2026年10月28日:ホームズは科学を先取りしたのか Nature誌のコニコヴァ論考を読む

シャーロッキアン日記

Nature誌のホームズ論を手がかりに

Nature誌に掲載されたホームズ論のPDFを手に入れました。マリア・コニコヴァの「Fiction: The science in Sherlock Holmes」です。2017年9月21日号の書評・文化欄(Books & Arts)に、ホームズ登場130年を記念して書かれた2ページのエッセイです。

このシリーズでは、ほかの学問分野がホームズをどう扱ってきたかを取り上げてきました。今回の文献は、一つの分野の研究論文ではありません。医学、法科学、心理学にまたがって「ホームズには科学者の顔がある」と論じる、科学コミュニケーションの文章です。査読論文ではなく、科学誌の読者に向けて書かれた論説だという点は、最初に押さえておきたいと思います。とはいえNatureに載るというのはそれなりにすごいことだと思います。

読んでみると、おもしろい指摘と、裏付けの弱い主張や事実の誤りが混ざっていました。そこで今回は、論考の主張を一つずつ取り上げ、背景になる科学史の知識を補いながら、一次資料と照らし合わせてみます。通して考えたいのは、「ホームズは科学を先取りしたのか」という問いです。

「先取り」という言葉の使い分け

論考では、次の四つの異なる関係が、いずれも「先取り」という言葉でまとめられています。

  • 現実に先んじた着想・性能の描写:作品発表の時点で、同じ機能や性能が実現していたか。
  • 後世の科学との類似:同じ現象や仕組みを扱っているか。
  • 後世の研究者への影響:読書記録、書簡、引用など、伝達の証拠があるか。
  • 科学を説明するための利用:比喩や事例として、何を分かりやすくしているか。

たとえば、後で取り上げる記憶の話でいえば、「ホームズの屋根裏部屋のたとえが、記憶の仕組みを説明するのに役立つ」ことと、「ホームズが20世紀の心理学の記憶研究を先取りした」ことは別の主張です。また、研究者が実際にホームズを読んでいたとしても、その理論がホームズに由来するとは限りません。以下では、この区別を基準に各主張を見ていきます。

著者と論考の概要

コニコヴァはコロンビア大学で心理学の博士号を取った書き手で、2013年に『Mastermind: How to Think Like Sherlock Holmes』を出しています(邦訳は日暮雅通訳『シャーロック・ホームズの思考術』早川書房、2014年)。

Amazon.co.jp: シャーロック・ホームズの思考術 (ハヤカワ文庫 NF 454) : マリア・コニコヴァ, 日暮雅通: 本
Amazon.co.jp: シャーロック・ホームズの思考術 (ハヤカワ文庫 NF 454) : マリア・コニコヴァ, 日暮雅通: 本

認知心理学の知見をホームズの言動で説明した本です。今回のエッセイは、その本の論点を短くまとめ直したものと言えます。

論考は大きく三つの柱でできています。

  • エディンバラ大学でのジョゼフ・ベルの臨床教育が、ホームズの観察と推論の原型になった。
  • ドイルが学生時代に触れた医学・法科学の革新(消毒法、毒物学、人体測定法)がホームズに流れ込み、作中のホームズはときに現実の科学より先を行っていた。
  • ホームズの思考法は、のちの心理学(ミラーの記憶容量の研究、瞑想、意思決定のバイアス研究)を先取りしていた。

結びでは、科学を否定する風潮や感情に流されやすい時代だからこそ、合理性の象徴としてのホームズが重要だと述べています。以下、この三つの柱の順に見ていきます。

医学教育と観察:ジョゼフ・ベル

ベルの「方法」とは何か

ジョゼフ・ベル(1837〜1911)はエディンバラ王立病院の外科医で、ドイルは学生時代に彼の外来クラーク(患者を順に呼び入れ、簡単な記録をとる係)を務めました。ベルは初対面の患者の職業や経歴を言い当ててみせ、その根拠を学生に説明しました。診断とは、小さな徴候を見落とさず、そこから推論し、証拠で確かめる作業だというのがベルの教えです。

ベル自身は1892年12月、The Bookman誌に寄せた文章で、学生にはまず観察を教えなければならないと書き、患者の経歴を一目で言い当てれば、患者は医師の治療の力も信頼するようになるとも述べています。コニコヴァが引く言葉はこの文章からのものです。また、ドイルは1892年5月4日付のベル宛書簡で、ベルが説いた推論と観察を軸に、それを極限まで押し進めた人物を作ろうとした、と書き送っています。ここまでは、一次資料で確認できる話です。

逸話の異同:退役将校か、下士官か

コニコヴァは、ベルが退役した陸軍将校の前歴と赴任地バルバドスを言い当てた場面を、ドイルが目撃したと紹介しています。ところが、ドイルの自伝『Memories and Adventures』(1924年)に書かれた患者は、将校ではなく、除隊して間もないハイランド連隊の下士官です。ベルは、帽子を脱がない態度から軍隊上がりで除隊後まだ日が浅いこと、威厳のある物腰から下士官であること、象皮病という西インド諸島の病気からバルバドス駐在を、それぞれ推論しています。

士官と下士官の違いは小さく見えますが、ベルの推論では「下士官である」こと自体が結論の一つです。また、この逸話には別の版もあります。1902年ごろの新聞記事や1911年のベルの死亡記事では、駐在地はバミューダで、その根拠は額の発疹とされています。ベル自身の話として、ハイランド連隊の楽隊員だったと言い当てた、という版も伝わっています。今回確認できた範囲では、印刷された時期はバミューダ版のほうが自伝より早いのですが、どの版がもとの出来事に最も近いのかまでは分かりません。引用するときは、どの史料に拠ったかを明示するのが安全です。

なお、自伝はこの逸話の直前で、ベルの診断は劇的な結果を生むこともあったが、的を外すこともあった、と書いています。成功例だけを取り出すと「超人的な診断家」という像になりますが、この一節も併せて読むと、像が適度に相対化されます。ただし自伝は出来事から40年以上たってからの回想です。出来事そのものを独立に検証した記録とは区別して扱いたいと思います。

ドイルは眼科医として修業したのか

コニコヴァは、ドイルがエディンバラ大学で眼科医としての訓練を受けたと書いていますが、これは誤りです。自伝によれば、ドイルがエディンバラで学んだのは一般の医学で、1876年10月に入学し、1881年8月に医学士となっています。眼科を学んだのは開業後の1891年で、1月から3月にかけてウィーンに滞在しています。帰国後、ロンドンのデヴォンシャー・プレイスに眼科を開業しましたが、患者が来ないあいだに短編を書いたことが、ホームズ短編の連載につながりました。

背景知識:観察から仮説へ

ベルとホームズの「推理」は、前提から必ず結論が導ける演繹だけでは説明しにくい面があります。観察された事実を最もよく説明する仮説を立て、それを確かめる推論で、哲学者パースはこれを「アブダクション(仮説形成)」と呼びました。記号論学者のトマス・シービオクらは1980年に、ホームズの推理とパースのアブダクションを並べて論じています。ベルの臨床推論も、この型でよく説明できると考えられています。

ただし、これは有力な解釈の一つです。論理学者のヤーコ・ヒンティッカとメリル・ヒンティッカは1983年、ホームズの言う「演繹」を、問いを立てて情報を集める探究の中で戦略的に使われる推論として再構成しました。ホームズの推論から演繹を除く必要はない、という立場です。コニコヴァのエッセイはこうした論点に触れていませんが、ホームズの「科学」を考えるうえでは欠かせない背景だと私は考えます。

法科学:血液、毒物、人体測定、消毒

血液検査:フィクションは科学を先取りしたのか

コニコヴァの論考で最も目を引くのは、『緋色の研究』でホームズがヘモグロビンにだけ反応する試薬を見つけたと叫ぶ場面について、「フィクションが科学に先行した」と述べる箇所です。根拠として、ドイツの細菌学者パウル・ウーレンフートが人血の沈降反応検査を見つけたのは1900年になってからだ、と書いています。

ここには二つの問題があります。

一つ目は年です。ウーレンフートが1900年に発表したのは卵白を使った研究で、血液の種類を区別する方法をドイツ医学週報に発表したのは1901年です。その約1週間後には、ヴァッサーマンとシュッツェも同じ方法を発表しています。

二つ目のほうが重要です。ウーレンフートの検査と、ホームズの試薬とでは、答えようとしている問いが違います。沈降反応検査は、免疫反応を使って、ある血液が人に由来するものか動物に由来するものかを区別する方法です。特定の個人の血液かどうかを突き止める検査ではありません。一方、ホームズの試薬は、染みが血液かどうか(ヘモグロビンを含むかどうか)を判定するものです。血液かどうかを調べる方法は、19世紀半ばにはすでにありました。1861年にオランダのファン・デーンが報告したグアヤク脂の呈色反応や、1853年にタイヒマンが報告したヘミン結晶の検出法です。

そして、そのことはホームズ自身が語っています。同じ場面でホームズは、旧式のグアヤク試験は手間ばかりかかって不確実で、血球を顕微鏡で調べる方法も同様で、しかも血痕が数時間たつと役に立たない、と言っています。

旧式のグアヤック・チンキ試験なんて手間ばかりかかって不確実でお話にならないし、血球の顕微鏡検出法だっておなじようなもんだ。ことに顕微鏡法ときたら、付着後数時間を経過した血痕には、もう役にたたないんだからな。そこへゆくとこの方法は、血痕の新旧なんかには無関係です。

(延原謙訳『緋色の研究』新潮文庫)

ただし、「既存の検査があったから先取りではない」と言い切るのも十分ではありません。作中のホームズは、100万倍に薄めた血液にも反応し、血液以外には反応せず、血液が古くても新しくても同じように使えると主張しています。検出法という種類そのものの新しさと、作中で描かれた性能の新しさは別の問題です。グアヤク試験が報告されてから『緋色の研究』まで、四半世紀ほどしかたっていません。それを「旧式」と呼ぶホームズの言い方からは、法医学の検査法が短い期間で入れ替わっていった当時の空気も読み取れます。

そのため、この節で確実に言えるのは、ウーレンフートの検査との比較では「先取り」を立証できない、というところまでです。ホームズの試薬が当時の検査にどれだけ勝っていたかは、グアヤク試験やヘミン結晶法の同時代の性能と比べる、別の課題として残ります。正典の本文を丁寧に読めば、当時の科学の水準まで見えてくる好例だと思います。

毒物学:クリスティソンとドイル自身の人体実験

コニコヴァは、エディンバラの毒物学者ロバート・クリスティソン(1797〜1882)が、ホームズの毒物の知識の着想源だったと述べています。ドイルがエディンバラでクリスティソンらの毒物学に触れたことは、医学史の研究者も指摘しています。ただし、ホームズの毒物知識がクリスティソンに由来するという点は、推測の域を出ません。

むしろ確かな材料は、ドイル自身の行動にあります。ドイルは医学生だった1879年、神経痛の治療に使っていたゲルセミウム(植物由来の毒性のある薬)の量を毎日増やす人体実験を自分に行い、その記録を同年9月20日付のBritish Medical Journalに投書しています。クリスティソンもカラバル豆の毒を自分で飲んで調べた人でした。『緋色の研究』でスタンフォードが、ホームズは植物性アルカロイドを友人に試しかねない男だと評する場面は、こうした当時の医学界の気風と重なって見えます。

人体測定法と指紋:由来の説明にずれがある

『バスカヴィル家の犬』の冒頭で、モーティマー医師はホームズを「ヨーロッパで第二の専門家」(the second highest expert in Europe)と呼びます。ホームズが、では第一は誰かと不満げに尋ねると、モーティマーは、厳密に科学的な精神の持ち主にはベルティヨン氏の仕事が強く訴えるはずだと答えます。そして、実務家としてならホームズに並ぶ者はいない、と付け加えます。延原訳では次のようになっています。

ところがあなたはその方面にかけてはヨーロッパ第二のかただと思うものですから……」
「ほう、なるほど、失礼ながらヨーロッパ第一というのは誰なのでしょう?」ホームズはちょっと開きなおった。
「綿密な科学的批評眼をもってすれば、フランスのベルティヨン氏の仕事をつねに第一に推さなければなりません」
「ではこの問題はベルティヨン氏にご相談なさったらよいでしょう」
「綿密な科学的批評眼をもってすればベルティヨン氏だと申したのです。しかし実際問題の上では、やはりあなたが第一人者ですよ。

(延原謙訳『バスカヴィル家の犬』新潮文庫)

この場面の英語本文では、「第二の専門家」という言葉に「人体測定学で」という限定はついていません。Nature論考のほうは、ホームズは人体測定学でベルティヨンに次ぐヨーロッパ第二の専門家とみなされていた、と限定を補っています。これは論考側の整理であり、本文そのままの言い換えではありません。延原訳でも「ヨーロッパ第二のかた」とあるだけで、何の分野での第二なのかは示されていません。むしろ本文は、ベルティヨンを「厳密に科学的な精神」(延原訳では「綿密な科学的批評眼」)の側に、ホームズを「実務家」(同じく「実際問題の上では」)の側に置いて、二人を別の物差しで比べています。科学者としてのホームズを強調したい論考の文脈では、この区別が見えにくくなっています。

アルフォンス・ベルティヨン(1853〜1914)はパリ警視庁の記録係から身を起こし、頭の長さや前腕の長さなど身体各部を精密に測って記録し、再犯者を特定する方法(人体測定法、ベルティヨン式)を作りました。1880年代に実用化され、各国の警察に広まっています。

ここでコニコヴァは、括弧書きで、指紋法の存在はベルティヨンの仕事のおかげだと書いていますが、これは史実とずれています。指紋による個人識別を最初に科学誌で提案したのは、東京の築地病院にいたスコットランド人医師ヘンリー・フォールズで、1880年10月28日号のNature誌への投書でした。つまり、コニコヴァのエッセイが載ったのと同じ雑誌です。その後、インドで指紋を使っていたハーシェル、統計的な研究を行ったゴルトン、分類法を整えたヘンリーへと受け継がれます。ベルティヨンはむしろ指紋法に抵抗し、渋々自分の体系に取り入れた側でした。1902年のシェフェール事件で指紋による犯人特定に成功してはいますが、人体測定法は最終的に指紋法に取って代わられています。

正典でも、「ノーウッドの建築業者」(1903年)では親指の指紋が事件の鍵になります。ホームズは人体測定法と指紋法の両方の時代を生きた探偵だった、と言えそうです。

消毒法:リスターとの接点

コニコヴァは、消毒法の先駆者ジョゼフ・リスターを通じて、ドイルがパスツールの細菌説に触れたと述べています。リスターは1867年に石炭酸(フェノール)で傷口を消毒する方法を発表し、1869年から1877年までエディンバラ大学の臨床外科教授を務めました。ドイルの入学は1876年10月で、リスターは翌1877年にロンドンのキングズ・カレッジへ移っています。在籍期間が重なるのは長くても1年足らずで、ドイルがリスターに直接学んだことを示す資料は、今回の調べでは見つかりませんでした。直接の受講は未確認です。エディンバラにはリスターの影響が強く残っていたはずなので、間接的な影響だったという見方は仮説として成り立ちますが、これも資料で裏付けた話ではありません。

「技師の親指」でワトスンが石炭酸を含ませた包帯で傷を手当てする場面は、コニコヴァの言うとおりリスター式の処置です。ただ、1889年の事件当時(作品発表は1892年)、これはすでに標準的な外科処置でした。最新科学の紹介というより、医師ワトスンの日常の手つきが正確に書かれている、と読むほうが自然だと思います。

医学教育と「健全な懐疑」

コニコヴァが引く、医学教育は健全な懐疑心と事実への信頼を育て、それがあらゆる思考の最良の土台になる、というドイルの言葉は、1910年10月にドイルがセント・メアリー病院医学校で行った講演に由来するようです。同月4日のDaily Mail紙が講演の要旨を伝えています。講演でドイルは、医学教育の危険として行き過ぎた唯物論も挙げていました。晩年のドイルが心霊主義に傾いていったことを考えると、「健全な懐疑」を説いた同じ講演に、その萌芽が見えるのは興味深いところです。

心理学:記憶、瞑想、バイアス

フロイトとの関係

コニコヴァは、ホームズはフロイトより先に隠れた欲望や衝動を探っていたと述べ、例として「白銀号事件」で調教師が自分の馬を傷つけようとした動機の推理を挙げています。また、ドイルはフロイトの初期の著作や、コカインの効用を説いた1884年の論文「コカについて」を読んでいた、とも書いています。

「コカについて」が1884年に発表されたことは事実です。しかし、ドイルがフロイトを読んでいたという点について、論考には出典がなく、私も裏付けを見つけられませんでした。ただし、これは「読んでいなかった」という結論ではなく、裏付けが確認できていないという意味です。ホームズのコカイン使用を論じた古典的な論文にMusto, “A Study in Cocaine: Sherlock Holmes and Sigmund Freud,” JAMA 204 (1968): 27–32があります。私はまだ書誌と抄録の段階までしか確認できていないので、ドイルの読書歴の裏付けになるかどうかは、今後の確認課題です。

また、「白銀号事件」でホームズが明らかにする動機は、借金と愛人という意識的な事情です。フロイトの言う無意識の欲望とは種類が違います。ホームズが人の内面を推し量るのは確かですが、精神分析の先取りと呼ぶのは言い過ぎだと思います。

屋根裏部屋とミラーの「マジカルナンバー7」

フロイトに続いてコニコヴァが取り上げるのは、記憶の話です。『緋色の研究』の第二章で、ホームズはワトスンに、人間の頭脳を小さな屋根裏部屋にたとえてみせます。

「僕はおもうに」と彼は説明した。「人間の頭脳というものは、もともと小さな空っぽの屋根裏部屋のようなもので、そこに自分の勝手にえらんだ家具を入れとくべきなんだ。ところが愚かなものは、手あたりしだいにこれへいろんながらくたまでしまいこむものだから、役にたつ肝心な知識はみんなはみだしてしまうか、はみださないまでもほかのものとごた混ぜになって、いざというときにちょっととりだしにくくなってしまう。
 そこへゆくと熟練した職人は、自分の頭脳部屋へしまいこむ品物については、非常に注意をはらう。仕事をするに役だつもののほかは、決して手を出さず、といってその種類は非常に多いのだが、これらを彼はきわめて順序よく、きちんと整理しておく。
 そもそもこの頭脳部屋の壁が伸縮自在で、いくらでも拡がりうるものだと思うのがまちがっているんだ。

(延原謙訳『緋色の研究』新潮文庫)

コニコヴァは、このたとえが20世紀の心理学にこだましていると見ます。根拠に挙げるのが、心理学者ジョージ・ミラーが1956年にPsychological Review誌に発表した論文「The magical number seven, plus or minus two」です。コニコヴァによれば、ミラーは脳の代わりに屋根裏部屋が描かれた頭の断面図を使っており、それは偶然ではなく、ホームズの屋根裏部屋の反響だろうというのです。

この主張を確かめる前に、ミラーの論文が何を示したのかを押さえておきます。心理学で最もよく引用される論文の一つです。

ミラーが示したのは、二つの限界でした。一つは、音の高さや大きさのような一次元の刺激を、絶対的な判断で何段階に区別できるかという限界で、おおむね7前後です。もう一つは、聞いた数字や単語をその場で何個まで覚えていられるかという「直後記憶」の範囲で、こちらも7前後です。ミラーは、この二つの「7」は偶然の一致にすぎないと論じました。前者は情報量(ビット)で決まり、後者は項目のまとまり(チャンク)の数で決まるからです。そして、情報をより大きなまとまりに組み替える「再符号化」によって、記憶の限界を広げられることを示しました。その後の研究では、作業記憶の容量はむしろ4前後とする見方も有力になっています(コーワン、2001年)。

では、コニコヴァの言う屋根裏部屋の図はどうでしょうか。私が確認した1956年の原論文には、図は実験データのグラフ9点と、2進数の再符号化を示す表1点だけで、屋根裏部屋の描かれた頭の図は見当たりませんでした。ミラーが別の場所(後年の講演や一般向けの解説書など)でそうした図を使った可能性までは否定できませんが、論考は出典を示していません。出典不明の図を推測で追うより、ここは記憶の種類の違いに注目したほうが得るものがあると思います。

ホームズの屋根裏部屋は、何を長く蓄えるかという長期記憶の話です。ミラーが扱ったのは、その場で保持できる量という短期の記憶です。容量に限りがあるという点は共通していても、両者は別の記憶の仕組みを論じています。現代の心理学では、長期記憶に「満杯になる」ような容量の限界は想定されていません。

そのうえで、ホームズの記憶観を「容量」とは別の角度から学術的に使った研究もあります。エマニュエル・ジェノとジャスティン・ジャコの論文 “The brain attics: the strategic role of memory in single and multi-agent inquiry”(Synthese 197, 2020, 1203–1224。オンライン公開は2018年)です。抄録によれば、この論文は、先に触れたヒンティッカ夫妻の「シャーロック・ホームズ的な意味での演繹」の再構成が、知性と記憶の結びつきも説明できるという主張を検証しています。まず一人の探究者については、分散的で連想的な記憶から内容を引き出す戦略として、次に複数の探究者については、共同体に分散した知識を引き出す戦略として、それが成り立つことを示そうとしています。複数の探究者の例には、宇宙マイクロ波背景放射の発見が取り上げられています。屋根裏部屋のたとえを、何をどれだけしまえるかではなく、しまったものをどう引き出すかの問題として読む道があることを示す例と言えます。

マインドフルネスの先取りか

「赤髪組合」でホームズは、パイプ三服ぶんの問題だと言って、50分間は話しかけないでくれと頼みます。コニコヴァはこれを「方向づけられた瞑想」と呼び、マインドフルネスという考え方が広く普及する1世紀以上前に、ホームズはそれを実践していたと見ています。また、大空白時代(1891〜1894年)にホームズがチベットのラマ僧のもとで過ごしたことも挙げています。

ここは用語の整理が必要です。「マインドフルネス」という英語は、パーリ語の仏教用語「サティ」の英訳として、1881年に仏教学者T・W・リス・デイヴィッズが初めて使ったと、仏教学者ルパート・ゲシンが指摘しています。カバットジンがこの言葉を使った臨床プログラムを始めたのは、ずっと後の1979年です。ゲシンは同じ論文で、臨床プログラムでいう「評価を加えない」注意という定義は、伝統的な仏教の定義と比べて慎重に検討する必要があるとも述べています。マインドフルネスは一枚岩の概念ではない、ということです。

また、瞑想研究では、一つの対象に注意を集中する型と、体験を評価せずに観察する型が区別されています。そのため、「目的を持って集中する」ことと「マインドフルネス」を単純に正反対とは言えません。ただ、パイプを手に目を閉じるホームズは、特定の事件の解決策を考え続けています。この熟考は、呼吸などの対象に注意を向ける瞑想とも同じとは言えません。

したがって、確実に言えるのは範囲を絞った結論です。熟考の場面だけでは、特定の瞑想技法との同一性も、その先取りも立証できません。ホームズの習慣は、「集中して熟考する時間を確保する技術」と呼べば十分納得できます。

感情とバイアス:カーネマンとのつながり

コニコヴァは最後に、『四つの署名』でホームズが、依頼人は問題の一要素にすぎず、感情的な性質は明晰な推理と相容れないと語る場面を取り上げます。そして、感情が意思決定のバイアスを生むという点で、ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』(原著2011年、邦訳は村井章子訳、早川書房、2012年)と結びつけています。

「最も重要なことは個人の特質によって、事件の正しい判断をあやまらないようにすることだね。僕なんか、依頼者もまた単に、問題にたいする材料の一つであるにすぎぬと思っている。感情のうえの好悪というものは、明快なる推理とは相容れない。僕の見たうちで最も心をひかれた美人というのは、保険金ほしさに三人の子供を毒殺して、死刑になった女だった。それから男でいちばんいやなやつだと思ったのは、ロンドンの貧民のため二十五万ポンドちかくも使った慈善家だった」

(延原謙訳『四つの署名』新潮文庫)

背景を補っておきます。カーネマンは、トヴェルスキーとの共同研究(1974年のScience誌論文など)で、人が確率や頻度を判断するときに使う簡便な手がかり(ヒューリスティック)が、系統的な誤り(バイアス)を生むことを示しました。『ファスト&スロー』では、素早く直感的に働く「システム1」と、遅く熟慮的に働く「システム2」という二つの思考のモードで、これを説明しています。

ただし、カーネマンの研究で中心となるバイアスの多くは、感情よりも直感的な判断の仕組みそのものから生じます。また、神経科学者ダマシオらの研究は、感情を失った患者がかえって日常の意思決定に失敗することを示し、感情は合理的な判断を支える面もあると論じています。「感情を排除すれば合理的になれる」という一般化には、この点で問題があります。

一方、『四つの署名』のこの場面を、「理性と感情の19世紀的対立」だけで片づけるのは、コニコヴァに少し厳しすぎるかもしれません。ホームズはここで、人物の魅力や印象に判断を引きずられるな、という注意も述べているからです。続く例も、人物への好悪と、その人についての判断を切り離す話として読めます。魅力的な女性が犯罪者だった例や、不快な印象の男性が慈善家だった例が並んでいます。延原訳が英語の「emotional qualities」を「感情のうえの好悪」と訳しているのも、この読み方に沿っています。ただし、これは訳者の解釈を含んだ訳語なので、原文そのものの意味とは区別しておきます。

これは私の解釈ですが、この部分は、ある人への好印象が他の評価にまで及ぶ「ハロー効果」に近い問題への警戒として読めます。心理学者ソーンダイクは1920年に、将校が部下の特性を別々に評定したはずなのに、評定どうしの相関が「高すぎ、均一すぎる」ことを報告しました(Journal of Applied Psychology 4(1): 25–29)。ホームズの台詞がソーンダイクを先取りしたとは言えませんが、「人物への印象が証拠の評価をゆがめる」という問題の古い例として並べて読むことはできます。つまり、人物への好悪で証拠の評価をゆがめない、という助言には妥当性があります。問題になるのは、そこから「感情は排除すべきだ」と一般化する部分です。

法科学の側にも、似た問題を扱った実験があります。ドロー(Dror)らの2006年の研究では、5人の指紋鑑定の専門家に、以前に本人が「一致」と判定した指紋を、別の文脈をつけて再び見せました。それが、マドリード列車爆破事件で誤って一致と判定された指紋だと示唆したのです。すると、5人中4人が以前と異なる判断をしました(Forensic Science International 156(1): 74–78)。

「ノーウッドの建築業者」で、レストレード警部は壁に残った親指の指紋を決定的な証拠とみなします。一方ホームズは、前日に同じ玄関の壁を調べて指紋がなかったことを知っていたため、夜のうちに付けられたものだと推論し、封蝋に残った指紋を写したものだと見抜きます。指紋そのものは本物でも、それがいつ、どうやって付いたのかという解釈で結論が変わる、という構図です。ドローらの実験と同じ問題を扱っているわけではありませんが、証拠の有無だけでなく、それをどう読むかが問われている点で、並べて読むことはできると思います。

注:モリアーティのモデル

コニコヴァは、モリアーティ教授のモデルは米国の天文学者サイモン・ニューカムかもしれないとも書いています。ニューカム説には確かな証拠がないと、2008年にPhysics Today誌上で伝記作者が書いています。ほかにも大泥棒アダム・ワースなどの候補があり、数ある仮説の一つとして受け取っておくのがよいと思います。今回の「先取り」の問いには直接かかわらないので、詳しくは別の機会に譲ります。

この論考の位置づけ

ホームズと科学をつなぐ一般向けの本は、コニコヴァの前にもありました。E・J・ワグナー『The Science of Sherlock Holmes』(2006年)は、ヴィクトリア朝の法科学の歴史をホームズ物語で照らした本です。ジェイムズ・オブライエン『The Scientific Sherlock Holmes』(2013年)は、化学を中心に、作中の科学知識の正確さを検討しています。これらが「ホームズの時代の科学」を扱うのに対し、コニコヴァは「現代の科学から見たホームズ」を扱い、ホームズが科学を先取りしていたという物語を前面に出しています。

文学上の人物で科学の方法を説明する書き方自体は、ホームズの登場以前にもありました。T・H・ハクスリーは1880年に、ヴォルテールの『ザディグ』を使って、痕跡から過去を復元する科学の方法を説明しています(“On the Method of Zadig”)。ドイルがこれを読んだ証拠があるわけではありませんが、同時代に流通していた説明の型を示す例として、提示しておくだけにします。

前回の意思決定論・ゲーム理論の回では、他分野の文献がホームズ「で」何かを説明している、と書きました。今回のエッセイもその一例ですが、ホームズを現代科学の先駆者として描く分、過去の科学史の細部が現代の概念に引き寄せられやすくなっています。血液検査の比較相手のずれや、ミラー論文の図をめぐる主張は、その典型だと思います。

シャーロッキアン研究への示唆

一つ目は、「先取り」と言う前に、問いをそろえる必要があるということです。ホームズの試薬とウーレンフートの検査は、「血液かどうか」と「人に由来する血液かどうか」という別の問いに答えています。マインドフルネスとホームズの熟考も、同じ技法とは言えません。作中の科学を現代の科学と比べるときは、両者が同じ問いに答えているかを最初に確かめることが、比較の精度を上げる手順になります。

二つ目は、逸話や孫引きは食い違いやすいということです。ベルの患者は、自伝では下士官ですが、論考では将校になっています。駐在地がバミューダになった版や、楽隊員と言い当てた版もあります。ミラーの論文には、あるとされた図が見当たりません。『バスカヴィル家の犬』の「第二の専門家」にも、本文にない限定が補われていました。自伝、書簡、原論文、正典の原文に戻るという地味な作業が、他分野の議論の足場を固めます。

三つ目は、正典の本文が、当時の科学の水準を教えてくれるということです。グアヤク試験を「旧式」と切り捨てるホームズの台詞や、石炭酸の包帯を当然のように使うワトスンの手つきは、1880年代の医学・法科学で何が常識だったかを伝えています。ホームズが時代を超えていた箇所を探すだけでなく、ホームズが時代の中にいた箇所を読むことも、作中の科学を理解する手がかりになると思います。

結び

コニコヴァのエッセイは、ホームズを科学的思考の手本として広く紹介するという目的では、よく書かれた文章です。結びの、科学否定の時代にこそホームズの方法を、という呼びかけにも共感します。ただ、ホームズの方法を本当に適用するなら、論考そのものにもその方法を向けるべきでしょう。観察し、出典に戻り、仮説を確かめる。そうしてみると、「ホームズは科学を先取りしたのか」という問いは、二つに分けて考えたほうがよさそうです。

一つは、歴史上の先駆者だったのかという問いです。今回確認できた範囲では、血液検査も、マインドフルネスも、記憶研究も、先取りと言い切れる根拠は見つかりませんでした。もう一つは、後世の科学を考える材料として有用かという問いです。こちらは、ホームズの記憶観を探究の戦略として読み直す研究や、人物への印象と判断の問題のように、今も使える面があります。前者の答えが「立証できない」でも、後者の価値はなくなりません。この二つを分けて評価することが、今回の成果だと思います。

このシリーズでは、今後もほかの分野がホームズをどう扱ってきたかを取り上げていく予定です。

参考文献

正典(延原謙訳、新潮文庫CD-ROM版)

  • 『緋色の研究』『四つの署名』『バスカヴィル家の犬』『恐怖の谷』
  • 「赤髪組合」「技師の親指」(『シャーロック・ホームズの冒険』)
  • 「白銀号事件」(『シャーロック・ホームズの思い出』)
  • 「空家の冒険」「ノーウッドの建築業者」(『シャーロック・ホームズの帰還』)

今回の論考

  • Maria Konnikova, “Fiction: The science in Sherlock Holmes,” Nature 549, no. 7672 (21 September 2017): 332–333.
  • Maria Konnikova, Mastermind: How to Think Like Sherlock Holmes (Viking, 2013). 邦訳:日暮雅通訳『シャーロック・ホームズの思考術』早川書房、2014年。

ベルとドイル

  • Arthur Conan Doyle, Memories and Adventures (Boston: Little, Brown, 1924), chap. III.
  • Joseph Bell, “Mr. Sherlock Holmes,” The Bookman, December 1892.
  • “Joseph Bell,” The Arthur Conan Doyle Encyclopedia(1892年5月4日付ドイル書簡ほか).
  • “Is Surgeon and Novelist,” The Arthur Conan Doyle Encyclopedia(1902年ごろの新聞記事。バミューダ版).
  • “The Real ‘Sherlock Holmes’ Dead,” The Arthur Conan Doyle Encyclopedia(1911年のベル死亡記事).
  • “Conan Doyle and The Strand Magazine,” The Arthur Conan Doyle Encyclopedia(ウィーン留学).
  • “The Cheery Doctor,” Daily Mail, 4 October 1910(セント・メアリー病院医学校での講演).
  • Thomas A. Sebeok and Jean Umiker-Sebeok, “You Know My Method”: A Juxtaposition of Charles S. Peirce and Sherlock Holmes (1980).
  • Jaakko Hintikka and Merrill B. Hintikka, “Sherlock Holmes Confronts Modern Logic: Toward a Theory of Information-Seeking through Questioning,” in Umberto Eco and Thomas A. Sebeok, eds., The Sign of Three: Dupin, Holmes, Peirce (Indiana University Press, 1983).

法科学・医学史

心理学・思想

モリアーティのモデル

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