2026年4月23日:シャーロッキアン研究の歴史を辿る

シャーロッキアン日記

例によって、ほぼ毎日配信してくれる論文サイトAcademiaから、論文が届きました。

タイトルは『Early Sherlockian Scholarship: Non/fiction at Play』。著者はKate M. Donleyで、アメリカの学術誌『Journal of Transformative Works and Cultures』第23巻(2017年)に掲載されています。

配信日が論文発表日でないのは、何か別のトリガーがあって配信されているのか未だに謎です。

シャーロッキアン研究とは何か

この論文の最大の価値は、「シャーロッキアン学」というものの本質を、きわめて明確に定義している点にあります。

一般的に、ホームズ研究には大きく二つのアプローチがあるとしています。一つは「Doylean」と呼ばれるもので、ホームズ物語を、著者コナン・ドイルによって創作された虚構として分析するアプローチで、もう一つが「Sherlockian」と呼ばれるもので、これはドイルの物語を、実在の人物たちによって書かれた真実の記録として扱うアプローチ。

Doyleanというと、ホームズにこだわらず、ドイルについて広く調べていくことだと思っていましたが、虚構として扱う姿勢を指すというのは、あまり聞いたことがありませんでした。また、ここでSherlockianといっているのは、Sherlockianaと呼ばれたり、The Grand Gameと呼ばれたりするもので、Sherlockianという言葉自体は現在ではここでいうDoyleanのアプローチも含んで指していることが多いと思います。

池田邦彦さんの『シャーロッキアン!』では、ドイルによる創作とするものをRのシャーロッキアン、ホームズは実在したとする立場をとるのがFのシャーロッキアンとして説明しています。RealisticなのかFundamental(原理主義)なのか、ということですね。

私はバリバリFのシャーロッキアンだと思っていて、そのためワトソン博士の出版代理人であったコナン・ドイルについて、いまいち興味が持てて無くて研究がおろそかになっています。でも、ドイルについても知らないといろいろと考察できないこともあって、悩むところです。

この論文では、シャーロッキアンたちは、ワトソンを実在の伝記作家と見なし、その「記録」に内在する矛盾や空白を、まるで歴史的事実を調査するかのように丁寧に扱います。例えば、「まだらの紐」に登場する不可解な牛乳を飲む蛇、「唇の捩れた男」でワトソンの妻が彼を間違った名で呼ぶ理由、あるいはホームズがオックスフォードとケンブリッジのどちらに進学したのかといった問題が、シャーロッキアン学の典型的な研究対象となる、としています。

初期の批評

論文で最も興味深いのは、シャーロッキアン研究の起源についての詳細な追跡です。Donleyによれば、その嚆矢は1902年のFrank Sidgwickが『Cambridge Review』に発表した「An Open Letter to Dr. Watson」まで遡ります。

Sidgwickは、実在の編集委員宛の手紙という虚構の形式を採りながら、ドイルの執筆の矛盾を「文学上の道徳」の問題として批判しています。ここには二重の機知があります。虚構的な形式(手紙という文学形式)を用いて、虚構の人物(ワトソン)に対して、実在の著者(ドイル)の文学的瑕疵を指摘しているのです。

その後、Andrew LangやRonald Knoxといった著名な文学人が、同様の手法で機知に富んだホームズ批評を発表します。特にKnoxの1911年に講演され翌年に出た論文「Studies in the Literature of Sherlock Holmes」は、虚構の学問分野(「ワトソン学」)の論文評論という形で、当時の学術批評そのものを風刺する傑作となっています。

Knoxについては、JSHCのセミナーで数年前に大変秀逸な発表があり(その後機関誌「ホームズの世界」にも掲載)、大変理解が深まった記憶があります。

黄金期と知識人ネットワーク

しかし、単なる文学的遊戯としてのシャーロッキアン学が、より体系的で持続的な mock-scholarship へ発展したのは、1920年代後半のことです。

Dorothy L. Sayers、Desmond MacCarthy、S.C. Robertsといった当代一流の文学人が、シャーロッキアン学に本格的に取り組み始めたのです。Donleyが指摘する重要な点は、彼らが孤立した個人ではなく、相互に連絡を取り合った知識人ネットワークの一部であったということです。Detection Club(推理小説作家の秘密結社)、Bloomsbury Group(モダニスト知識人の集団)、MacCarthyが主宰する文芸雑誌『Life and Letters』――こうした組織や出版プラットフォームを通じて、シャーロッキアン学は一つの知識的運動へと結晶化していったのです。

モダニズム文学との共鳴

この論文で最も新鮮な指摘は、シャーロッキアン学をモダニズム文学の文脈に位置づけた点です。

Donleyは、MacCarthyやRobertsの著作が、Virginia Woolf、Harold Nicolson、André Mauroisといった同時代のモダニスト知識人らが実験していた「新しい伝記」――虚実を混合させた伝記形式――と密接な関わりを持っていたことを詳細に論証しています。

例えば、MacCarthyが1929年にBBC放送で発表した「Miniature Biographies」では、WoolfやNicolsonと同じプラットフォームで、虚構の人物ワトソンの伝記を語っているのです。そしてS.C. Robertsは、アンドレ・モーロワの『伝記論』を英訳した同じ人物で、その知識を活かしてシャーロッキアン学の基礎を築いたのです。

つまり、シャーロッキアン学は、20世紀初頭の先端的な文学実験と同じ系譜に属する営みだったということです。それは単なる「趣味の学問」ではなく、モダニズムの知識人たちが取り組んでいた、文学の虚実の境界についての根本的な問い――その現れの一つだったのです。

「Non/fictionality」という概念

論文を通じて何度も登場するのが「non/fictionality」という概念です。これは、虚実のあいだを揺らぎながら遊ぶ状態を指します。

シャーロッキアン研究者たちは、学術論文という虚構ではない文体を採用しながら、虚構的な存在(ホームズとワトソン)について書きます。注釈を付け、参考文献を挙げ、厳密な論証を展開しながら、実は虚構の世界について語っているのです。

この根本的な矛盾こそが、シャーロッキアン学を「虚偽」ではなく、むしろ一つの洗練された知的遊戯へと昇華させるのだと、Donleyは主張しています。

Donleyが見落としていないのは、この全体的な運動の起源が、実はドイル自身の仕掛けた罠にあるということです。

ドイルは、ホームズ物語を、ワトソンという医師の「記録」という虚構の形式で発表しました。そして物語の随所で、その虚構性を暗に示唆しています。ホームズがワトソンを「Boswell」と呼んだり、ワトソンが「伝記作家」として言及されたりするのです。

こうしたドイルの二重性こそが、後続する何世代もの知識人たちに、この虚実の揺らぎのなかで遊ぶことを招待したのです。

ファン研究への位置づけ

Donleyは、この論文をファン研究(Fan Studies)の枠組みのなかにも位置づけています。シャーロッキアン研究は、いわば初期のファン・コミュニティによる「トランスフォーマティブ・ワーク」(既存の作品世界を批判的に読み換える営為)だというわけです。

ただし、Donleyが強調するのは、これが後代のファンダムとはかなり異なる特性を持っていたということです。初期のシャーロッキアン学者たちは、アマチュアではなく、プロの文学人でした。また、組織化された「ファン・コミュニティ」が存在する前の時代に、その活動は始まっていたのです。

現代のシャーロッキアン・ファンダムが享受しているような、明確な「Game」(ゲーム、つまりホームズとワトソンを実在の人物として扱う集団的な約束事)は、実は1920年代から1930年代にかけて、上記の知識人たちによって形作られていったのです。

「Mock-scholarship」という新しい用語

 

Donleyが提案する最も重要な概念が「Mock-scholarship」(模擬学問)です。

「疑似学問(pseudo-scholarship)」という用語は古くから使われていましたが、Sayersは「不誠実な擬似学問(unscrupulous pseudo-scholarship)」として警告しています。Sayersの指摘によれば、本当の意味での疑似学問は有害で、シャーロッキアン学の精神と実践に完全に反しているというのです。

これに対して、Donleyが提案する「Mock-scholarship」は、学問の形式を意図的に模倣・操作しながら、虚構の世界を検討する営みを指しています。Max Saundersの議論に基づきながら、Donleyはシャーロッキアン学を「non/fictionality」(非虚構性)、つまり虚構的および非虚構的言説の双方との批判的な関わりとして理解しています。この見方によれば、シャーロッキアン学は「虚構的な物語世界を調査するための非虚構的ジャンルの遊び心のある使用」としてのmock-scholarshipとして分類されるのです。

 

結論

Donley論文を読んで改めて思うのは、ホームズ作品がいかに豊かな「遊びの余地」を持っているか、ということです。ドイル自身が仕掛けた虚実の揺らぎに応答する形で、何世代にもわたって、異なる時代の知識人たちが参加してきました。その営為の歴史が、シャーロッキアン研究であると、著者は述べています。

私も、その偉大な営為の末端として、今まさにシャーロック・ホームズ研究という楽しみを得られているのだと思うと、やはり過去の積み重ねについても充分に把握していく必要があると改めて感じた次第です。

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