10月にGoogleアラートで届いたニュースのなかに、「イディッシュ語のシャーロック・ホームズ」を舞台にかける、という米国の地元紙の記事がありました。主人公の名はマックス・シュピッツコプフ(Max Spitzkopf)。20世紀の初め、イディッシュ語で書かれた探偵小冊子の主人公で、売り文句は「ウィーンのシャーロック・ホームズ」です。2025年に初めて英語に訳され、いま北米で読書会や上演が続いています。
8月にザグレブの偽ホームズ叢書について書いたとき、ドイツで生まれた「作者のいないホームズ」の小冊子が、中欧の各地でさまざまな言語に移されていったことを知りました。シュピッツコプフは、ちょうど同じ時代の、同じような小冊子の世界から出てきた探偵です。ただし、ホームズ本人ではありません。今回は、公開されている資料と研究をもとに、この探偵がどんな本で、どこで、どう売られていたのかをたどってみます。
新聞売りの屋台で
この探偵を後世に伝えた読者の一人が、のちにノーベル文学賞を受けるアイザック・バシェヴィス・シンガーです。イディッシュ・ブック・センターの雑誌『Pakn Treger』77号(2018年夏)の記事によると、シンガーは少年時代を過ごしたワルシャワの回想のなかで、トヴァルダ通りに立つ新聞売りの屋台を描いています。屋台には読み物の小冊子が並び、そのなかに「シャーロック・ホームズ」と「マックス・シュピッツコプフ」がありました。シンガーは別の回想でも、シュピッツコプフと助手のフックスが拳銃を構えて強盗を取り押さえる挿絵と、その台詞が長く頭に残っていた、と書いています。
研究者のネイサン・コーエン(Nathan Cohen)は、2012年の論文で、シンガーの子ども時代の記憶の典拠として、ニューヨークのイディッシュ語日刊紙『フォルヴェルツ』1963年11月15日付に載った連載「古い故郷と新しい故郷から」を挙げています。いずれも、何十年もあとに書かれた回想です。それでも、ワルシャワの少年の目には、ホームズとシュピッツコプフが同じ棚に並ぶ同じ種類の読み物に見えていたことが分かります。ここでいう「ホームズ」が、ドイルの作品の翻訳だったのか、後で見る「作者のいないホームズ」だったのかは、回想からは分かりません。
32頁の小冊子
『Pakn Treger』の記事によると、シュピッツコプフ物は全15話で、1話ずつ32頁で完結する小冊子でした。どの話にも線描の挿絵があり、残っている色刷りの表紙には、前を見すえるシュピッツコプフの横顔が描かれています。刊行時は匿名でしたが、作者がヨナス(イディッシュ語名ヨイネ)・クレッペル(Jonas Kreppel)であることは、当時から公然の秘密だったそうです。
舞台はオーストリア=ハンガリー帝国です。シュピッツコプフはウィーンで探偵事務所「ブリッツ」(稲妻)を構え、助手のヘルマン・フックスとともに各地の事件に向かいます。原題は『マックス・シュピッツコプフ、探偵の王、ウィーンのシャーロック・ホームズ』です。
この小冊子がホームズと決定的に違うのは、主人公がユダヤ人であることでした。『Pakn Treger』が紹介する裏表紙の宣伝文は、まず「鋭い頭脳」で何度も危機を切り抜けてきたと能力を誇り、続けて、彼はユダヤ人であり、機会があればいつでもユダヤ人のために立ち上がってきた、と強調しています。英訳の書評(Jewish Book Council)も、英訳の序文がこの宣伝文をホームズとの「決定的な違い」として取り上げていると伝えています。ホームズの名を借りながら、読者のために働く「自分たちの探偵」を売っていたことが、宣伝文そのものから分かります。
1909年4月16日の広告
この小冊子がいつ出たのかは、資料によって少しずつ違います。作家事典『新イディッシュ文学辞典』は「クラクフ、Y・フィッシャー刊、1908年、15冊」とし、『Pakn Treger』は「1908年ごろ」としています。一方、エディ・ポートノイの書評(Jewish Review of Books、2026年冬号)は、最初の冊子を1909年としています。ただし、ポートノイはその根拠を示していません。
手がかりになるのが、同時代の新聞広告です。ヤギェウォ大学デジタル図書館が公開しているクラクフの週刊紙『ユダヤ絵入り新聞』(Żydowska Gazeta Ilustrowana = Jüdische Illustrierte Zeitung)1909年第14号(4月16日付)に、シュピッツコプフ物の広告が二つ載っています。一つは、1番から15番までの題を並べ、1冊20ヘラー、15冊で3クローネとする販売広告です。もう一つは購読者向けの案内で、半年以上直接購読する人には、通常3クローネの15冊を1クローネで(送料は別)、1年分を前払いする人には15冊のセットか別の本を無料で提供する、としています。各冊は続き物ではなく、それぞれ完結した話だとも書かれています。
この広告から、遅くとも1909年4月16日には、15冊のセットを購読の特典として提供すると新聞が広告していたことが分かります。刊行予定を告げるだけの予告ではなく、セットの提供を申し出る文面です。ただし、広告だけでは各冊の実際の刊行日までは分からず、最初の冊子が1908年に出たのか、1909年に出たのかも決まりません。
コーエンは2012年の論文で、自分が実際に見た2冊として『謎の殺人』と『ある百万長者の秘密』を挙げています。この2つは、1909年の広告の4番と12番にあたります。ただしコーエンによれば、冊子には刊行年がなく、裏表紙の広告では叢書は12冊とされていたそうです。1909年4月の広告の15冊とは数が合いません。12冊の時点で刷られた冊子だった可能性もありますが、これは推測で、刊行の順番を確かめられる資料はまだありません。
英訳で読める二つの場面
英訳書は購入していないので、ここでは公開されている抜粋だけを紹介します。
『Pakn Treger』の記事には、第1話「改宗のための誘拐」(Geroybt tsu der shmad)の英訳が一部載っています。記事の要約によると、ガリツィアの裕福な地主メナシェ・フリッシュの17歳の娘ハネが夜中に姿を消し、父親がウィーンから探偵を呼び寄せる、という話です。英訳で読めるのはその結末で、シュピッツコプフとフックスが馬車を追ってクラクフまで駆けつけ、拳銃を構えて一味を止め、少女を救い出します。少なくともこの場面では、推理の説明よりも、追跡と救出の活劇が前に出ています。
もう一つは、YIVOユダヤ研究所が2026年5月に開いた読書会の教材です。こちらは別の話「娘の売買人」(Der medkhen-hendler)の抜粋で、原文・翻字・英訳が並べてあります。舞台はコンスタンティノープルで、聞き込みに行き詰まったシュピッツコプフが、裕福な若者に扮して娼館を回ります。「ウィーンの探偵」といっても、活動の場はウィーンにとどまりません。なお、教材の原文は現代の正書法に直して打ち直したもので、当時の版面そのものではないと断られています。
全15話を読んだ書評のなかには、推理よりも偶然と活劇で解決する通俗読み物だ、という評価もあります(Thrilling Detective の書評)。訳者のミクル・ヤシンスキー自身も、作中のユダヤ的な色合いは意外に薄いと述べています。二つの抜粋だけから全体を判断することはできないので、ここでは書評と訳者の見方として紹介しておきます。
同じ町の「作者のいないホームズ」
シュピッツコプフが生まれたころ、同じクラクフでは、ホームズ本人を主人公にしたイディッシュ語の小冊子も作られていました。コーエンの論文によると、1907年に始まったドイツの小冊子叢書『世界探偵の秘密記録から』(Aus den Geheimakten des Welt-Detektivs、230冊)がポーランド語に訳され(クラクフ版は1908〜09年、86冊)、そこからさらにイディッシュ語版が作られました。ホームズの助手はワトスンではなく、ドイツ版のハリー・ディクソンを借りた「ハリー・タクソン」です。ザグレブの叢書と同じ系統の「作者のいないホームズ」です。
コーエンが挙げる2つのイディッシュ語版を、シュピッツコプフ物と並べると次のようになります。
| ワルシャワのホームズ叢書 | クラクフのホームズ叢書 | シュピッツコプフ物 | |
|---|---|---|---|
| 主人公 | ホームズ(助手ハリー・タクソン) | ホームズ(同) | マックス・シュピッツコプフ(助手フックス) |
| 刊行地・時期 | ワルシャワ、1907〜08年ごろ | クラクフ、1909年ごろか(コーエンの推定) | クラクフ、1908年ごろ〜 |
| 体裁 | 1話を47頁の3冊に分ける | 1冊21頁で完結 | 1冊32頁で完結 |
| 価格 | 1冊3コペイカ | 1冊10コペイカ(ヘラーと併記) | 1冊20ヘラー(1909年の広告) |
| もとになったもの | ポーランド語版(さらにドイツ版) | 同左 | 不明 |
コーエンによれば、クラクフのホームズ叢書の第1号は「ウィーンでのシャーロック・ホームズ」という題でした。ホームズ本人がウィーンで活躍する話で、シュピッツコプフの「ウィーンのシャーロック・ホームズ」という称号とは意味が違います。名前は似ていますが、二つを結びつける資料はありません。
コーエンは、シュピッツコプフ物をこの叢書と同じ頁で扱いながら、ホームズの名を「借りた」叢書とは区別しています。そのうえで、匿名の作り手たちは、ウィーンの探偵を描いた人気作から着想を得たように思われる、と書いています。候補として挙げているのは、アウグステ・グローナー(1850〜1929年)のヨーゼフ・ミュラー物と、バルドゥイン・グロラー(1848〜1916年)のダゴベルト・トロストラー物です。後者は人物も筋もホームズに似ている、とコーエンは添えています。
グローナーの探偵小説は、オーストリア国立図書館の記録によれば、1895年にはレクラム文庫から出ています。グロラーのトロストラー物は、1900年以後に雑誌に断続的に載り、単行本になったのは1910年からです(Peck 2016)。どちらの作家にも、シュピッツコプフ物より先に刊行された探偵小説があったことになります。ただし、クレッペルが実際にこれらを読み、手本にしたことを示す資料は見つかっていません。コーエン自身も推測の形で書いています。なお、コーエンの論文はグローナーの名を「August」としていますが、正しくは女性作家の Auguste です。
クラクフの出版人
作者のヨナス・クレッペルは、1874年12月25日、ガリツィアのドロホビチでハシディズムの家に生まれました。植字工の技術を身につけ、『新イディッシュ文学辞典』によれば、のちに義父ヨーゼフ・フィッシャーの出版所を引き継いで、クラクフで新聞や雑誌を出しています。コーエンが見た冊子にも、版元はクラクフのフィッシャーの出版所内の「ユダヤ小説社」(Jüdischer Roman-Verlag)と記されていたそうです。1914年にはウィーンへ移りました。シュピッツコプフ物が出たのはそれより前なので、「ウィーンに住む作者が書いたウィーンの探偵」ではありません。クラクフの出版人が、帝国の都の名を冠した探偵を売り出したことになります。
クレッペルはイディッシュ語、ドイツ語、ヘブライ語、ポーランド語で幅広く書き、1920年代にも歴史物や伝説、犯罪物の小冊子を多く出しました。1940年7月21日、ブーヘンヴァルトで殺されています。生涯については、クラウス・クレッペルの伝記(2017年)があります。
コーエンは、シュピッツコプフ物が、のちに「探偵の王ウィリアムソン、パリのシャーロック・ホームズ」という別の叢書に作り直されたと指摘しています。ポーランド国立図書館の目録には、ワルシャワのゴルトファルプ社から1937年に出たこの題の冊子が2冊載っています。どの話をどう作り直したのかまでは、目録からは分かりません。
イディッシュ語のホームズ
イディッシュ語の読者がドイルのホームズそのものに出会ったのは、シュピッツコプフよりも前でした。1900年には、ニューヨークのカッツェネレンボーゲン社から、D・M・ヘルマリン訳『最も偉大な探偵』(Der grester detektiv、91頁、10セント)が出ています。イスラエル国立図書館が公開しているスキャン画像で見ると、本文は「1878年、私はロンドン大学で医学博士の学位を得た」という一文で始まる『緋色の研究』の翻訳で、第1章の題は「シャーロック・ホームズ」です。
コーエンによれば、ワルシャワでも1907〜08年に、週刊誌や日刊紙がドイルのホームズ物を何編か訳載しています。ポートノイは、シュピッツコプフの最初の冊子が出た数か月後に、ニューヨークの日刊紙『ヴァールハイト』が架空の作者名で転載した、とも書いていますが、掲載の日付はまだ確かめられていません。
2025年の英訳
全15話の英訳 Adventures of Max Spitzkopf: The Yiddish Sherlock Holmes は、ミクル・ヤシンスキー訳で、イディッシュ・ブック・センターの出版部門ホワイト・ゴート・プレスから2025年10月に出ました。きっかけは2017年、同センターに最初の5話をまとめた合本が寄贈されたことでした。安い紙に刷られた小冊子は、読み捨てられてほとんど残っていなかったそうです。
英訳の刊行後、YIVOでは原文を読む読書会が開かれ、訳者が全登場人物を演じ、ヴァイオリンとアコーディオンの生演奏を添える舞台「Meet Max Spitzkopf」も、ボストンなど各地で上演の案内が出ています。冒頭で触れたミシガン州の上演は、10月25日に予定されていました。シンガーが屋台で見かけた小冊子が、100年あまりを経て、別の言語の読者のもとに戻ってきたことになります。
残っている問い
- 最初の冊子は1908年に出たのか、1909年か。
- コーエンが見た冊子の「12冊」と、1909年の広告の「15冊」の関係。
- シンガーの1963年の新聞連載の原文。
- グローナーやグロラーの作品と、シュピッツコプフ物とのつながり。
このあたりは、資料が手に入ったら追記するつもりです。
参考文献
- David Mazower, Elissa Sperling and Mikhl Yashinsky, “Max Spitzkopf, the Viennese Sherlock Holmes,” Pakn Treger 77, Summer 2018
- Nathan Cohen, “Sherlock Holmes in the Pale of Settlement: Yiddish Crime Stories 1860–1914,” in Marion Aptroot et al. (eds.), Leket: yidishe shtudyes haynt, Düsseldorf University Press, 2012, pp.253–278(特にpp.272–273、注65–70)
- Żydowska Gazeta Ilustrowana = Jüdische Illustrierte Zeitung, 1909, Nr.14, 16 April 1909(ヤギェウォ大学デジタル図書館)
- “Kreppel, Yoyne,” Leksikon fun der nayer yidisher literatur(Congress for Jewish Culture)
- Eddy Portnoy, “Sherlock: Heimish?,” Jewish Review of Books, Winter 2026
- Jonas Kreppel, Adventures of Max Spitzkopf: The Yiddish Sherlock Holmes, trans. Mikhl Yashinsky, White Goat Press, 2025
- “Adventures of Max Spitzkopf: The Yiddish Sherlock Holmes,” Jewish Book Council
- Isadora Kianovsky, “The Adventures of Max Spitzkopf,” In geveb
- “Was the ‘Yiddish Sherlock Holmes’ the first Jewish superhero?,” J. The Jewish News of Northern California, 29 October 2025(初出 Forward)
- “Max Spitzkopf,” The Thrilling Detective Web Site, 2025
- YIVO, “Community Read: The Yiddish Sherlock Holmes,” 31 May 2026
- “Max Spitzkopf, the Yiddish Sherlock Holmes, Comes to Metro Detroit,” Detroit Jewish News, 8 October 2026
- Clemens Peck, “Detektiv im Krieg: Galizische Spionageabwehr bei Balduin Groller,” Zagreber Germanistische Beiträge 25, 2016, pp.83–97
- “Auguste Groner,” Frauen in Bewegung 1848–1938(オーストリア国立図書館)
- Klaus Kreppel, Jonas Kreppel – glaubenstreu und vaterländisch, Wien: Mandelbaum Verlag, 2017
- Arthur Conan Doyle, Der grester detektiv, trans. D. M. Hermalin, New York: J. Katzenelenbogen, 1900(イスラエル国立図書館)
- ポーランド国立図書館 所蔵リスト(Viliamson, der kenig fun di detektivs: der parizer Sherlok Holmes, Warszawa, 1937)

コメント