2026年7月9日:「あなたのホームズに、私のワトスンを」 現代版“ワトスン役”はどう書き換えられてきたか

シャーロッキアン日記

今回ご紹介するのは、ワルシャワ大学のルツィナ・クラフチク=ジヴコ(Lucyna Krawczyk-Żywko)による論文 “‘My Watson to Your Holmes’: Rewriting the Sidekick”(Anglica: An International Journal of English Studies 24/1, 2015, pp.133–146)です。

タイトルの「My Watson to your Holmes(あなたのホームズに、私のワトスンを)」は、ドラマ『ホワイトチャペル』第2話で、素人リッパロジストのエドワード・ブキャンがチャンドラー警部に対して自分を売り込む際の台詞から取られています。この論文は、この一言に象徴されるように、現代の映像・文学作品に登場する“ワトスン役”たちが、原作のワトスンのどの側面を受け継ぎ、どこを変えているのかを比較検討するものです。

 

出発点:「探偵に相棒は必須か」

論文はまず、P.D.ジェイムズが提示した推理小説の要件(謎の事件・容疑者の輪・探偵・解決)に相棒(サイドキック)が含まれていない点を指摘しつつ、ロナルド・ノックスの有名な「ワトスン役」の定義(読者よりわずかに知能が低い程度であるべき、というもの)や、A.A.ミルンの「ワトスンなしでは物語は成立しない」という主張を紹介します。ドイル自身が「ワトスンを愚か者だと考える者は、作品をよく読んでいないだけだ」という趣旨の発言を残していたことにも触れており、いわゆる“愚鈍な相棒”像が後年のイメージにすぎないことが強調されています。

 

原作のワトスン像:5つの特徴

著者は『緋色の研究』冒頭の経歴(メイワンドのネトリー陸軍病院での訓練、マイワンドでの戦傷、ロンドンでの再出発)を踏まえ、ワトスンを次の5点に整理しています。

忍耐強い人物──ホームズの奇癖や依頼人の対応に耐える
勇敢な人物──軍歴に基づく胆力、拳銃を携えて危険に同行する
退屈な人間ではない──筆が立ち、賭け事もし、不規則な生活にもついていく
魅力的な容姿──痩せて日焼けした青年から、がっしりした壮年へ
不可欠な存在──読者の代弁者・伝達者としての役割

同時に、ヴィクトリア朝的な中流階級の価値観(勤勉・品行方正・慎み深さ)を体現する人物としても位置づけられています。

 

スクリーンの中のワトスン:バカ者から対等な相棒へ

歴史的に「監督たちはワトスンをどう扱えばよいか分かっていない」というローレン・D・エストルマンの評が引かれます。エストルマンはハードボイルド探偵シリーズ「エイモス・ウォーカー」で知られる作家ですが、ドイル財団公認のホームズ・パスティーシュも手がけており、この一文は1986年のエッセイ「On the Significance of Boswells(ボズウェルたちの意義について)」に由来します。

このエッセイの狙いは、ユニバーサル映画版(1939〜1946年)でナイジェル・ブルースが演じた、太った・不器用な・喜劇的な引き立て役としてのワトスン像を批判し、本来のワトスンを取り戻すことにありました。ブルースの演技、モップのバケツに足を突っ込んだり、せっかく見つけた手がかりを鼻をかんで捨ててしまったりといった、コミカルな失態の連続として描かれる演技は、長年ワトスン像を「愚鈍な相棒」として固定してしまったとされます。

なお、著者クラフチク=ジヴコはここで一つ注釈を加えています。エストルマンの1986年の評は、実は1984年に始まっていたグラナダ版テレビシリーズを見落としている、というのです。同シリーズでデイヴィッド・バーク(後にエドワード・ハードウィック)が演じたワトスンは、原作によほど忠実で好意的な人物として評価されており、エストルマンの批判は主にユニバーサル映画とその遺産に対するものと捉えるのが正確、ということになります。

その反転として、1988年の映画『ホームズなしでは(Without a Clue)』では、実はホームズ自身が無能な俳優にすぎず、真の頭脳はワトスン側にあるという逆転劇が描かれました。

2009年以降のガイ・リッチー版映画、BBC『シャーロック』、CBS『エレメンタリー』は、いずれも新しい「ワトスンの時代」の作品として位置づけられていますが、著者はそれぞれ異なる角度からこの3作を論じています。

ガイ・リッチー版は「ブロマンス」的な宣伝とは裏腹に、監督自身は「より対等なパートナー」を志向したとされます。ただし論文が実際に指摘するのは、ホームズ(ロバート・ダウニーJr.)がワトスン(ジュード・ロウ)に強く依存し、彼がベイカー街を去って結婚することを受け入れがたく思っているという点で、この密接な関係性についてはケイリー・トーマスの先行論考が同性愛的な含み(クィア・パラテクスト)を読み取っていることも紹介されています。
CBS『エレメンタリー』については、男女バディものの定番──「しかるべき性的緊張を経てロマンチックなカップルになる」という展開──を裏切り、ホームズと女性版ワトスン(ジョーン、演:ルーシー・リュー)を恋愛関係にせず、対等な独立した探偵同士として描いた点が評価されています。
BBC『シャーロック』については、同性愛的な含みが随所に感じられるにもかかわらず、ジョンは(原作通り)メアリーと結ばれるという指摘がなされています。

つまり3作に共通するのは「探偵がワトスンを対等な存在として必要としている」という描写であり、その関係性の質(親密さ・恋愛化の有無・クィア的含意)はそれぞれ異なる形で論じられています。

 

4つのケーススタディ

論文の核心は、ドイル作品を下敷きにした4作品の“ワトスン役”比較です。それぞれの日本への紹介状況もあわせて記しておきます。

ジェームズ・ウィルソン(『Dr.HOUSE』)──友人としての側面

ハウスの唯一の理解者であり、良心・社会的インターフェースとして機能する人物。ワトスンと違い語り手でも捜査への同行者でもなく、友情そのものにワトスン性が集約されています。

日本への紹介:日本では2005年より専門チャンネルFOXライフHDで放送が始まり、2007年の第2シーズンから邦題『Dr.HOUSE』に改題、2008年からは日本語吹替版も放送されました。地上波でも2009年から日本テレビ系で吹替版が放送されており、現在もHulu・Amazonプライムビデオ等で視聴可能な、日本でも認知度の高い作品です。

エドワード・ブキャン(『ホワイトチャペル』)──助手としての側面

素人のリッパロジストが、次第に警察に欠かせない存在になっていく過程を描く人物。本論文のタイトルの由来となった台詞の発話者でもあります。

日本への紹介:邦題『ホワイトチャペル 終わりなき殺意』。地上波放送歴はないものの、DVDリリースおよびHulu・Amazonプライムビデオ等の配信でシーズン1〜4まで視聴可能です。

セバスチャン・モラン(ニール・ゲイマン「A Study in Emerald」)──記録者としての側面

語り手が実はモリアーティの腹心モランであったという構造上の仕掛けを通じ、ワトスン的な語りの型そのものが問い直される作品。

日本への紹介:邦題「翠色の習作」(「エメラルド色の習作」表記も)。日暮雅通訳で『S-Fマガジン』2005年5月号(No.589)に初訳掲載され、2004年のヒューゴー賞短編小説部門受賞作でもあります。後年、ゲイマンの短編集にも収録されています。

ペネロピ・ハクスリー(キャロル・ネルソン・ダグラス「アイリーン・アドラー」シリーズ)──友人・助手・記録者すべてを兼ねる側面

「思考をぶつける壁」としてアイリーンを支える存在で、著者はこれを4作品中もっとも原作ワトスンに近い後継者と評価しています。

日本への紹介:東京創元社より日暮雅通訳(ゲイマン作品と同じ訳者です)で順次刊行されています。

原題邦題初版Good Night, Mr. Holmes (1990)『おやすみなさい、ホームズさん』上下2011年11月Good Morning, Irene『おめざめですか、アイリーン』2013年11月Chapel Noir『ごきげんいかが、ワトスン博士』上下2019年6月

シリーズはCastle Rouge、Femme Fatale、Spider Danceと続きますが、現時点でCastle Rouge以降は未訳のようです。論文がネルの発言の出典としているCastle Rougeは、この続刊にあたります。

 

まとめ

著者は最後に、P.D.ジェイムズの言葉「彼らが末永く繁栄しますように」を引きつつ、ワトスンという存在の評価が近年ようやく上向いていると結んでいます。長らく「単なる引き立て役」として過小評価されてきたワトスンが、現代の翻案作品群を通じて再定義されつつある、という視点は、ワトスンを軸に据えたパスティーシュ作品を考えるうえでも示唆に富む論文だと思います。

映像2作品は日本でも視聴環境が整っています。文学2作品はいずれも日暮雅通氏という共通の訳者を介して紹介されており、特にダグラスのシリーズは訳出が原書の刊行ペースに追いついていない状況です。

書誌情報
Krawczyk-Żywko, Lucyna. “‘My Watson to Your Holmes’: Rewriting the Sidekick.” Anglica: An International Journal of English Studies 24/1 (2015): 133–146.

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