序章では、仁賀克雄氏の誘いを元に、シャーロッキアンの世界へ「招待」しました。ホームズとワトソンを実在の人物として扱い、ドイルを「ワトソンの文学代理人」とみなす、そんな独特な前提のもとで、正典の矛盾や欠落を謎として読み解いていく営み。それが「The Game」でした。この第1章では、その「The Game」が、単なるファンの思いつきから、厳密な読解と書誌確認を要する学問的営為へと、いかにして成立し、展開してきたのかを、歴史的・方法論的にたどっていきます。序章が「きみもシャーロッキアンにならないか」という呼びかけだったとすれば、本章はThe Gameを、歴史を振り返りながらどのように捉えればよいかを考える位置づけとなっています。
1. 本章の問い:The Gameはいかにして学問的体裁を整えたか
「The Game」を実践するシャーロッキアンの生き方がどのようなものか、序章ですでに一部体感していただきました。Wikipedia「Sherlockian game」の項目も、ホームズとワトソンを実在の人物として扱い、正典の記述と時代背景とを組み合わせて架空の伝記を組み立てる遊びだと定義しています。その一側面として同項目が挙げるのが、正典内部の矛盾や謎を安易な誤りとして片付けず、正典の記述それ自体をできる限り尊重しながら解決ないし説明しようとする態度です。
本章で問いたいのはその先です。後述するとおり、この遊びは1911年、オックスフォードの一学生ロナルド・ノックスが二つのカレッジの研究会で発表し、翌年には論文として公にした、大真面目な学問的パロディとしての形を得ます。その、一人の書き手による知的な思いつきが、なぜ、どのようにして、厳密な読解と書誌確認を要する学問的な営みへと成長していったのか。正典各作品の内容紹介は第2章「正典60作品ガイド」に譲り、本章では「The Gameがどのように学問的な体裁を整えていったか」という展開の道筋に焦点をあてます。
2. 用語整理:シャーロッキアン/ホームジアン/正典/外典/パスティーシュ
本ガイドを通じて使う基本語彙を、ここで一度固定しておきます。
正典(the Canon):コナン・ドイル名義で発表された長編4作・短編56作、計60作品を指します。The Gameにおける「共通のテキスト」であり、証言の集積です。「Canon」という呼称自体、キリスト教における聖書正典(権威あるものとして正式に認められた文書群)になぞらえたもので、この由来は3節で改めて扱います。
シャーロッキアン/ホームジアン:ホームズ愛好家一般を指す呼称です。歴史的には、米国では「Sherlockian」、英国では「Holmesian」と呼び分けられてきましたが、20世紀後半以降この区別は薄れ、両者はほぼ同義で使われるようになっています。クリストファー・レドモンドの『Sherlock Holmes Handbook』の定義も、この英米の使い分けを踏まえたものです。本ガイドでは便宜的に「シャーロッキアン」で統一します。
外典(the Apocrypha):正典60作品には数えられないものの、コナン・ドイル名義で発表された(あるいは本人が公認した)ホームズ関連作品群を指します。代表例に、学生新聞に寄稿された掌編「The Field Bazaar」(1896年)や、「人形の家(Queen Mary’s Dolls’ House)」の蔵書用に自筆で書かれた掌編「How Watson Learned the Trick」(1924年)があります。原則としてドイル名義での発表(ないし本人公認)である点で、次に見る、後世の書き手による「パスティーシュ」とは区別されます。この呼称と範囲は、ジャック・トレイシー編『Sherlock Holmes: The Published Apocrypha』(1980年)によって集成され、今日のシャーロッキアンのあいだで定着しました。
パスティーシュ:後世の書き手が正典の文体や設定を意識的に継承・模倣して書いた作品全般を指します。外典・パスティーシュとも、The Gameにおいては正典と同じ絶対的な位置づけとしては扱われません。
正典各作品の書誌情報(初出誌・初版本など)は第2章で一覧化しますので、ここでは「The Gameの土台となるテキストの範囲」を確認するにとどめます。
3. 正典出版史の見取り図――最小限の輪郭
The Gameの最もよりどころとなる文書、キリスト教における聖書正典(権威あるものとして正式に認められた文書)になぞらえて「正典(Canon)」と呼ばれるのが、この60のホームズ作品です。その60作がどのような順序で世に出たのか、ここでは輪郭だけを示しておきます。
正典は、1887年11月刊行の『緋色の研究』(Beeton’s Christmas Annual 掲載)に始まり、1890年の『四つの署名』(Lippincott’s Monthly Magazine)を経て、1891年から1927年にかけて断続的に The Strand Magazine に短編・長編が発表され、その都度単行本化されていきました。
ここで押さえておきたいのは、英国版(George Newnes 社など)と米国版(Harper & Brothers 社など)が並行して刊行され、収録順や本文に相違があったという事実です。たとえば「ボール箱」のように、英米で収録の有無や収録位置そのものが異なる作品も存在します。こうした版本の異同の詳細は第4章「正典の歴史(後編)」に譲り、本章では「The Gameはどのようなテキストの上に成り立っているか」という一点だけを確認しておきます。
4. なぜ矛盾が研究対象になるのか
序章では、ワトソンの負傷箇所をめぐる矛盾を例に、The Gameの入口を示しました。ここではその例は繰り返さず、その他の矛盾一般の類型を整理しておきます。
正典には、年代の食い違い、ワトソンの負傷箇所、結婚回数、事件の前後関係、地理的な不整合、人物名の表記ゆれ、語られない事件への言及など、魅力に満ちたさまざまな種類の「矛盾」や「空白」が存在します。The Gameの立場に立つシャーロッキアンは、これらを単なるワトソンの記憶違いや出版過程での誤りとして片付けず、「なぜそう書かれているのか」を説明すべき謎として引き受けます。これが、The Gameを単なる読書から研究へと押し上げる原動力になっています。
それぞれの類型がどのようなものか、正典中の代表例をいくつか挙げておきましょう。詳しい論証は第5章に譲りますが、ここで具体例に触れておくことで、次節以降の議論がより具体的に読めるはずです。
年代の食い違い:「赤毛連盟」では、依頼人ジェイベズ・ウィルソンが求人広告を見た日を「4月27日、ちょうど2か月前」と証言する一方、連盟解散を告げる貼り紙には「10月9日」の日付があり、本文が語る「2か月」という経過時間と、実際の暦の上での隔たり(半年近く)とが一致しません。ドロシー・L・セイヤーズも1934年に書いた随筆「The Dates in The Red-Headed League」(随筆集『Unpopular Opinions』所収)でこの矛盾を論じていますが、セイヤーズが冒頭に置いた第一の矛盾はさらに単純です。ワトソンはこの訪問を「土曜日」と書いているものの、貼り紙の日付である1890年10月9日は、実際には木曜日でした。暦を確認すれば誰でも検証できる、反論の余地のない食い違いです。
ワトソンの負傷箇所:序章で触れたとおり、『緋色の研究』では肩、『四つの署名』では脚と、負傷部位の記述が食い違います。
結婚回数:正典本文に記された「私の結婚」への言及だけでは、ワトソンが生涯に何度結婚したのかを一意に確定できません。
地理的な不整合:『バスカヴィル家の犬』の舞台となるダートムーアには、実在の地名と、グリンペンの底無し沼のような架空の地名とが混在しており、正確な地図上の位置を一意に確定することはできません。
人物名の表記ゆれ:「ボヘミアの醜聞」では、ベーカー街221Bの大家の名が、通常の「ハドソン夫人」ではなく「ターナー夫人」と記されています。また「唇のねじれた男」では、ワトソンの妻メアリが夫を「ジェイムズ」と呼ぶ場面があり、ドロシー・L・セイヤーズは随筆集『Unpopular Opinions』(1946年)所収の一篇で、ワトソンのミドルネーム(ジョン・H・ワトソンのH)が「ヘイミッシュ」(スコットランド・ゲール語で「ジェイムズ」に当たる)だったという説を唱えています。
語られない事件への言及:「サセックスの吸血鬼」でホームズが口にする「スマトラの大鼠」など、正典には「まだ世間に発表する準備の整っていない」事件への言及が数多く残されており、パスティーシュの格好の題材になってきました。これら未発表事件の一覧と、各話ごとの言及箇所の詳細は、第2章の各作品項目、および同章末の索引に譲ります。
こうした類型のうち、地理的な不整合をめぐる検討には、年代学と同様に独自の研究の蓄積があります。その展開は本章8節で改めて扱います。
こうした矛盾や空白を、単なる誤りとしてではなく謎として本格的に引き受け、初めて体系的な方法を与えたのが、次に見るロナルド・ノックスです。年代論証そのものの体系化の道筋は本章7節で、地理的な不整合をめぐる研究の系譜は本章8節で、個々の事件の具体的な年代確定の中身は第5章で、それぞれ扱います。
5. 高等批評としての出発点:Ronald Knox の論考
この「矛盾を謎として引き受ける」読み方に、初めて体系的な方法論を与えたのが、ロナルド・ノックスです。ノックスは1911年3月10日、当時23歳、オックスフォードのマートン・カレッジの研究会(Bodley Club)でこの読み方を初めて発表し、その3日後の3月13日にはトリニティ・カレッジの研究会(Gryphon Club)でも発表しました。翌1912年7月号、オックスフォード卒業生たちが編集する雑誌 The Blue Book: Conducted by Oxford Graduates に “Studies in the Literature of Sherlock Holmes” として掲載され、1920年には Blackfriars 誌に、1928年には論集『Essays in Satire』にそれぞれ再録されています。Arthur Conan Doyle Encyclopedia「Ronald A. Knox」および同「Studies in the Literature of Sherlock Holmes」の項目に、これらの版の経緯が整理されています。
ノックスの論考が画期的だったのは、聖書や古典文献の成立過程・出典・編集層を分析する「高等批評」という文献学的手法を、そのままホームズ正典に適用してみせた点にあります。論考は、M・ピフ=プフ(M. Piff-Pouff)やバックネッケ教授(Professor Backnecke)といった(架空の)批評家たちを次々に引用しながら、正典の「成立史」や「異本問題」を大真面目に論じ立てるという体裁を取っています。冒頭でノックスは、批評とは「著者が意図しなかったものを重要と見なし、著者が付随的と考えたものを本質として取り出す」営みだと定義し、この原理をそのままホームズ正典に適用してみせると宣言します。The Postil Magazine に公開されているノックス論考本文に、この冒頭部分が収められています。
論考が実際に模した高等批評の手続きは、複数あります。ひとつは、旧約聖書のイザヤ書に複数の書き手(いわゆる「第二イザヤ」)を想定する文献学的仮説を下敷きにした「第二ワトソン(Deutero-Watson)」説です。文体の違う作品群の背後に、ワトソンとは別の、より力量の劣る書き手を想定するという、聖書学の複数著者説をそのままパロディ化した議論です。
もうひとつは、すでに触れた「最後の事件」でのホームズの「死」と「空き家の冒険」での「生還」という矛盾を、後年の「介在(インターポレーション)」、すなわち、本来の記述に後から手が加えられた部分だとみなす手続きです。ピフ=プフはこれを、ワトソンが自身の都合で仕組んだ狂言だったと論じ、「ライヘンバッハの滝から落ちたのはホームズではなく、ワトソンの信用のほうだ」という趣旨の警句めいた結論を残しています。複数著者説と介在説という、いずれも聖書の高等批評における中心的な手続きを、架空の学者たちの論争というかたちで正典に移植してみせたこの手腕の中に、のちのThe Gameの方法論的な骨格、すなわち、テキストの矛盾を出典・編集の痕跡として読み解くという態度がすでに宿っていました。
実は、ノックス以前にも、正典の矛盾を指摘する動きはありました。1902年1月23日、フランク・シジウィックが弱冠22歳で、英国の『ケンブリッジ・レビュー』誌に “‘The Hound of the Baskervilles’ at Fault”(ワトソン宛の公開書簡)と題する記事を寄せ、『バスカヴィル家の犬』の日付の矛盾を指摘しました。シジウィックの批判は、たとえば脱獄囚セルデンの逃亡から「二週間」が経過したという記述と、御者パーキンズの証言(「もう三日経つ」)や到着曜日から逆算した日付とが食い違う、という具合に、暦と曜日の整合性のみを淡々とチェックする、内的証拠にもとづく指摘に徹していました。Arthur Conan Doyle Encyclopedia のシジウィック論考の項目に、この書簡の実際の文面が引かれています。同じ1902年1月、米国の『ザ・ブックマン』誌にはアーサー・バートレット・モーリスが “Some Inconsistencies of Sherlock Holmes” を発表しています。
シジウィックの仕事が「矛盾の指摘」にとどまったのに対し、ノックスは架空の学者たちを対立させ、高等批評という学問的な型式そのものをパロディ化することで、矛盾の指摘を「体系」へと押し上げました。この方法論上の飛躍こそが、両者を分ける決定的な違いです。もっとも、T・S・ブレイクニーが評したとおり、シジウィックらは「運動を興すには至らなかったが、ノックスはそうした」とされ、The Gameを一つの制度・伝統として立ち上げた功績はやはりノックスに帰されています。Dan Andriacco のブログ記事が、この評を紹介しています。
ドイル自身も、この論考を面白がった一人でした。1912年、ノックスに宛てた書簡のなかで、ドイルは「これほどの手間をこの題材にかけたことに驚いた」としたうえで、「正典は前後の記述を確認せずに、いわば不用意に書き継がれてきたものだから、君のほうが私よりずっとよく知っているに違いない」という趣旨のことを書き送っています。ノートルダム大学のニュース記事がこの書簡の一節を伝えています。作者本人からのこの反応は、The Gameが単なる悪ふざけとしてではなく、ドイル自身にもある種「本気」で受け取られたことを示す、象徴的なエピソードだと言えるでしょう。
6. 初期のプレイヤーと、共同体への広がり
ノックス以後、この遊びを引き継ぎ、制度や文体として鍛え上げていった人々がいます。S・C・ロバーツは1929年、ノックスへの反論として、ケンブリッジ大学出版局から100部限定の小冊子『A Note on the Watson Problem』を刊行し、ワトソンの「伝記」という視点を持ち込みました。SHSL『Sherlock Holmes Journal』掲載の書評とミネソタ大学図書館の展示カタログが、この刊行経緯を記録しています。ロバーツは当時ケンブリッジ大学出版局のSecretary to the Syndics(出版局を統括する事実上の最高責任者)を務めており、自らが率いる出版局からこの小冊子を送り出した形になります。ヴィンセント・スタレットは1933年10月、米国のマクミラン社から『シャーロック・ホームズの私生活』を刊行してホームズの「伝記」を試み、翌1934年6月には英国のアイヴァー・ニコルソン&ワトソン社からも刊行されました。ドロシー・L・セイヤーズも、次節で見る「赤毛連盟」の年代論(1934年)などで、The Gameに本格的に加わった一人です。なお、この時期に活躍したノックス・セイヤーズ・スタウトらの代表的なエッセイは、植村昌夫『シャーロック・ホームズの愉しみ方』(平凡社新書)で日本語の新訳としてまとめて読むことができます。
1934年1月6日、クリストファー・モーリーがホームズの誕生日を祝う集まり(デュアン・ホテルでのカクテル・レセプション)を開いたことをきっかけに、彼を中心にベーカー・ストリート・イレギュラーズ(BSI)が結成されます。BSI 公式サイトの沿革によれば、この日が創設日とされています。モーリーは自ら編集する Saturday Review of Literature のコラム「The Bowling Green」でこの集まりを報じ、これが反響を呼びました。同年6月5日には「最初の正式な会合」がクリスト・チェラのレストランで開かれます。モーリー自身が代表作 “Was Sherlock Holmes an American?” を同誌に発表したのは、その直後の7月21日・28日号でのことでした。そして12月7日、第1回BSI年次晩餐会が催されます。
団体名は、『緋色の研究』や『四つの署名』に登場する、ホームズが情報収集に使う街の少年たちの一団「ベーカー・ストリート・イレギュラーズ」からそのまま採られたものです。この一団を率いる少年の名は正典本文でも「ウィギンズ」であり、団体の代表者が今も「ウィギンズ」と呼ばれる慣習に、この名づけの精神がよく表れています。BSI公式サイトのFAQでも、現代表がこの称号で呼ばれていることが確認できます。モーリー自身は、すでに12歳だった1902年に “The Sign of the Four” と名づけた少年時代の同好会を学友たちと結成しており、BSIはその延長線上にあります。もっとも、モーリー自身はBSIを正式な組織にすることには関心が薄く、1936年の晩餐会を最後に1937〜39年は晩餐会が開かれない休眠期に入ります。次に述べるエドガー・W・スミスの説得によって、BSIが1940年に再開されることになります。
ロンドンでも同年、シャーロック・ホームズ・ソサエティが結成されましたが、こちらは1937年頃から活動が停滞し、1938年、幹事から会員宛に「赤毛連盟同様、解散する」という趣旨の通知が送られる形で解散しました。1951年にシャーロック・ホームズ・ソサエティ・オブ・ロンドン(SHSL)として再興されています。SHSL 公式サイトに、その経緯が記されています。
さらに、モーリーが火をつけた個人的な遊びを、組織だった研究誌の形に育てていったのが、エドガー・W・スミスです。スミスは、BSIの年次晩餐会で読み上げられた論文の一部を1944年にアンソロジー『Profile by Gaslight』としてまとめ、その反響に刺激されて、継続的な学術誌の創刊を思い立ちました。1946年に創刊された『ベーカー・ストリート・ジャーナル』(BSJ)は、エッセイ・図版・ニュースを盛り込んだ、凝った作りの季刊誌でした。BSI公式サイトのBSJ紹介ページも、1946年のエドガー・W・スミスによる創刊以来、シャーロッキアンの中心的な出版物であり続けていると記しています。
スミス自身、ゼネラルモーターズ社の副社長という、アカデミアの外に身を置く人物であり、BSJは「非専門家が、非専門家のために書く学術誌」として出発しました。創刊号にはヴィンセント・スタレットやクリストファー・モーリーらに加え、ミステリ作家アンソニー・バウチャーやエラリー・クイーンといった書き手も寄稿しており、生真面目な考証と遊び心のある「The Gameを演じる」文章とが同居する誌面の性格は、創刊当初から一貫していました。スミスはまた、巻頭コラム「The Editor’s Gas-Lamp」を創始し、みずから寄せた代表的な一篇「The Implicit Holmes」(1946年4月)では「私たちがホームズに惹かれる理由とは何か」という問いから語り起こしています。I Hear of Sherlock Everywhere のブログ記事が、この随筆を紹介しています。
もっとも、この最初のBSJ(旧シリーズ)は1946年から49年にかけて全13号を刊行したところで財政難により休刊し、1951年に「新シリーズ」として再興されて、今日まで刊行が続いています。ノックスひとりの手になる学問的パロディとして始まった「The Game」が、こうして投稿・引用・継続という媒体の形式を得て、研究共同体としての器を持つに至ったのです。
BSI と SHSL そのものの組織的な活動や機関誌については、第9章・第10章に譲り、本章では「制度化の出発点」としての最小限の言及にとどめます。
6.1 スタウトの「ワトソン女性説」――挑発的な仮説の型
この共同体が育っていく中、ノックスの型を最も大胆な形で引き継いでみせた例が、序章で触れたスタウトの論文です。仁賀克雄氏はエッセイの結びで「シャーロキアンと認められるには、ワトスンを女にしてしまったようなスタウトのような、独創的な論文が必要だ」と書きました。ここで名指しされているのが、推理作家レックス・スタウトが1941年1月31日、BSIの年次晩餐会で発表した講演「Watson Was a Woman」です。講演はその後、同年3月1日号のThe Saturday Review of Literature(Vol.23, No.19, pp.3-4)に掲載されました。
スタウトの論は、ワトソンがホームズについて語る口調が「まるで妻が夫について語るようだ」という観察から出発し、正典の随所にその根拠を積み上げていくという体裁を取ります。発表はBSI会員のあいだで大きな物議を醸したと伝えられていますが、この反響ぶり自体はしばしば誇張を伴う逸話として語られており、実際の反応の程度を確認できる一次資料は限られています。
方法論上の意味で見れば、この論文は「矛盾を謎として引き受ける」というThe Gameの基本姿勢を、最も大胆な形で実践してみせた例です。事実の裏づけを積み上げるというより、正典の語り口そのものを別の仮説で一気に読み替えてしまう身振りは、The Gameが単なる実証作業ではなく、いかに大胆な読み替えを許容する遊びであるかを示す標本だと言えます。もっとも、この論文は後年、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる読解の観点から批判的に再検討されてもおり、単純に称揚するだけの逸話としては扱えません。パスティーシュや、後続のジェンダー論・クィア批評とは、ここでは区別して扱っておきます。
7. 年代学――問いから体系へ
ノックスが半ば冗談として提示した年代の不整合という「問い」が、半世紀以上をかけて体系化されていく過程――それが年代学(Chronology)です。The Gameの数ある展開の中でも、年代学がとりわけ「花形」となったのは、ワトソンの結婚・開業・同居といった具体的な生活記述が、事件ごとに矛盾なく積み重なるかどうかを検証できる、最も手触りの確かな謎だったからだと言えるでしょう。この体系化の過程は、The Gameそのものの成熟の縮図でもあります。
まず1930年代前半、複数の書き手がほぼ同時に年代論へ取り組み始めます。S・C・ロバーツは1931年、『Doctor Watson: Prolegomena to the Study of a Biographical Problem』でワトソンの伝記に踏み込んだ年代論を示しました。H・W・ベルは1932年、『Sherlock Holmes and Doctor Watson: The Chronology of Their Adventures』で、事件を発表順ではなく「作中で起きた順」に並べ直すという、当時としては最も野心的な試みを行います。同じ1932年には、T・S・ブレイクニーも『Sherlock Holmes: Fact or Fiction?』のなかで独自の編年論を展開しました。ロバーツの仕事がベルの編年論にどこまで直接影響したかは確たる裏付けを欠きますが、少なくとも同時期に相次いで現れた複数の試みとして押さえておくべきでしょう。
この流れを一人で体系化していったのが、ウィリアム・S・ベアリング=グールドです。1948年に The Baker Street Journal 誌上で発表した論文を出発点に、1955年の私家版『The Chronological Holmes』、1962年の伝記『Sherlock Holmes of Baker Street』を経て、1967年、ついに正典全作品に年代考証を施した『The Annotated Sherlock Holmes』へと結実させます。並行して、アーネスト・ブルームフィールド・ザイスラーも1953年、シカゴのAlexander J. Isaacs社から独自の編年論『Baker Street Chronology: Commentaries on the Sacred Writings of Dr. John H. Watson』(200部限定)を発表しており、ベアリング=グールドと並ぶ主要な仕事として位置づけられています。「Dr. John H. Watsonの聖なる書物への注解」という副題は、2節・3節で見た「Canon=聖書正典になぞらえた呼称」という見立てを誇張してみせた、いかにもThe Gameらしい文体の一例です。Arthur Conan Doyle Encyclopedia「Ernest Bloomfield Zeisler」の項目に、この書誌が記録されています。
こうして相次いで現れた先行する編年論を比較・整理する試みも生まれました。アンドリュー・ジェイ・ペックは1970年、『The Date Being—?』の初版で先行研究の年代対照表を作成し、1973年には補遺を発表、1996年にはレスリー・S・クリンガーとの共著として改訂増補版を刊行しています。クリンガーはさらに2004年から05年にかけて『The New Annotated Sherlock Holmes』を刊行し、ベアリング=グールドの作中年代順という配列を退け、発表順に立ち返って注釈を施すという、もう一つの選択を示しました。そして2011年から12年にかけて、ローリー・R・キングとクリンガーの編による『The Grand Game』全2巻(BSI Press刊)が、こうしたThe Gameの古典を集成し、一世紀にわたる研究の伝統を一望できる形にまとめています。
| 研究者 | 年 | 主著 |
|---|---|---|
| S・C・ロバーツ | 1931 | Doctor Watson |
| H・W・ベル | 1932 | The Chronology of Their Adventures |
| T・S・ブレイクニー | 1932 | Sherlock Holmes: Fact or Fiction? |
| W・S・ベアリング=グールド | 1948〜1967 | The Annotated Sherlock Holmes に至る一連の仕事 |
| E・B・ザイスラー | 1953 | Baker Street Chronology |
| A・J・ペック(/クリンガー) | 1970・1973・1996 | The Date Being—? |
| L・S・クリンガー | 2004〜05 | The New Annotated Sherlock Holmes |
| L・R・キング/L・S・クリンガー | 2011〜12 | The Grand Game |
ここで強調しておきたいのは、これらの編年論者たちが、同じ正典というテキストから出発しながら、しばしば異なる結論に達しているという事実です。本章はこうした編年論の展開を歴史としてたどるにとどめ、どの結論が正しいかを裁定するものではありません。用いられる手がかりの種類そのものは、天候の記述、月齢、ワトソンの結婚回数、正典内の相互参照など、論者間でおおむね共通しています。違いを生むのは、どの手がかりを優先し、どう重み付けするかという「原則」の差です。たとえばベアリング=グールドは、他の手がかりが決め手を欠く場合、最終的には正典中の天候描写を重視して日付を確定する傾向が強いことで知られています。今日でも、シャーロッキアンのコミュニティでは20本近い独立した編年論が数えられており、同じ手がかりを使いながら、なお意見の一致を見ない事件が少なくありません。
具体的な対立点をいくつか挙げておきましょう。よく知られる「ホームズの誕生日は1854年1月6日」という説は、実はベアリング=グールドの独創ではありません。クリストファー・モーリーが1933年1月6日号の Saturday Review of Literature 誌上で、「日付を調べたわけではないが、占星術師が1月生まれだと言うのなら何か祝うべきだ。未決着なら、本号の日付である1月6日を彼の誕生日に推す」と書いたのが出発点です。正典で二度引用される唯一のシェイクスピア劇が『十二夜(Twelfth Night)』であることは、この思いつきを後から補強する理由として持ち出されました。この説はベアリング=グールドの『The Annotated Sherlock Holmes』を通じて広く定着します。もっとも、1月6日は公現祭(Epiphany)当日であり、その前夜すなわちTwelfth Nightは1月5日にあたります。クリスマス当日を1日目として数えれば12日目は1月5日になるため、誕生日は1月5日とすべきだという主張も存在します。「Sherlock Holmes’s Birthday is NOT January 6th After All」と題するI Hear of Sherlock Everywhereの記事は、まさにこの立場から、モーリー起源説とベアリング=グールドによる定着の経緯を跡づけています。誕生日一つを取っても、こうして何重にも意見が分かれるのが年代学の常です。
また『バスカヴィル家の犬』の作中年代についても、ベアリング=グールドは切り裂きジャック事件の年と重なる1888年説を採ったのに対し、多くの他の編年論者は1889年ないし1900年説を採っており、いまだに一致を見ていません。sherlockian.net の解説に、この対立が整理されています。ワトソンの結婚回数(ベアリング=グールドは3回説を採る)も、編年論者のあいだで意見が分かれ続けている論点のひとつです。
こうした「異論の並立」を、むしろ趣味の一ジャンルとして組織立てて楽しもうという動きも、21世紀に入って生まれています。ヴィンセント・W・ライトが2014年に始めたブログ「Historical Sherlock」での議論の蓄積を経て、2021年1月、ブラッド・キーファウヴァー(BSIシャーロッキアン名「Winwood Reade」)を中心に「シャーロッキアン年代学者ギルド(Sherlockian Chronologist Guild)」が結成されました。ギルドは月刊ニューズレター『TIMELINE』を発行し、この100年余りに発表された編年論の一覧を継続的に更新しています。会員は正典中の思い入れのある一日を自分の「ID date(登録日付)」として選ぶ慣習を持っており、これは正典の日付に自分自身を紐づけるという、BSIの「シャーロッキアン名」の伝統に連なる遊びです。年代学というジャンルが、ノックスの冗談から一世紀を経てなお、現役のコミュニティとして更新され続けていることを示す好例と言えるでしょう。
この一本道、「問いから体系へ、そして集成へ、さらに現代のコミュニティへ」、をたどっておくことで、次に見る地理学、そして注釈版という営みが、決して唐突に現れたものではなく、年代学の系譜の延長線上にあることが見えてきます。各事件の具体的な年代配列そのものは、第2章および第5章で改めて扱います。
8. 地理学――座標から場所の特定へ
年代学が「いつ」を主題とするなら、地理学は「どこで」を主題とします。正典の舞台となった実在の街路や建物、あるいはダートムーアの沼のような架空の地名を、現実の地図の上に位置づけ直そうとする試みです。年代学と同じく、この分野もまた、個々の指摘の積み重ねから、半世紀を超える研究の蓄積へと成熟してきました。
出発点となったのは、1958年という同じ年に相次いで現れた二つの仕事です。マイケル・ハリソンは『In the Footsteps of Sherlock Holmes』で、ヴィクトリア朝ロンドンの物価や街並み、当時の政治スキャンダルまでを渉猟し、正典の舞台を分厚い歴史的文脈の中に置き直してみせました。With Love, S.H.のレビュー記事が、その内容と評価を紹介しています。同じ1958年、バーナード・デイヴィスは「Was Holmes a Londoner?」「The Back Yards of Baker Street」といった論考を『Sherlock Holmes Journal』に発表し始め、221Bの実際の位置を特定したと評されています。デイヴィスはその後半世紀近くにわたって約30本の論文を発表し続け、集大成として2008年、シャーロック・ホームズ・ソサエティ・オブ・ロンドンから全2巻の『Holmes and Watson Country: Travels in Search of Solutions』を刊行し、同ソサエティのトニー&フリーダ・ハウレット文学賞を受賞しました。SHSLのデイヴィス追悼記事に、この経緯が詳述されています。
1980年代から90年代にかけて、この分野はロンドンから正典の他の舞台へと広がっていきます。アーサー・アクセルラッドは1984年、『On the Scent』を発表しました。フィリップ・ウェラーは1991年、『バスカヴィル家の犬』の舞台であるダートムーアを対象に、『The Dartmoor of The Hound of the Baskervilles: A Practical Guide to the Sherlock Holmes Locations』を、ホームズ愛好家団体Franco-Midland Hardware Companyから200部限定で刊行しました。ウェラーの方法は、地形・距離・伝承・候補地の関係を文献上で精査するだけでなく、実際にダートムーアを踏査するという身体的な経験そのものを論証に組み込む点に特徴があります。McLaughlin論文に、この手法が詳述されています。
デイヴィッド・ハマーは、正典に明記されない行程を当時の旅行案内(1890年代のベデカーなど)や自らの踏査で補いながら、ホームズの世界を英国から欧州・北米へと広げる一連の旅行ガイドを著しました。1997年の『A Dangerous Game: Being a Travel Guide to the Europe of Sherlock Holmes』はその代表作で、ベルギー・オランダ・パリ・ドイツ・スイス・ストラスブールを扱っています。同様の手法で、英国・北米を扱う続編も手がけました。travelling historiesの記事に、この方法論の詳細が紹介されています。
こうした一連の仕事には、性格の異なる二つの問いが含まれています。ひとつは、作中の距離・方位・移動経路を手がかりに、架空地名を含む舞台全体の配置関係を地図上で再構成しようとする仕事(デイヴィスやハマーの仕事に近い)です。もうひとつは、個々の建物・地名について、現実の着想源となった実在物件を特定しようとする仕事(ウェラーのグリンペン大底無し沼探索に近い)です。両者はしばしば重なり合いながらも、同じ問いに答えるものではありません。
この分野を文学地理学という学術領域の対象として位置づけ直したのが、地理学者デイヴィッド・マクラフリンです。マクラフリンは2016年の論文「The Game’s Afoot: Walking as Practice in Sherlockian Literary Geographies」(Literary Geographies誌、Vol.2, No.2, pp.144-163)で、ハマーの『A Dangerous Game』などを「文学地理学」の実践例として分析し、2023年の論文ではウェラーの手法を「魅惑的な景観の地図化」として学術的に検討しています。Literary Geographies誌の該当ページに、2016年論文の書誌情報が記載されています。年代学がベアリング=グールドやクリンガーといった当事者自身の手で体系化されていったのに対し、地理学はこうして外部の学術研究者による再評価を経てきたという点に、両分野の展開の違いが表れています。
| 研究者 | 年 | 主著 |
|---|---|---|
| マイケル・ハリソン | 1958 | In the Footsteps of Sherlock Holmes |
| バーナード・デイヴィス | 1958〜2008 | Holmes and Watson Country に至る一連の論文 |
| アーサー・アクセルラッド | 1984 | On the Scent |
| フィリップ・ウェラー | 1991 | The Dartmoor of The Hound of the Baskervilles |
| デイヴィッド・ハマー | 1997〜 | A Dangerous Game ほか(欧州・英国・北米編) |
| デイヴィッド・マクラフリン | 2016・2023 | The Game’s Afoot/Mapping enchanted landscapes(学術論文) |
地理学の系譜をこうしてたどっておくことで、次に見る注釈版という営みが、年代学と地理学という二つの実証的な伝統をともに受け継ぐものであることが見えてきます。
9. 注釈版という入口
年代学の系譜の上に位置づけられるのが、正典に注釈を施した「注釈版」です。ベアリング=グールドの『The Annotated Sherlock Holmes』(1967年)が、The Gameの立場から書かれた記念碑的な業績だとすれば、1993年刊行の『The Oxford Sherlock Holmes』(オウエン・ダドリー・エドワーズ総編集)は、The Gameの立場をとらず、正統な文献学の観点から注釈を施したDoylean的な、いわばThe Gameの対極に位置する仕事です。この版は全9巻からなり、各巻をクリストファー・ローデン、リチャード・ランセリン・グリーン、W・W・ロブソンら専門の文献学者が分担して編集しました。Project MUSE掲載の書評エッセイがこの構成を紹介しています。単独の編者が正典全体に一貫した史観を通すベアリング=グールド版やクリンガー版とは、この編集体制の点でも対照的です。なお、このOxford版という企画自体は現在も更新が続いており、2023年にはOxford World’s Classicsのラインナップとして新たな序文・注釈を加えた版が順次刊行され始めています(『四つの署名』の続編にあたる『シャーロック・ホームズの帰還』はクリストファー・ピタードが担当)。ポーツマス大学の紹介記事に、この刷新の経緯が紹介されています。そして2004年、クリンガー編『The New Annotated Sherlock Holmes』が、正典56短編を初出誌掲載順に配列し直し、800点を超える図版とヴィクトリア朝の文脈解説を添えてベアリング=グールドの仕事を更新しました。クリンガー本人の公式サイトに、この構成が記載されています。
これら三つの注釈版は、いずれも正典を精密に読むための入口として機能してきました。ただし、そのうちベアリング=グールド版とクリンガー版の二つはThe Game寄りの立場から書かれているのに対し、Oxford版は文献学寄りの立場を取っており、三つとも「The Gameの入口」というわけではありません。要点を整理すると、次の表のようになります(「Doylean」と「The Game」という立場の違いそのものについては、次の10節で改めて詳しく扱います)。
| 注釈版 | 立場 | 配列 |
|---|---|---|
| ベアリング=グールド版(1967) | The Game寄り | 作中年代順 |
| Oxford版(1993) | 文献学・Doylean寄り | 発表順 |
| クリンガー版(2004〜05) | The Game寄り(図版・文化史重視) | 発表順 |
ベアリング=グールド版とクリンガー版はともにThe Gameの立場から書かれていますが、正典の並べ方という一点では判断が分かれている――このことは、The Gameのなかにも「作中年代を優先すべきか、発表順という歴史的事実を優先すべきか」という方法論上の対立があることを示しています。言い換えれば、The Gameという一つの立場を採ったからといって、読み方が一つに定まるわけではありません。それぞれの読み方の違いや、著名なシャーロッキアンによる序文つき版(モーリーによる1930年のダブルデイ版序文など)の役割については、第5章で改めて詳しく扱います。
10. The Gameの基本公理と、二つの読み方
ここまで、ノックスの高等批評的な出発点から、共同体としての制度化、年代学・地理学の体系化、そして注釈版という到達点まで、主にThe Gameの側の展開を歴史的にたどってきました。その過程で、9節のOxford版のように、これとは対極に位置するDoylean的な仕事にも触れています。ここでいったん立ち止まり、これまで見てきた読み方を、大きく二つの立場として整理しておきましょう。
ドイルを作者として扱い、彼の創作意図や執筆事情から作品を読み解く「Doylean」な読み方と、ワトソンを実際の記録者として扱い、その記述の矛盾や空白を歴史的事実として合理的に解こうとする「Sherlockian」な読み方――すなわちThe Gameです。Transformative Works and Cultures 誌の論考は、この二つのアプローチの区分を整理しています。
本ガイドが基本的に採用するのは後者、The Gameの立場です。これは、Doyleanな研究を軽んじるからではありません。序章で示したとおり、本ガイドはそもそも「ホームズとワトソンは実在し、ドイルはワトソンの文学代理人にすぎない」という公理から出発する読み物として企画されています。その公理を最後まで律儀に守り通すことこそが、正典を単なる娯楽小説としてではなく、精密な読解と検証に値するテキストとして扱う――という本ガイド全体の姿勢につながっています。
ドイルの伝記的事実や創作事情そのものを扱う場面(第14章の日本語訳史など)では、必要に応じてDoyleanな視点にも触れますが、その場合もどちらの立場で書いているかを都度明示することにします。
11. The Gameの効用と限界、そして次章へ
ここまで見てきたように、The Gameはノックス一人による学問的パロディから出発しながら、精密な読解、書誌の確認、引用の管理、そして歴史的想像力を鍛える営みへと成熟してきました。年代学・地理学という二つの実証的な伝統が、それぞれ独自の系譜と現代の担い手を持つに至ったことが、その成熟ぶりを何より物語っています。
裏を返せば、The Gameという一つの読法だけでは届かない領域も、はっきりと存在します。具体的には、次のような領域です。
ドイルの伝記・草稿研究:ドイル自身の執筆事情や生涯そのものを扱うには、Doyleanな文献学的アプローチが必要になります。
出版・書誌の版本論:初版本の識別や版元ごとの異同を突き詰めるには、The Gameの外側にある実証的な書誌学が要ります(第3・4・6章)。
翻訳・受容史:正典が各国語にどう移し替えられ、どう読まれてきたかという問いは、The Gameとは別の受容史・翻訳史の枠組みを必要とします(第14・15章)。
映像・舞台の制作史:ドラマや舞台化の経緯そのものは、The Gameというより演劇史・映像史の対象です。
本ガイドがこの先の章で扱う内容の少なからぬ部分は、実はThe Gameそのものではなく、この「届かない領域」も埋める作業です。The Gameの限界を知っておくことは、その効用を正しく使いこなすための、いわば裏面だと言えるでしょう。
12. 本章で扱わない周辺論点の送り先
ここまで見てきた通り、The Gameの射程は正典の内的な矛盾や年代の問題にとどまらず、周辺のさまざまな論点にも及びます。本章では次の各論点について、深入りせず所在だけを示しておきます。
- 化学・医学知識の正否――ホームズの推理を支える科学的知識がどこまで妥当かという検討は、第7章に譲ります。
- 法と警察制度――ヴィクトリア朝の捜査制度や法体系との整合性は、本ガイドでは詳細を扱わず、将来的に個別記事で扱う可能性があります。
- ホームズの収入と依頼料――同じく本ガイドでは詳細を扱わず、将来的に個別記事で扱う可能性があります。
- 気象・鉄道時刻表――事件当日の天候や、当時の鉄道時刻表との照合は、第5章に譲ります。
これらはいずれもThe Gameの守備範囲に含まれる論点ですが、本章の役割はあくまで「The Gameがどのように学問的な体裁を整えてきたか」という展開の道筋を示すことにあります。個々の論点の深追いは、それぞれの持ち場に譲ることとします。
次の第2章では、この章で輪郭だけを示した正典60作品を、初出・略号・あらすじとともに一覧します。さらに第3章・第4章で出版史を、第5章で注釈版の読み方を、第6章で研究を支える書誌の世界を、それぞれ詳しく扱っていきます。本章で確認した「読法」を、実際の研究にどうつなげていくか、その具体的な道具立てが、ここから始まります。
なお、ここまで見てきたThe Gameの成立と展開は、あくまで英米圏での物語です。この遊び方を日本のシャーロッキアンたちがどう受け止め、独自にどう発展させていったかは、長沼弘毅をはじめとする先達の仕事とともに、第15章「日本のシャーロッキアン研究の歴史」で改めてたどります。
初学者への一歩
ここまで読んで、The Gameの歴史の厚みに気後れする必要はありません。最初の一歩は、正典を読み返しながら、本章で紹介した矛盾のどれか一つ――ワトソンの傷でも、「ジェイムズ」呼びでも構いません――を自分の目で確かめてみることです。矛盾の所在さえ掴めれば、次はそれをめぐって誰がどう論じてきたかを追いかける番です。第2章の作品ガイドは、そのための最初の地図になります。
出典
一次・準一次資料(正典・研究者本人の著作/団体公式の記録)
- Ronald A. Knox – The Arthur Conan Doyle Encyclopedia
- Studies in the Literature of Sherlock Holmes – The Arthur Conan Doyle Encyclopedia
- Studies In The Literature Of Sherlock Holmes(本文) – The Postil Magazine
- Some Inconsistencies of Sherlock Holmes – The Arthur Conan Doyle Encyclopedia(関連:Studies in the Literature of Sherlock Holmes)
- “The Hound of the Baskervilles” at Fault(シジウィックの1902年論考) – The Arthur Conan Doyle Encyclopedia
- The professor, the monsignor and Sherlock Holmes – University of Notre Dame News
- BSI History – bakerstreetirregulars.com(BSI 公式)
- BSI History – The Baker Street Irregulars Trust
- General BSI FAQs – bakerstreetirregulars.com(BSI 公式)
- The Baker Street Journal – bakerstreetirregulars.com(BSI 公式)
- The New Annotated Sherlock Holmes (Vols. 1 & 2) – lesliesklinger.com(クリンガー公式)
- The Red-Headed League – The Arthur Conan Doyle Encyclopedia
- The Man with the Twisted Lip – The Arthur Conan Doyle Encyclopedia
- The Field Bazaar – Wikipedia
- How Watson Learned the Trick – Wikipedia
- Classics of Sherlockiana: The Apocrypha of Sherlock Holmes – I Hear of Sherlock Everywhere(ジャック・トレイシー編『Sherlock Holmes: The Published Apocrypha』1980年の紹介)
- The Sherlock Holmes Society of London 公式サイト
- The Grand Game Volume Two(書誌情報) – The Baker Street Journal(PDF)
- Rex Stout, “Watson Was a Woman,” The Saturday Review of Literature, Vol.23 No.19(1941年3月1日号)pp.3-4
- S. C. Roberts, A Note on the Watson Problem(1929年CUP刊の書誌確認) – SHSL Sherlock Holmes Journal 掲載書評(PDF)
- Andersen Exhibit Catalog – University of Minnesota Libraries(PDF)
- Ernest Bloomfield Zeisler – The Arthur Conan Doyle Encyclopedia
- First American Edition: Private Life, Part 3 – Studies in Starrett
- Battered Silicon Dispatch Box(モーリー論文の1934年7月掲載記録)
二次資料(事典・辞書・研究解説・報道)
- Sherlockian game – Wikipedia
- Sherlockian – Wiktionary
- Early Sherlockian Scholarship: Non/fiction at Play – Transformative Works and Cultures
- Ronald A. Knox: Pioneer Holmesian – Dan Andriacco’s Baker Street Beat
- The Private Life of Sherlock Holmes (book) – Wikipedia
- An Implicit Influence on Edgar W. Smith – I Hear of Sherlock Everywhere
- Unpopular Opinions(ドロシー・L・セイヤーズ随筆集、1946年) – Internet Archive
- William S. Baring-Gould – Wikipedia
- Baring-Gould – Sherlockian.net
- Sherlock Holmes’s Birthday is NOT January 6th After All – I Hear of Sherlock Everywhere
- About – Sherlockchronoguild(Sherlockian Chronologist Guild 公式)
- The OTHER Chronologists – Historical Sherlock
- Timeline No.18(2022年6月号) – RedCircleDC 会報(PDF)
- Edward S. Lauterbach, “The Oxford Sherlock Holmes: A Review Essay,” English Literature in Transition, 1880–1920, Vol. 37, No. 4 (1994), pp. 502–508. Project MUSE
- Karen McLeod, review of The Oxford Sherlock Holmes, The Review of English Studies, Vol. XLVI, No. 183, p. 434. Oxford Academic
- Watson was a Woman? – The John H Watson Society
- Mires, Peat and Bogs Study – Dartmoor National Park Authority
- David McLaughlin, “Mapping enchanted landscapes in Philip Weller’s The Dartmoor of The Hound of the Baskervilles,” cultural geographies, Vol. 30, No. 2 (2023), pp. 259–277. SAGE Journals
- The story behind the Hound – BBC Devon
- Bernard Davies – Obituary – The Sherlock Holmes Society of London
- “It should be great fun to follow in their footsteps”: David Hammer (dis)placing the author – travelling histories
- In the Footsteps of Sherlock Holmes – With Love, S.H.
- David McLaughlin, “The Game’s Afoot: Walking as Practice in Sherlockian Literary Geographies,” Literary Geographies, Vol. 2, No. 2 (2016), pp. 144–163. Literary Geographies誌
- Academic helps give new life to Sherlock Holmes story collection – University of Portsmouth
- 植村昌夫『シャーロック・ホームズの愉しみ方』平凡社新書、2019年


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