10月17日(米国時間)、アメリカ在住のシャーロッキアン、マット・ホールさんが、ご自身のブログ221B Cooeeで、私も一緒に書かせてもらった論考「‘Here are the very letters’ (FIVE): Sherlockian Correspondence in Japan」を公開しました。いろいろと経緯があったこともあり、今日はその内容を日本語でもご紹介したいと思います。
この論考は、今年春に東京国立博物館で開かれた前田育徳会創立百周年記念特別展「百万石!加賀前田家」(2026年4月14日〜6月7日、平成館)に出品された、アーサー・コナン・ドイルの自筆書簡を扱ったものです。もともとはロンドンのシャーロック・ホームズ協会の機関誌Sherlock Holmes Journal(SHJ)への投稿を目指して書いており、編集者の方からは掲載の方向でとお返事をもらっていました。ところが、同じ書簡を論じた平山雄一さんの論考が、カナダのホームズ協会(The Bootmakers of Toronto)の機関誌Canadian Holmesに一足先に掲載されたことから、SHJへの掲載は見送りとなりました。(着目した点は異なっているのですが、重なる点も多いため見送りとなってしまいました)そこで、長めのブログ記事として読めるように整えてマットさんのブログで公開することにしたものです。
平山さんの論考「A Conan Doyle Letter in Japan: Marquis Maeda’s Collection」が載ったCanadian Holmesは会員向けの機関誌で、会員以外の方は読むことができません。そのため、ここではMattさんの記事での紹介に沿って内容をまとめておきます。
きっかけ:5月のブログ記事から
始まりは、Mattさんが5月に書いた展覧会出品のドイル書簡についてのブログ記事でした。私も東京国立博物館の会場でこの書簡を見ていたので、この記事の公開前後からマットさんとやりとりが始まり、一緒に論考を書くことになりました。ドイルの書簡の宛先は、作家・ジャーナリストのデイヴィッド・クリスティ・マレー(David Christie Murray, 1847–1907)です。
書簡の内容
この書簡がよく知られているのは、ドイルがホームズを「殺した」ことへの心境をはっきり書いているからです。全文を訳してみました(拙訳)。
リフォーム・クラブ
96年5月8日親愛なるクリスティ・マレー様
エジプトに行っておりまして、戻ったばかりでお手紙を拝受しました。哀れなホームズは死んで地獄に落ちたのです。たとえその気になったとしても、彼を生き返らせることはできません(少なくとも何年かは)。彼にはもうすっかり食傷していて、かつて食べすぎたフォアグラのパテに対するのと同じ気持ちを抱いているのです。あれは今でも名前を聞くだけで胸が悪くなります。昔のホームズ物語なら、もちろんどれでもご自由にお使いください。私は田舎で家探しをしていて、出たり入ったりの慌ただしい日々ですが、出かける前にぜひお会いして、お互いのアメリカでの経験について語り合いたいものです。講演のせいで執筆がおろそかにならないよう願っています。生まれながらの語り手は少なすぎるのですから。
敬具
A・コナン・ドイル
この書簡は、実は以前から文面が知られていました。マレーが自著Recollections(1908年)に、この手紙を含むドイルからの書簡5通を翻刻して収めているからです。マレーは1907年に亡くなっているので、同書は没後の刊行になります。
「少なくとも何年かは」という留保がついている点は見逃せません。ドイルは復活の可能性を完全には否定していないものの、この時点では考えたくもなかったことがうかがえます。実際に『バスカヴィル家の犬』の連載が始まるのは、この手紙から5年後の1901年でした。なお「昔のホームズ物語を使ってよい」という許可について、マレーが実際に何かに使った形跡は見つかっていません。
平山論文と私たちの論考の違い
平山雄一さんの論考「A Conan Doyle Letter in Japan: Marquis Maeda’s Collection」が掲載されたCanadian Holmesは会員向けの機関誌のため、ここでは詳しい内容の紹介は控えます。平山さんの論考は、書簡が書かれた1896年春のドイルの足取りや、マレーとの交流、マレーの作家としての側面など、主にドイルとマレーの伝記的な文脈からこの書簡を読み解くものです。
これに対して私たちの論考は、書簡の来歴と、二人の書簡のやりとり全体の中での位置づけに重点を置いています。主な論点は次の4つです。
- Maggs Bros.での購入:展示図録によれば、前田家16代当主の前田利為(としなり、1885–1942)は1929年5月15日にロンドンの古書店Maggs Bros.でこの書簡を購入しました。利為は1927年から1930年まで駐在武官としてロンドンにいました。しかし、購入以前に刊行されたMaggs Bros.の販売カタログには、この書簡は掲載されていません(同時期のカタログには、ドイルの自筆原稿「The King of the Foxes」と「An Iconoclast」が載っています)。
- 『シャーロック・ホームズの冒険』初版本:利為は1930年3月6日に『冒険』の初版本も購入しており、これは現在も前田育徳会に所蔵されています(今回の展覧会には出品されませんでした)。
- 「一人一点」の収集方針:利為は、一人の人物につき自筆資料を一点だけ収集し、より良いものを手に入れたら以前のものを手放すという方針をとっていました。最終的に230人分の自筆コレクションを築いています。マレー宛のほかのドイル書簡が前田育徳会にない理由は、この方針で説明できるかもしれません。
- 残る4通の書簡:Recollectionsに収められたほかの書簡は、ドレフュス事件についてのマレーの見解への返信、ロンドンにジョージ・ワシントン像を建てるというマレーの提案への賛同(10ギニーの寄付を申し出ています)、そしてマレーのMy Contemporaries in Fictionに関わる2通です。後の2通はアンダーショーから出されています。
このほか、二人が1894年にニューヨークのオールダイン・クラブでの晩餐会で同席していたこと(二人の署名入りのメニューが2017年に競売に出ています)や、Arthur Conan Doyle Encyclopediaにドレフュス事件の書簡の画像が掲載されていることから、マレーが受け取った書簡は没後にコレクターの手に渡ったと考えられる点にも触れています。
Mattさんが記事の冒頭で書いているとおり、二つの論考は互いを補い合う内容になっています。平山さんの論考はドイルとマレーの伝記的な文脈に、私たちの論考は書簡の来歴と前田利為のコレクション形成に重心がある、と整理できると思います。
日本語読者向けの補足:図録の年代表記について
論考には書かなかった点を一つ補足しておきます。展示図録の解説(品番234-3)では、この書簡を「一八九四年頃」のものと推定しています。しかし書簡の冒頭には「May 8 / 96」と日付が明記されています。また、「エジプトから戻ったばかり」という文面も、ドイルが1895年から1896年にかけての冬をエジプトで過ごしていたことと符合します。展示当時にこの点に疑問を持ちましたので、博物館に問い合わせをしたところ、解説文に誤記してしまったとのことでお返事をいただきました。
おわりに
加賀前田家の名宝が並ぶ展覧会の中で、このドイルの手紙は少し場違いな存在だったかもしれません。それでも、ある日本の侯爵がロンドンの古書店で選んだ一通の手紙を通して、ホームズを「死なせた」直後のドイルの本音に触れられるのは、なんとも楽しいことです。英語の全文はマットさんのブログで読めます。

最後に、元原稿に編集上の助言をくださり、タイトルも考えてくださったSHJの編集者であるマーク・ジョーンズさんに感謝いたします。
参考文献・リンク
- ‘Here are the very letters’ (FIVE): Sherlockian Correspondence in Japan, 221B Cooee, 17 October 2026.
- Matt Hall, 221B Cooee(2026年5月の記事:展覧会出品のドイル書簡について)
- Hirayama Yuichi, ‘A Conan Doyle Letter in Japan: Marquis Maeda’s Collection’, Canadian Holmes, vol. 49, no. 4, Fall 2026, pp. 31–34.
- 東京国立博物館・前田育徳会・NHK・NHKプロモーション・読売新聞社編『百万石!加賀前田家:前田育徳会創立百周年記念特別展』NHK、2026年。
- 前田育徳会創立百周年記念 特別展「百万石!加賀前田家」公式サイト
- David Christie Murray, Recollections, 1908.
- David Christie Murray, My Contemporaries in Fiction, 1897.
- Maggs Bros., Autograph Letters and Historical Documents, Sales Catalogue No. 513, Christmas 1928(Internet Archive)
- The Arthur Conan Doyle Encyclopedia

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