今日もAcademia(論文配信サービス)で、ホームズのキーワードにひっかかった論文が送られてきました。
正直、かなり難解で頭を使う内容なので、AIにお願いして中身を解説してもらいました。
タイトルは「『シャーロック・ホームズは存在しない』と『シャーロック・ホームズはコナン・ドイルによって創造された』はどのように両立するのか?」というもの。厄介な問いです。
ゲーム派のシャーロッキアンとしては、そもそも「シャーロック・ホームズは実在した」し、「コナン・ドイルはホームズの創造者ではなくワトソン博士の出版代理人」というのが両立していますので、ナンセンスな問いと言えるでしょう。。
と、そこに疑問を呈すると先に進みません。この論文の問いとしては、存在しないものが、どうして創造されたと言えるのか――という話になります。(存在したから想像されない、というのが答えだ!というのはおいておいて。)
この論文では、この問題を「存在の種類を分ける」ことで解決しようとします。
鍵になるのは、「フィクションの登場人物(ficta)」という考え方です。
そして、それらは「存在しないが、具体的な対象として扱えるもの」だとされます。
少しややこしいのですが、ここで言うホームズは二つに分けられます。
ひとつは、物語の中の人物としてのホームズ。
これは当然ながら現実には存在しません。
もうひとつは、「ホームズという名前に結びついた性質の集合」です。
たとえば、「ヴァイオリンを弾く」「ベイカー街に住む」「推理力が高い」といった性質の集まりです。
この「性質の集合」は、数学的な意味での“集合”として実在している、と考えるわけです。
そうすると、「ホームズは存在しない」という文は「現実世界にそのような人物はいない」という意味で正しい。
一方で「ホームズはドイルによって創造された」という文は、「ドイルがその性質の集合を指定した」という意味で正しい、という整理になります。
つまり、両者は同じ「ホームズ」を指しているようで、実は別のレベルの話をしている、ということです。
また、この立場では、作家は「何かをゼロから創造している」のではなく、「もともとあり得る性質の組み合わせを指定している」に過ぎない、という点も興味深いところです。
これは創作という行為をややドライに捉えすぎている気もしますが、一方で、あの膨大な“未記録事件”やパスティーシュの広がりを考えると、ホームズという存在がいかに拡張可能なものかをうまく説明しているようにも思えます。
正直なところ、すべてを完全に理解できたとは言えないのですが、哲学というのはややこしいことを考えるんだな、ということは分かりました。
しつこいようですが、我々シャーロッキアンにとって、ホームズは実在するし、ドイルは出版代理人である、というシンプルなステートメントこそ真実なのには変わりはありません。
先週末に帰国したばかりなのですが、この週末からまた海外出張に行くので、準備などですこし忙しくなりそうです。帰国して落ち着くまでは日記の更新はまばらになると思います。
アイキャッチ画像は、ChatGPTに、本文を参照して作成してもらったものです。

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