronomy.—Nil.
  4. Politics.—Feeble.
  5. Botany.—Variable.
  6. Geology.—Practical, but limited.
  7. Chemistry.—Profound.
  8. Anatomy.—Accurate, but unsystematic.
  9. Sensational Literature.—Immense.

地動説すら知らず、「地球が太陽の周りを回ろうが、自分の仕事には一ペニーの違いもない」と言い放つ人物として記録されています。

ところが、その同じ『緋色の研究』の後半、コンサートから帰ってきたホームズがこう言い出します(該当箇所)。

「ダーウィンが音楽について何と言っているか覚えているか。人類が言葉を話す力を得るよりずっと前から、音楽を生み出し味わう力は備わっていたと彼は言っている」

そしてワトスンが「ずいぶん大きな話だね」と返すと、ホームズは「自然を解釈するには、思想も自然と同じくらい広くなければならない」と応じます。

これは重要なポイントです。「哲学ゼロ、天文学ゼロ」というリストを記録したまさにその記録の中で、ホームズはすでにダーウィンを引用し、思想の広さを語っている。同じ『緋色の研究』の中だけでも、ワトスンが作った「必要なこと以外ほとんど知らない専門馬鹿」という肖像と、実際に会話するホームズの知的関心との間には、すでにかなりの齟齬があります。

 

the Gameとしての読み方—ノックス自身がこの矛盾を扱っていた

ここで思い出したいのが、ロナルド・ノックス(Ronald A. Knox)の“Studies in the Literature of Sherlock Holmes”です。1911年3月にオックスフォードのマートン・カレッジとトリニティ・カレッジで発表され、1912年にThe Blue Book誌に掲載されたこの論考は、聖書の高等批評(Higher Criticism)の手法をそっくりそのままホームズ正典に適用してみせるという、近代的なSherlockian Gameの礎となった論考とされています。ノックスは「何よりもまず、ホームズ研究とはワトスン研究でなければならない」と釘を刺し、正典の内部矛盾をテキストの真正性・伝来の問題として扱いました。

面白いことに、ノックスはまさにこの記事のテーマである『緋色の研究』の知識リストの食い違い、を名指しで扱っています。(架空の)批評家Backneckeが唱えた「Deutero-Watson(第二のワトスン)」説があります。『緋色の研究』・「グロリア・スコット」・『帰還』は、本物のワトスンとは別人の手によるものだという説です。その発端となったのはワトスンの名前をめぐる矛盾でしたが、Backneckeはさらに、その傍証の一つとして『緋色の研究』の知識リストを挙げています。Backneckeの言い分はこうです。『緋色の研究』でホームズの文学・哲学の知識は「ゼロ」とされているが、本物のホームズが広い読書と深い思索の持ち主であることは明らかではないか、と。

ノックス自身はこの「別人説」を退け、『緋色の研究』もホームズ伝記の一部として本物だと結論づけます。そのうえで彼が示す解決策が秀逸です。ワトスンがホームズの第一印象を記録したとき、哲学の知識ゼロ、文学の知識ゼロと書いたのは、ワトスンの側の誤りだった。ホームズは、ワトスンとしばらく暮らしてその人柄を信頼できると分かるまで、自分の教養を表に出さなかったのだ、とノックスは言います。事実、その後の記録でホームズはハーフィズとホラティウスを比較し、タキトゥスやジャン・パウル、フローベール、ゲーテ、ソローを引用し、汽車の中でペトラルカを読んでいる——ノックスはこう指摘します。

これはthe Gameの最初期の担い手が、まさにこの記事の出発点と同じ矛盾に直面し、しかも「ホームズが新しい同居人に対して手の内を隠していた」というほぼ同じ結論に達していた、ということです。

もう一つ、ノックスが紹介している逸話も示唆的です。「唇のねじれた男」でワトスン夫人が夫を「ジェームズ」と呼ぶ矛盾について、ノックスは当時のドイル氏本人に問い合わせたところ「編集上の誤り」という回答を得た、と記しています。ノックスはこれをラテン語で茶化して「ここに隠れているのは、この上なく無知な編集者以外の何者でもない」と評しました。記録の伝来過程には、記録者本人の筆以外の手が入りうる—この視点は、『緋色の研究』内部の食い違いを考えるうえでも参考になります。

 

「オレンジの種五つ」での修正

この食い違いは、正典の中でもすでに自覚的に扱われています。「オレンジの種五つ」(1891年11月、『ストランド・マガジン』掲載)で、ホームズは初対面時にワトスンへ与えた印象——「哲学、天文学、政治学はゼロ」——を自ら振り返り、必要な知識は「図書室という物置」から取り出せばよいのだと語ります。正典自身がこの古い知識リストを再訪し、その意味を補足しているとも言えるでしょう。

 

『四つの署名』とウィンウッド・リード

次の記録『四つの署名』になると、ホームズはさらに進化生物学や地質学に通じた人物として描かれます。ウィンウッド・リードの『人類の殉教』(The Martyrdom of Man)を「これまで書かれた中でもっとも注目すべき書物の一つ」とまで評価し、人間は個人としては予測不能でも集団としては統計的に予測できる、というリードの考えを紹介する場面もあります。

ホームズが直接ライエルやキュヴィエをすべて引用するわけではありません。むしろリードの著作を媒介としてダーウィン、ライエル、スペンサー、ハクスリーらを含む19世紀自然主義の知的ネットワークに接続している、と見るほうが正確です。この関心は、事件を通じてワトスンとの信頼関係が深まったことで、ホームズがようやく本来の姿を見せ始めた結果と読むこともできそうです。

 

ロンブローゾ「的」なもの

「空き家の冒険」(The Adventure of the Empty House)でホームズが語る遺伝的犯罪性の理論も、同じように慎重に扱うべき箇所です。この発言には、実は前段があります。ホームズとワトスンが、狙撃犯モラン大佐の顔を初めて目にする場面で、ワトスンは彼の残忍そうな青い目、たれ下がった皮肉な瞼、荒々しく突き出た鼻、深い皺の刻まれた威圧的な眉、という顔つきを、「自然が発するもっとも明白な危険信号」として描写します。つまり、顔立ちという身体的特徴そのものから、この人物の危険な性質を読み取れる、という書き方です。

その直後にホームズが持ち出すのが、「個人はその祖先の全行程を体現しており、善悪への急激な転換は血統の中に強く現れた影響の結果だ」という発言です。ここでホームズがしているのは、単に顔つきから性格を読む(人相学)だけでなく、なぜそのような身体的特徴と危険な性質が結びつくのかを、血統・祖先という原因にまで遡って説明しようとすることです。つまり、〈身体的特徴=危険信号〉という人相学的な読みに対して、〈血統・遺伝=その特徴が生まれる原因〉という理屈を重ねているわけです。

これはロンブローゾの犯罪人類学と非常に強く共鳴する発想です。ロンブローゾは、犯罪者とは進化の過程を逆行した「隔世遺伝的な先祖返り」(atavism)であり、その先祖返りは血統を通じて遺伝し、頭蓋や顎の形といった身体的特徴として外見に現れる、と論じました。つまり身体的特徴は、遺伝した犯罪性が目に見える形で表出したものだ、という理屈です。この二つの記述を続けて読むと、ロンブローゾの「遺伝した性質が身体にも現れる」という犯罪人類学と非常に近い構造が浮かび上がります。

同じ発想は、『バスカヴィル家の犬』でステープルトンの正体を暴く場面(第13章)にもそのまま現れます。バスカヴィル館の広間で、ホームズは1647年に描かれた先祖ヒューゴー・バスカヴィルの肖像画にろうそくを近づけ、額の飾り毛を手で隠してみせます。すると、絵の中の顔がステープルトンの顔とそっくりであることが浮かび上がります。ホームズはこれを評して「これは先祖返り(throwback)の興味深い一例だ、しかも身体的にも精神的にも」と語ります。肖像画という視覚的な血統の記録から、二世紀以上隔てた子孫の顔立ちと気質の両方を言い当てる、これは「空き家の冒険」のモラン評とまったく同じ発想で、血統が身体と性格の両面に先祖返りとして現れるという理屈を、今度は肖像画という物証をもって実演してみせた場面と読めます。

さらに興味深いのは、ホームズが自分自身の家系についても同じ理屈を語っていることです。「ギリシャ語通訳」で、自分の観察力や推理力が生来のものか訓練の産物かとワトスンに問われたホームズは、「祖母がフランスの画家ヴェルネの妹だった。血の中にある芸術の才は、もっとも奇妙な形をとることがある」と答えます。つまりホームズは、自分自身の非凡な能力すらも、血統・遺伝という同じ枠組みで説明しているわけです。しかもワトスンから「なぜそれが遺伝だと分かる?」と問われると、ホームズは兄マイクロフトが自分以上にその能力を備えていることを根拠として挙げています。犯罪者の危険な資質も、貴族の家系に潜む先祖返りも、そしてホームズ自身の推理の才能も——正典の中では、すべてが「血に流れる先祖の性質が、時を経て思わぬ形で表面化する」という一つの理屈で語られている。ロンブローゾ的な発想は、悪役の造形だけでなく、ホームズ自身の自己理解にも及んでいるのが面白いところです。

ただし面白いのは、この直後の展開です。ワトスンが「それはずいぶん空想的な話だね」と即座に突っ込むと、ホームズは「まあ、固執するつもりはないがね」とあっさり引っ込めてしまう。少なくとも、ホームズがこの理論を確立した持論として強く主張していたわけではなく、仮説の一つとして持ち出していたことがうかがえます。ロンブローゾへの直接的な言及として断言するより、隔世遺伝(atavism)、遺伝、退化といった、19世紀末に広く流通していた生物学・犯罪学的な発想の混合物からホームズが借用した発想の一つ、くらいに捉えるほうが適切そうです。

このあたりは自分がずっと追いかけている「医学的・犯罪学的要素」というテーマと直結するので、いずれ「切り裂きジャック」関連の考察と絡めて掘り下げてみたいところです。

 

最後に

 

CrimeReadsの記事をthe Gameの側から読み直してみると、ホームズの科学知識の「矛盾」は、意外にも『緋色の研究』の内部からすでに始まっていました。そして1911年のノックスもまた、その矛盾を作者ドイルの変化ではなく、記録者ワトスンとホームズとの関係から説明しようとしていました。
そう考えると、変わったのはホームズの知識そのものではなかったのかもしれません。ホームズと暮らし、事件をともに経験するにつれて、ワトスンが知ることのできるホームズの範囲が広がっていった。the Gameの立場からは、そんな読み方もできそうです。しかも後の記録を追えば、遺伝や先祖返りについてのホームズの関心には、むしろ一定の連続性さえ見えてきます。
ホームズの科学知識は本当に変化したのか。それとも変化したのは、ワトスンが私たちに見せるホームズ像だったのか。 CrimeReadsの記事を読んで、110年以上前にノックスが考えた問いにもう一度戻ってきたような気がしました。

 

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