2026年9月5日:ドイルが書かなかった映画の時代に、ホームズを送り込む——Sir Sherlock: The Parting Shotについて

シャーロッキアン日記

英国のファンサイトBlogtor Whoの記事で、AUK StudiosによるオーディオドラマシリーズSir Sherlockの第3作The Parting Shotが発表されたことを知りました。Tom Baker(『ドクター・フー』第4代主演で知られる俳優)が老境のホームズを演じ、同じく『ドクター・フー』でK9役を務めたJohn Leesonがワトスン役で相棒を続投するシリーズです。今回は舞台が1920年代に移り、映画の撮影現場を訪れたワトスンが「悲劇的な事故らしき出来事」を目撃したことから、ホームズ、ワトスン、Norton、Emily Lestradeの4人が映画界の謎へ引き込まれていく、という筋立てになっています。制作発表の段階では殺人と明言されているわけではありませんが、犯人を絞首刑から救うべきか、事件が彼らの過去の悪党とどう関わるのか、といった問いが公式あらすじに掲げられており、単なる事故では済まなそうな気配が漂っています。

ドイルが取り入れなかった「動く映像」

この設定について、脚本のGary Hopkins氏が興味深いコメントを寄せています。コナン・ドイルは実際にトーキー(発声映画)の時代まで生きた人物でありながら、正典作品そのものに「動く映像」の要素を取り入れることは一度もなかった、というのです。Hopkins氏は、もしドイルがもう少し長くホームズものを書き続けていたら、いずれ映画というモチーフに手を伸ばしていたのではないか、という趣旨のことを述べています。

もちろんこれは、ドイルが実際になぜ書かなかったのかを歴史的に解き明かすものではなく、あくまで脚本家自身の発想です。ですが、ドイルが新しい映像技術の到来を実際に見届けながら、それをホームズものの中に持ち込まなかったという「余白」に目をつけ、後続の創作者がその余白を埋めていく、という構図自体は、翻案史の一つの型として興味深いものだと思います。今回のThe Parting Shotは、いわば「ドイルが書かなかった映画の時代のホームズ」を、ファン創作の側から埋める試みだと言えそうです。

脚本家Gary Hopkins氏とグラナダTV版のつながり

脚本を手がけるGary Hopkins氏は、Sir Sherlockシリーズ第1作The Red Letter Dayの脚本も担当した人物ですが、それ以前には、ジェレミー・ブレット主演、エドワード・ハードウィックがワトスンを演じたグラナダTV版シャーロック・ホームズシリーズでも、4作のテレビ脚色に関わっています。少なくとも1988年放送の「悪魔の足」では、シリーズの中心的脚本家John Hawkesworthとの共同脚本としてクレジットされており、単独脚本だったかどうかは作品によって異なるようです。それでも、正典の映像化史に連なる書き手が、今度はドイル自身が描かなかった1920年代のホームズを新たに書き下ろす、という巡り合わせは、シャーロキアンとしてなかなか感慨深いものがあります。

当初は完結編の予定だった

制作側の説明によれば、The Parting Shotは当初、全3作で完結する予定のシリーズの最終作として企画されていたとのことです。ところが先行2作への反響が予想以上に大きく、シリーズ継続が決まったため、この作品は「終わりであり、始まりでもある」位置づけに変わった、と語られています。タイトルのThe Parting Shot(「別れの一撃」)自体が、もともとの完結編としての意味合いを込めた言葉遊びだったわけです。あらすじが「過去の悪党」との関わりを示唆している点も、第3作でありながら先行2作を受け継ぐシリーズ的な構成を感じさせます。

撮影現場に紛れ込む、映画史の実在人物たち

今回の1920年代という設定は、単に背景として映画セットを置くだけではないようです。プロデューサー・演出のBarnaby Eaton-Jones氏によれば、若き日のAlfred Hitchcockと若き日のIvor Novelloも登場し、いずれもWink Taylor氏が一人二役で演じるとのことです。ヴィクトリア朝生まれのホームズを1920年代へ送り込むという趣向が、架空の撮影現場にとどまらず、英国映画史の初期を担った実在人物との交差にまで広がっているわけです。

キャストにもうひとつのホームズつながり

共演陣にも目を引く点があります。『ドクター・フー』でエース役として知られるSophie Aldredが新キャラクター、Lady Vanadia Vallance役で参加するほか、Norton役で続投するNicholas Rowe氏は、1985年の映画Young Sherlock Holmesで若き日のホームズを演じ、2015年の映画Mr. Holmesでも、劇中劇として登場する映画版ホームズ(“Matinee Sherlock Holmes”)役で出演しています。老いたホームズ(Ian McKellen)が映画館でバジル・ラスボーン風の銀幕のホームズを眺める、というあの場面のホームズ役です。今回のように、ホームズものが映画産業そのものを舞台にする作品にRowe氏が参加しているのは、その意味でも小さな反復と言えそうです。また、故Norman EshleyがLord Lestrade役で死後出演することも告知されています。

クラウドファンディングとノベライズ

本作はKickstarterでの事前予約という形で資金を募っており、報道によれば公開からわずか4時間で目標額に到達したとのことです。あわせてChinbeard Booksから公式ノベライズも刊行される予定で、Hopkins氏の脚本をもとにKenton Hall氏が書き下ろしています。音声作品と紙の書籍展開を組み合わせ、クラウドファンディングで下支えするこの作品の展開方式は、ニッチなホームズ音声作品を成立させる現在的な流通のあり方として興味深く感じます。

おわりに

正典が描かなかった時代にホームズを送り込むという趣向自体は目新しいものではありませんが、「ドイルは映画の時代を生きて見届けていたのに、なぜそれを正典に書き込まなかったのか」という余白に光を当てている点が、今回の作品を単なる後日談以上のものにしているように感じます。配信・刊行され次第、内容も確認してみたいと思います。

出典

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