2026年9月21日:『ディストリクト・メッセンジャー』で見つけた「Conan Doyle’s Orient」(2026年10月2日開催)

シャーロッキアン日記

先日、Sherlock Holmes Society of London発行のニューズレター『The District Messenger』第467号(2026年8月号)に目を通していたところ、ロンドン大学のInstitute of English Studies(IES)が2026年10月2日に開催するシンポジウム「Conan Doyle’s Orient」の告知が目に留まりました。ドイルと「オリエント」というテーマは、私が普段追いかけている受容史研究、とりわけ中国におけるホームズ受容とも接点がありそうだったので、少し調べてみることにしました。

「Conan Doyle’s Orient」とは

IES公式の趣旨文によれば、本シンポジウムはコナン・ドイル研究を「地方性から解き放つ(deprovincializing)」ことを掲げています。各発表者には、帝国、人種、エキゾチシズムとスピリチュアリズム、オリエンタリズム(オリエンタル・ゴシックを含む)、健康、旅行と観光といった論点が示されています。これはドイルをホームズやイギリス国内の文学史だけに閉じず、帝国・旅行・戦争・古代文明・世界的受容の連関のなかへ置き直す試みとして読むことができそうです。

「地方性から解き放つ(deprovincializing)」という言い回しは、ドイルを探偵小説作家、あるいはイギリス国内の文学史上の一人物という狭い枠組みから解き放ち、帝国体験や旅行、戦争報道、翻訳を介した世界的受容といった、より広い国際的文脈のなかに置き直すことを指しているのだろうと理解しています。

IES公式の趣旨文は、ジョージ・オーウェルの言葉を借りて、ここでいう「オリエント」を「ジブラルタル以南、あるいはスエズ以東」の広い地域として説明しています。したがって対象はアジアに限定されず、エジプトやスーダンも視野に入ります。もっとも「オリエント」は単なる地理名ではなく、19世紀イギリスの帝国・知識・異国表象と切り離せない歴史的な語でもあります。今回のシンポジウムは、その語を無批判に再現するというより、ドイルがそれをどのように想像し、利用したかを問い直す場として読むべきなのだろうと思います。

ドイル自身は1895年から96年にかけてエジプトへ渡航してナイル川をワディ・ハルファまで遡行し、1896年には『Westminster Gazette』の従軍記者として英国・エジプト連合軍に同行し、スーダン戦役をめぐる報告を発表しています。つまりドイルは、エジプト旅行とスーダン戦役の取材経験を持ちながら、アジアを訪れずにその地域を想像し、書いた作家でもあったわけです。この経歴は『コロスコの悲劇』をはじめとする作品群を読む際の伝記的背景にもなっています。

開催情報

ちなみにこのSenate House、私がLSHTM(London School of Hygiene & Tropical Medicine)に留学していた頃、毎日眺めながら通学路を歩いていた、個人的に思い出深い建物でもあります。(下宿していたのは若きホームズが住んでいたのと同じブロックの反対側でした)

オンライン視聴や録画配信、予稿集・論文集の刊行予定については、公式案内には記載が見当たりませんでした。現時点で公式に案内されている参加方法は、会場での有料参加登録です。

プログラム

  • 10:00〜10:10 開会挨拶
  • 10:10〜11:05 Shafquat Towheed(Open University)「The First Anglo-Afghan War (1841–2), Oriental Knowledge, and Arthur Conan Doyle’s The Mystery of Cloomber (1889)」
  • 11:25〜12:20 Eleanor Dobson(University of Birmingham)「Unwrapping Egypt: Arthur Conan Doyle’s Mummy Stories Reconsidered」
  • 12:20〜13:15 James Machin(Goldsmiths, University of London)「Chaldeans, Phoenicians, and Lost Civilisations: Conan Doyle and Near Eastern Antiquity」
  • 14:25〜15:20 Douglas Kerr(Birkbeck, University of London/University of Hong Kong)「Redemption on the Imperial Frontier: Conan Doyle and Kipling」
  • 15:20〜16:15 Darryl Jones(Trinity College Dublin)「Arthur Conan Doyle: Adventures in the Sudan」
  • 16:35〜17:30 Brian Wang(University of Hong Kong)「China through Doyle’s Eyes and Pen」

こうして並べてみると、発表は第一次アフガン戦争を起点に、エジプトのミイラ表象、古代近東、帝国の周縁、スーダン、そして中国表象を横断して、「オリエント」という語がドイル作品の中でどう組み立てられてきたかを問う構成になっているように読めました。

6本の発表、それぞれ気になっていること

Shafquat Towheed氏は、書物史・読書史・出版史を専門とする研究者で、Broadview版『四つの署名』(2010年)の編者でもあります。同版は『四つの署名』を「セポイの反乱」後のインド統治を背景とした小説として位置づけ、1872〜73年のアンダマン諸島流刑植民地に関する報告書や当時の書評といった植民地期の一次資料を付録に収めた学術版です。今回の発表は、1889年刊行の『クルンバーの謎』を、第一次アフガン戦争(1841〜42年)と「東洋知」の形成に結びつけて再読するもののようです。同作自体が、第一次アフガン戦争中の暴力と、その数十年後に及ぶ報復を物語の発端に置いているだけに、どのような同時代資料や植民地言説が参照されるのか気になります。

なお、Towheed氏によるBroadview版『四つの署名』と、後述のDarryl Jones氏が総編集を務めるOxford World’s Classicsの新シリーズ「Oxford Sherlock Holmes」は、ベアリング=グールドやクリンガーに代表される「ゲーム」的な注釈付きホームズ全集の系譜とは別に、一次資料への批判的検証に基づく学術的な注釈版を作るという共通点があるように思います。

Eleanor Dobson氏は、19世紀から20世紀初頭にかけての古代エジプトの文学的・文化的受容、エジプト学とフィクション、科学・魔術・オカルトの交差を研究しています。『Writing the Sphinx: Literature, Culture and Egyptology』(2020)や『Victorian Alchemy: Science, Magic and Ancient Egypt』(2022)の著者です。演題の「Reconsidered」が、ミイラ小説を怪奇小説として読む従来の枠組みに、帝国・考古学・科学とオカルトの交差、あるいは身体・ジェンダーの問題をどう加え直すのか楽しみにしています。対象作品は告知では明示されていませんが、ドイルのミイラ小説としては”The Ring of Thoth”と”Lot No. 249″がまず想起されます。

James Machin氏は、Edinburgh Edition of the Works of Arthur Conan DoyleのTechnical Editorで、今回のIES告知ではGoldsmiths, University of London所属と記されています。『Weird Fiction in Britain 1880–1939』(2018)の著者で、Edinburgh Editionでは『The Stark Munro Letters』(2024)も編集している方です。演題が掲げるカルデア人、フェニキア人、失われた文明は、エジプト中心に語られがちなドイルの「オリエント」を、古代近東と地中海世界へ広げる論点になりそうです。扱われる作品は告知から特定できないため、当日の重要な確認点の一つだと思っています。

Douglas Kerr氏は、Edinburgh Edition of the Works of Arthur Conan Doyleの総編集者で、ドイルの自伝『Memories and Adventures』の編者でもあります。同書はこれまで正式な校訂版が存在していなかったとされ、Kerr氏はその編集にあたって複数の異本・草稿(4種前後)を校合し、本文に登場する歴史上の人物や出来事について詳細な解説注を付す作業を行ったとのことです。さらに2026年5月には『The Tragedy of the Korosko and The Fires of Fate with The Nile Journal』を刊行しました。同巻は『コロスコの悲劇』と戯曲『運命の火』に加え、ドイルが1895〜96年のエジプト滞在中に記した未刊行のナイル日記を初めて収録するものです。エジプト・スーダン経験を一次資料に即して扱ってきた研究者が、「帝国の周縁」をどのようにキプリングとの比較へつなげるのか興味があります。加えてKerr氏はジョージ・オーウェルの帝国表象を論じた『Orwell and Empire』(2022)の著者でもあり、IESの趣旨説明自体がオーウェルの言葉を援用していることを思うと、今回の人選は示唆的に見えます。

Darryl Jones氏は、19世紀文学と大衆文学、怪奇・ホラー研究を専門とし、『The Oxford Sherlock Holmes』の総編集者を務めています。「ドイルのスーダンにおける冒険」という題目が、1896年の従軍記者経験と『コロスコの悲劇』を含む作品群をどのように結ぶのか注目しています。氏の研究領域を踏まえれば戦史だけではない文学史的な議論も期待されますが、具体的な射程は当日の発表を待つ必要があります。

Brian Wang氏の「China through Doyle’s Eyes and Pen」には、個人的に一番注目しています。この演題は、大きく二つの問いを含みうると思います。一つは、ドイルが中国や中国人をどのような語彙・場面・物語装置で描いたかという、ドイル自身の中国表象を問う方向。もう一つは、ドイル作品が中国語に翻訳され、読者・翻案者・出版界によってどう読み替えられたかという、中国における受容史を問う方向です。ドイル自身の中国表象という方向であれば、たとえばホームズが変装して入り込むロンドンのアヘン窟を描く「唇のねじれた男」なども、ヴィクトリア朝における中国・アヘン・都市犯罪のイメージを考える手がかりになりそうです。むろん、Wang氏が実際にこの作品を扱うという意味ではありません。以前221-books.comで紹介したYingxin Chen氏(SOAS)の研究は、1896年から1916年にかけての初期中国語訳を中心に、翻訳を異文化間・異時代間の交渉の場ととらえ、法・正義・犯罪性の概念がいかに組み替えられたかを検討するものでした。Wang氏の発表がこの二つの問いのどちらに重心を置くのか、あるいは両方にまたがるのかは、当日の内容を見てみないと分かりません。

補足ですが、中国受容史については、英語圏の研究だけでなく、日本語で読める研究書も並べておきたいところです。余玟欣氏の『「シャーロック・ホームズ」との出会い―日本・中国における「探偵小説」の始まり』(晃洋書房、2026年2月)は、明治期日本と清末民初中国を並べて、探偵小説というジャンルの受容・翻訳・翻案を近代化のローカルな過程として論じた一冊です。

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先述のChen氏の研究が1896年から1916年までの中国語訳に的を絞っているのに対し、余氏の視点は日本の受容史にも接続しており、対象時期・地域ともにより広い射程を持っています。余氏は日本シャーロック・ホームズクラブ(JSHC)の会員でもあり、会誌『ホームズの世界』への寄稿も行っています。

今後の楽しみ

本シンポジウムについて、現時点で公式に案内されているのは会場での有料参加のみで、録画配信や論文集の刊行予定は確認できていません。発表要旨や録音、あるいは後日の論文化といった続報が出た場合には、特にBrian Wang氏の発表がドイル自身の中国表象と中国での受容史のどちらに重心を置いていたのか、あらためて確認してみたいと思っています。

 

出典

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