先日、ポッドキャスト「I Hear of Sherlock Everywhere」の第339回を聴いていて、面白いゲストの回に行き当たりました。
ロンドンのクラブ文化史を専門とする歴史家、セス・アレクサンダー・テヴォズ(Seth Alexander Thévoz)氏です。著書に『London Clubland: A Companion for the Curious』、『Behind Closed Doors: The Secret Life of London Private Members Clubs』、そして博士論文をもとにした『Club Government: How the Early Victorian World was Ruled from London Clubs』があり、Substack「Clubland」も主宰しています。
面白いのは、氏がホームズと出会ったのが4歳の時だという点です。スイス系フランス語話者として育ち、家族でオーストラリアを転々としていた幼少期に、英語を習得する教材の一つが『シャーロック・ホームズの冒険』の短編集だったのだとか。もともと博士論文はウィンストン・チャーチルの政治哲学がテーマになる予定だったそうですが、資金の都合で方向転換し、当時「文化史」が流行していたことも手伝って、英国のクラブという未開拓のテーマに落ち着いたという経緯も語られていました。
ディオゲネス・クラブの正体をめぐる論争
番組では、マイクロフト・ホームズの所属するディオゲネス・クラブの実在モデルについて、テヴォズ氏自身の見解が語られました。この論争には長い歴史があります。ディオゲネス・クラブの「正体」をめぐっては、複数の研究者が候補を挙げてきました。
テヴォズ氏がこの調査を始めたきっかけは、番組リスナーでもあるデイヴィッド・リール(David Leal)氏との出会いでした。リフォーム・クラブの立食パーティーで実際に顔を合わせ、リール氏がリフォーム・クラブ説を熱心に唱えていたことに触発され、過去の論者たちの説を洗い直したのだそうです。結果、テヴォズ氏はリール氏を含むほとんどの先行説に同意できなかったといいます。
テヴォズ氏が本命として挙げるのは、ペル・メルにあったジュニア・カールトン・クラブです。根拠は複数の角度から積み上げられています。
まず年代の問題。正典の記述では、マイクロフトは「創設メンバー」とされていますが、アシニーアムやトラベラーズ、リフォームといった主要クラブは、いずれも当時創設から70年ほど経った老舗です。1960年代のS・タッパー・ビゲロウの論文などは、この矛盾を解消するために「ホームズ兄弟の年齢差は7歳ではなく70歳で、マイクロフトは『ギリシャ語通訳』の時点で104歳、『ブルース・パーティントン設計図』の時点では111歳」という、テヴォズ氏いわく「馬鹿げた」解釈まで持ち出しています。
ところがジュニア・カールトン・クラブは1864年設立で、マイクロフトの生年を1847年とすると、当時17歳。実際に15歳での創設メンバーの記録も残っているそうで、十分にあり得る年齢です。しかも、既存の名門クラブは入会待ちが35年に及ぶこともざらだった時代、「創設メンバーになる」ことこそが確実に入会する方法だった、という背景も説明されていました。
建物の構造についても、正典の描写(入口左手にガラス扉の部屋、右手にカードルーム)は、1880年代初頭にIRAの爆弾テロで被災し再建された後のジュニア・カールトンの図面や当時の写真と一致するとのことです。ボウ・ウィンドウも当初から2つ備えていました。
正典でのディオゲネス・クラブの描写を念のため見ておきましょう。
ガラスの羽目板ごしに、ひろい贅沢な部屋がちらりと見えた。そこにはかなりの頭数にのぼる人たちが、おのおの好きなところに陣どって、新聞など読んでいる。ホームズはペルメル街に面した小部屋へ私をつれこんでおいて、ひとりでどっかへ行ってしまったが、すぐに、一見して兄弟と思われる人をつれて帰ってきた。
(中略)二人は張出窓にならんで腰をおろして、「いやしくも人間を研究しようとするものにとっては、そこが急所なのだ。特徴をとらえよだね。たとえばだ、こっちへ歩いてくるあの二人の男を見たまえ」
クラブの性格そのものも興味深い論拠になっています。ジュニア・カールトンは保守党系の政治クラブで、テヴォズ氏はマイクロフトの薄給から「終身の官僚ではなく、政権交代のたびに出入りする政党付きの人間だったのでは」と推測します。ホームズの台詞「時々(occasionally)彼が英国政府である」という一文の”occasionally”にこそ真意がある、つまり所属政党が野党に回る時期があった、という読み方です。さらに、当時のクラブ規則書には「新聞をトイレに持ち込むな」「泥だらけの靴や濡れた傘を持ち込むな」といった、いささか口うるさい規定が残っており、テヴォズ氏はこれを「行儀の良くない、気難しい会員が多かった証拠」と見ています。
窓の外の描写(「ギリシャ語通訳」でホームズ兄弟が目にする、ビリヤードのマーカー係(延原訳だと撞球のゲームとり)と、明らかに退役軍人然とした下士官)も、ジュニア・カールトンの立地から説明されます。当時クラブの向かいにあったカンバーランド・ハウスは陸軍省の建物で、年金の請求や苦情のために下士官が出入りしていたはずだ、という指摘でした。
比較検討されたのが、マールバラ・クラブ(後のエドワード7世が創設、ボウ・ウィンドウあり、年代も合う)ですが、こちらは賭博好きの伊達者や貴族が集う「ファストセット」の社交場で、ディオゲネス・クラブの内気で人間嫌いな会員層とは性格が合わないとして除外されています。また、古い年鑑に見つかった「ユニオニスト・クラブ」説も、存続期間がわずか5年で、「ブルース・パーティントン設計図」の時代にはすでに消滅していたため退けられました。
なお、コナン・ドイル自身はオーサーズ・クラブ、アシニーアム、リフォーム・クラブと複数のクラブに出入りしており、当時としては珍しくない「掛け持ち」だったそうです。リフォーム・クラブはペル・メルの北側、ジュニア・カールトンの斜向かいに位置しており、ドイルがジュニア・カールトンの様子をよく知っていた可能性も指摘されていました。
後編では、ワトスン自身が所属していたクラブの推理と、映像作品におけるディオゲネス・クラブの描かれ方について書いています。→ クラブランドの世界(後編)――ワトスンのクラブと、スクリーンの中のディオゲネス
出典:
- I Hear of Sherlock Everywhere, Episode 339: Clubland(2026年7月30日、ホスト:Scott Monty, Bert Wolder、ゲスト:Dr. Seth Alexander Thévoz)
- Seth Alexander Thévoz, “Identifying the Diogenes Club in the Sherlock Holmes stories”(初出:Baker Street Journal, Autumn 2019; Clubland Substack再掲)

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