2026年9月13日:ホームズは「優秀な犯罪者」になれたのか——ドクター・ニコラという鏡

シャーロッキアン日記

先日、いつものようにホームズをキーワードにした論文検索サイトからのアラートメールで見かけた一本の論文が、なかなか刺激的な内容だったのでご紹介したいと思います。Ailise Bulfin氏(アイリッシュ・リサーチ・カウンシルの奨学金を受けてトリニティ・カレッジ・ダブリンで博士号を取得した文学研究者で、現在はユニヴァーシティ・カレッジ・ダブリンで教鞭を執っている方です)による、”Sherlock Holmes and Dr Nikola: Too Much at Home in the Underworld, or Holmes’s Improbable Influence on the Trope of the International Master Criminal”(Sherlock Holmes: The Man and His Worlds, ed. Sally Sugarman, Mountainside Press, 2013, pp.32–51)という一篇です。

タイトルの通り、ホームズが「法の番人」でありながら、その造形の核心部分は犯罪者寄りだったのではないか、という論を、同時代のもう一つのキャラクター、ドクター・ニコラとの比較を通して展開しています。

「最後の事件」の空白を埋めた男

1893年12月、「最後の事件」の発表とともにホームズが(一旦)世を去ると、文学市場にはぽっかりと穴が開きました。この空白を埋めようとした作家は数多くいましたが、その中でも異色だったのが、当時まだ無名だったオーストラリア系の作家ガイ・ブースビーです。彼が生み出した国際的な悪の黒幕、ドクター・ニコラは、新創刊の中間層向け雑誌The Windsor Magazineの目玉として1895年から連載され、一躍人気キャラクターとなりました。

創刊前には「ドクター・ニコラとは何者か?」という煽り広告が新聞紙面を飾り、黒猫を抱いたニコラの絵は当時のロンドンの広告板を賑わせたと、複数の同時代の書評が振り返っているそうです。Bulfin論文によれば、当時のThe Times やThe Bookmanの書評は、繰り返しニコラとホームズを並べて論じており、両者の結びつきは当時から広く意識されていたことが窺えます。

似ているのは顔だけではない

論文の面白いところは、単なる「似ている」という印象論に留まらず、具体的なテキスト比較を積み重ねている点です。挙げられている共通点をいくつか紹介すると——

  • 人間味を欠いた冷徹さ(ワトスンが「機械」と評したホームズの資質)
  • 女性を遠ざける態度、社交嫌い
  • 薬物との関わり(ホームズはコカインの使用者、ニコラはクロロホルムを使う側)
  • 長身瘦躯、長く動く指、鋭い眼光、そして——この時代の男性には珍しく——ひげを剃った顔
  • 謎解きを終えたあと得意げに両手を揉み合わせる仕草に通じる、「当てた」ことへの快感の描写

特に興味深いのは挿絵の比較です。Windsor Magazine版ニコラの挿絵を手がけたStanley L. Woodの絵と、StrandのSidney Paget によるホームズの挿絵とを並べると、キャプションがなければ見分けがつかないほど酷似した構図があるとBulfin氏は指摘しています。パジェットの挿絵がウッドに影響を与えた可能性を示唆する、なかなか大胆な仮説です。

モリアーティ、そしてボンドの悪役たちへ

後半では視点がさらに広がり、ニコラを介してホームズが後世の「国際的黒幕」という概念全般に影響を与えたのではないか、という議論に発展します。モリアーティは「最後の事件」の中だけの存在で活動範囲もロンドン中心ですが、ニコラは特定の国に属さず世界を股にかける存在として描かれ、この「どこの国のものでもない」造形こそがブースビーの新機軸だったといいます。黒猫を連れた不気味な佇まいは、後年のジェームズ・ボンド映画のブロフェルドを連想させる、という指摘もあり、思わず膝を打ちました。

日本の読者にとってのニコラ

調べていて気づいたのですが、ドクター・ニコラは日本でも決して無縁の存在ではありません。『魔法医師ニコラ』の邦題で、香山滋(かのゴジラの原作者としても知られる方です)の訳により1956年に偕成社から刊行されているほか、菊地秀行の訳による版も存在するようです。児童向けの世界名作全集の一冊として紹介されていたことを思うと、案外多くの日本の読者が、知らず知らずのうちにこの「ホームズの分身」に触れていたのかもしれません。

おわりに

ホームズが法の側にいる理由は、彼の道徳的な指針が明確だから、というだけの単純な話ではなく、犯罪の世界にあまりにも精通しすぎているがゆえの危うさと表裏一体だった——という読み方は、シャーロキアンとしてはなかなかスリリングです。ホームズ自身も後年「自分は優秀な犯罪者になれたはずだ」とワトスンに漏らす場面がありますが(「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」)、この論文を読むと、その発言がいっそう重みを増して感じられます。機会があれば、ニコラの原作にも手を伸ばしてみたいと思います。

出典・参考

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