前編ではBarry Keane氏の論文をもとに、1906年のクラクフ初演を中心とするポーランドにおけるホームズ舞台化の歴史を追いました。今回はその調査の延長で気になった、翻訳史・ラジオ・テレビ・ファン文化という、より広い受容の広がりについてまとめます。
翻訳史の実像——最初の訳は1896年だった
20世紀ポーランドにおけるホームズ翻訳の定訳者というと、タデウシュ・ヤン・デーネル(Tadeusz Jan Dehnel)の名前が挙がることがありますが、調べてみるとポーランド語版Wikipediaの「Studium w szkarłacie」(『緋色の研究』)の項目には、より正確で興味深い翻訳系譜が記載されており、デーネルの名はそこには見当たりませんでした。
実際の系譜は次の通りです。
- 1896年10月19日〜11月20日:匿名訳者による抄訳連載『Tępiciel mormonów(モルモン教徒殺し)』が『Dziennik Polski』紙に掲載。これがポーランド語では最初期の翻訳とされています。かなり要約された連載形式だったようです。
- 1903年:Bronisława Neufeldównaによる単行本訳『Czerwonym szlakiem』(Lwów、「Słowo Polskie」社)。ポーランド語における最初の単行本翻訳です。彼女は同時期に『バスカヴィル家の犬』(1903年、のち1925年に単独刊行)も手がけています。
- 1947年:訳者不詳(「E.S.」という筆名という情報もありますが、今回独立には確認できませんでした)による訳『Późna zemsta(遅すぎた復讐)』。
- 1956年:Tadeusz Evert訳『Studium w szkarłacie』(Warszawa、Iskry社)。これが戦後ポーランドにおける標準訳として定着し、現在に至るまで版を重ねています(Prószyński i S-ka社などから再刊)。
つまりデーネルではなく、Neufeldówna(最初の単行本訳者)とEvert(戦後の定訳者)の二人が、日本語圏における延原謙訳のような「基準訳」の位置を占めていると考えたほうが正確なようです。なお現代の詩人・小説家Jacek Dehnel氏がホームズ翻訳に関わったという情報は今回確認できませんでした。姓の類似からの誤認だった可能性があります。
「Szerlok Holmes」という初期表記——1907年の小冊子ブーム
前編を書いた際に見つけたポーランドウィキソース(Wikiźródła)の『赤毛連盟』(The Red-Headed League)の翻訳では、本文中でホームズの表記が「Szerlok Holmes」となっていました。現代の標準表記「Sherlock Holmes」とは異なる音写です。この表記の出どころを追ったところ、書誌研究Gronau『Wędrówki po bibliografii: Arthur Conan Doyle』にたどり着きました。同書によれば、1907年前後のポーランドでは、ドイルの短編が独立した小冊子(zeszyt)として刊行され始め、これが当時「出版界のセンセーション」と呼ばれるほどの現象になったとのことです。Nick CarterやNat Pinkerton、Lord Listerといった他の探偵ものや西部劇ものの小冊子シリーズと並行して、クラクフ・ワルシャワ・ルヴフの3都市で複数のシリーズが同時に刊行されていました。
その一つ、ワルシャワで刊行された12冊シリーズ『Szerlok Holmes i jego przygody』こそ、私がWikiźródłaで見つけた「Szerlok」表記の出典元でした。なお、同名の『Klub rudowłosych(赤毛連盟)』は、これとは別に、ルヴフのManiszewski-Meinhart社からも36ページの小冊子として刊行された記録があり、書誌的には別版として存在していたようです。クラクフでは同社の『Ciekawe przygody detektywa geniusza SH』(13冊)や、1908〜09年にかけての大型シリーズ『Szerlok Holmes słynny ajent śledczy』(全80冊)といった、規模の大きな刊行物も存在したようです。正典は60作ですので、この80冊シリーズにはドイル以外の無名書き手による非公認の模作が含まれていた可能性が高いとおもわれます。クロアチアについて調べたときのいわゆるドッペルゲンガー・ホームズが含まれていた、つまり同梱の翻案シリーズと考えられます。「Szerlok」という音写は、この1907年前後の小冊子ブームの中で広く使われていた表記だったと考えられます。
ラジオという受容の持続——フロンチェフスキとトカチクの名コンビ
翻訳・舞台に続いて見落としがちなのが、ラジオドラマでの受容です。ポーランドラジオ劇場(Teatr Polskiego Radia)では1950年代から80年代にかけて長年にわたりホームズものの脚色版(słuchowisko)が放送されており、Bronisław Pawlik、Jan Świderski、Mieczysław Pawlikowski、Tadeusz Łomnickiといった俳優たちが歴代ホームズ役を務めてきました。中でも1970年代後半、Piotr Fronczewskiがホームズ、Jerzy Tkaczykがワトスン役を演じた一連の作品(『Psy się nie mylą(犬は間違えない=『ショスコム・オールド・プレース』)』『Morderstwo przy Park Lane(パークレーンの怪事件)』『Trzej studenci(三人の学生)』ほか、1977〜79年に集中して制作)は、ポーランドラジオにおけるホームズ受容の象徴的なコンビとして記憶されているようです。書籍翻訳者Tadeusz Evert(先述の1956年訳の訳者)がラジオ脚色にも関わっていたかどうかは今回確認が取れておらず、書籍の翻訳とラジオ台本がどの程度地続きだったかは今後の課題です。
テレビ映像化——1958年の『恐怖の谷』、そして1979年の国際合作騒動
映像面では、ポーランド自身が制作したホームズ映像化が興味深いところです。1958年6月7日と8月30日の2回に分けて放送されたテレビ映画『Dolina Strachu(恐怖の谷)』は、Tadeusz Białoszczyńskiがホームズ、Stanisław Libnerがワトスンを演じました。演出はCzesław Szpakowicz。奇しくもこれは以前の記事で取り上げた『恐怖の谷』のポーランド語映像化にあたるので、両記事が思わぬところで繋がりました。
もう一つ興味深いのが、1979〜80年に放送されたテレビシリーズ『Sherlock Holmes and Doctor Watson』です。アメリカのプロデューサーSheldon Reynoldsの制作会社が主導し、ワルシャワの国営放送局傘下スタジオTVP Poltelで撮影された国際共同制作で、Geoffrey Whiteheadがホームズ、Donald Pickeringがワトスン、Patrick Newellがレストレード警部を演じ、全24話が作られました。この作品には撮影終了間際、思わぬスキャンダルが絡んでいます。当時のポーランド国営テレビ(Telewizja Polska)総裁Maciej Szczepańskiが1980年の会計監査で国費濫用の疑いをかけられ、その告発項目の一つに本作の予算超過が含まれていたのです。ネガフィルムの流通が滞り、結局イギリスでは未放送に終わり、アメリカでも1982年に数局のローカル局での放送にとどまったとされています。Szczepański本人は容疑を政治的なものだと主張し、本作はテレビ・ポルスカが手がけた中でも収益性の高い作品の一つで、25カ国に配給権が売れたと述べていたそうです。冷戦下のポーランドが西側のホームズ映像制作拠点になっていたという事実自体が興味深いエピソードです。
もう一点、この時期に絡む映像受容として、ソ連のイーゴリ・マスレンニコフ監督、ヴァシリー・リヴァノフ主演によるホームズシリーズのポーランド語吹替版があります。1979年制作のシリーズから2話、1980〜86年制作の続編シリーズから3話、計5話が1983年にポーランド国営テレビ(当時のTP1)で放送されました。吹替はウッチのStudio Opracowań Filmów(映画製作スタジオ)が担当し、演出Czesław Staszewski、台詞Krystyna Koteckaという体制だったようです。なお、このポーランド語放送版の題名は当時すでに「Sherlock」表記(『Przygody Sherlocka Holmesa i doktora Watsona』)を採用しており、1907年小冊子ブーム期の「Szerlok」表記からは、この時点までに標準化が完了していたことになります。
ファン文化——「団体はないが、受容の形態が違う」
前編の結びで、JSHCやBSIのような文学研究主軸のシャーロキアン団体がポーランドには見当たらない、と書きました。この点、もう少し調べたところ、正確には「公式な文学研究団体はないが、別の形での受容は存在する」と言い直したほうが実態に近いようです。
2017年5月27日にワルシャワで第1回が開催された「Sherlockon」は、ポーランド初にして現在も唯一とされるホームズ・ファンコンベンションです。The Sherlock Holmes Society of London機関誌(2017年冬号)が「大成功を収めた」と好意的に報じるなど、海外のシャーロキアン界からも注目されました。2018年に第2回、2019年に第3回が開催されていることも確認できます。コスプレ、ボードゲーム大会、犯罪捜査の実演など、学術研究というよりはポップカルチャー寄りのイベントですが、それでも組織的な受容の一形態と言えるでしょう。なお、季刊誌『Baker Street 221B』や前編で触れたパイプ・葉巻愛好クラブがSherlockonの公式な協力団体であったかどうかは、今回の調査では確認が取れませんでした。
都市空間にも痕跡があります。ビャウィストク(Białystok)には「Sherlock Holmes Pub」という英国風パブが現在も営業中で、クラクフのヴィスワ川沿い、ヴァヴェル城下にある「Aleja Gwiazd(星の並木道)」——ハリウッドのウォーク・オブ・フェームのポーランド版——には、BBC『Sherlock』でホームズを演じたベネディクト・カンバーバッチの手形が2014年のNETIA Off Camera映画祭の際に埋め込まれています。なおソポト(Sopot)にも同名のパブがありましたが、入居していた建物の解体に伴い2022年に近隣へ移転したとの記録があり、元の場所での営業は終了しているようです。
もう一つ興味深いのが、「zasada Sherlocka Holmesa(シャーロック・ホームズの法則)」という言い回しです。ファン研究資料「No Place Like Holmes」では、「犯人は必ず現場に戻る」という意味の言い回しがポーランド語の慣用句として定着している可能性が指摘されています。ただしこれは仮説(”has been theorized”)として提示されているに過ぎず、語源が本当にホームズ物語に遡るのか、あるいは1940年代のベイジル・ラスボーン主演映画シリーズの人気に由来するのかは、資料自体も断定を避けています。慣用句の語源特定は難しいテーマなので、ここでは「そのような仮説がある」という紹介にとどめておきます。
まとめ
前後編を通して見えてきたのは、ポーランドにおけるホームズ受容が、翻訳(1896年〜、複数世代)→舞台(1906年〜)→ラジオ(1950〜80年代)→テレビ(自国制作の1958年、国際合作の1979年)→ファンコンベンション(2017年〜)という形で、途切れることなく約130年続いてきたという流れでした。JSHCやBSIのような文学研究団体こそ見当たりませんが、これは「受容が薄い」のではなく「受容の形態が異なる」と捉えるほうが正確なようです。日本のシャーロキアン文化との比較という点では、まだまだ掘り下げがいのあるテーマだと感じています。
参考文献・出典
- ポーランド語版Wikipedia「Studium w szkarłacie」(1896年・1903年の初期翻訳史)
- ポーランド語版Wikipedia「Pies Baskerville’ów」/「Bronisława Neufeld」(Neufeldówna訳『バスカヴィル家の犬』の書誌情報)
- klubmord.com の書評(1947年『Późna zemsta』・1956年『Studium w szkarłacie』の翻訳系譜)/Allegro出品情報(Evert訳1956年Iskry社版の確認)
- Wikiźródła「Klub rudowłosych」(初期ポーランド語訳、「Szerlok Holmes」表記)
- Gronau. Wędrówki po bibliografii: Arthur Conan Doyle(1907年小冊子ブームの書誌研究)
- Polskie Radio「Piotr Fronczewski jako Sherlock Holmes」
- The Arthur Conan Doyle Encyclopedia「Dolina Strachu」(1958年テレビ映画)
- 英語版Wikipedia「Sherlock Holmes and Doctor Watson」(1979-80年国際合作シリーズ)
- Dubbingpedia(1983年Livanov版ポーランド語吹替の記録)
- The Sherlock Holmes Society of London機関誌(2017年冬号)/Nasze Miasto「Sherlockon 2019」(ファンコンベンション)
- No Place Like Holmes「Zasada Sherlocka Holmesa」(ファン研究資料、慣用句仮説)
- Klub Fajkowo-Cygarowy im. Sherlocka Holmesa(パイプ・葉巻クラブ)
- Waymarking / Tripadvisor(クラクフAleja Gwiazdのカンバーバッチ手形、ビャウィストク・ソポトのSherlock Pub)

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