2026年10月25日:ヴェニゼロス首相を救うシャーロック・ホームズ:1913年アテネの匿名パスティーシュ

シャーロッキアン日記

academia.eduで論文を探していたところ、「”Yunan” Sherlock Holmes(「ギリシャの」シャーロック・ホームズ)」という題の、トルコ語の短い記事に行き当たりました。書いたのはギリシャのミステリー作家フィリッポス・フィリプーで、セルハン・オゼムラフがギリシャ語からトルコ語に訳しています。掲載誌はトルコの隔月刊ミステリー誌『221B』の第7号(2017年1–2月号)です。2017年1月の刊行案内にも、フィリプーの記事をオゼムラフ訳で載せると記されています。この号はシャーロック・ホームズ特集で、アブデュルハミト2世の探偵小説好きを扱った記事なども並んでいたようです。

読み進めると、1913年のアテネで、ホームズがギリシャのヴェニゼロス首相の暗殺を防ぐ連載小説が、作者名なしで発表されていたという話が出てきました。これは調べないわけにはいきません。今回は「世界のシャーロッキアーナ」の一回として、ギリシャでのホームズ受容の入口になるこの作品を紹介します。作品の本文はギリシャ語なので、ここでは、公開されている書誌情報と、復刊に関わった人たちの発言から分かることをまとめます。

どんな作品か

作品の題名は『Ο Σέρλοκ Χολμς σώζων τον κ. Βενιζέλον』、訳せば『ヴェニゼロス氏を救うシャーロック・ホームズ』です。2013年12月、アテネのアグラ社から単行本が刊行されました。作者は「匿名」、副題は「シャーロック・ホームズの最新の功績より。1913年」、序文は作家のアンドレアス・アポストリディスが書いています。刊行と同じ時期の『タ・ネア』紙は、これを初めての単行本化と紹介しています。

初出は、アテネの総合週刊誌『エラス(Ελλάς)』です。マルコス・クリティコスの紹介記事(2023年)は、第1回を1913年12月19日、最終回を1914年3月13日とし、全25回の連載としています。ただし、この期間と回数には計算の合わない点があり(後で触れます)、正確な掲載書誌は原誌での確認が必要です。

物語の舞台はロンドンです。バルカン諸国との講和の話し合いのためにロンドンを訪れていたヴェニゼロス首相を、ブルガリア側の秘密組織「K.K.K.」が暗殺しようとたくらみます。ホームズがその陰謀を暴き、語り手は正典と同じくワトスン博士です。

『タ・ネア』の紹介によれば、事件の発端は、ホームズがガチョウの胃袋から見つけた恋文です。手紙は翌日の夜10時に「エンペラーズ・ホテル」で会おうという約束で、末尾には「K.K.K.」と署名されていました。ホームズはその紙がブルガリア製であることを見抜きます。秘密組織の略称は、この最初の手がかりの場面から登場しているわけです。ガチョウの体内から手がかりが出てくると聞いて、「青いガーネット」を思い出さないシャーロッキアンはいないでしょう。

雑誌の合本に埋もれていた連載

この作品が百年後に本になった経緯は、序文を書いたアポストリディス自身が、2014年1月の『アナグノスティス』誌のインタビューで語っています。

  • 最初に見つけたのは、冒頭で紹介した記事の書き手フィリプーで、『エラス』の合本をめくっていて行き当たりました。
  • アポストリディスは最初の9回分を読んで価値を認め、アグラ社と相談しました。
  • ところが残りの号が見つからず、半年ほど探し続けることになります。
  • 最後に見つかった合本は背が壊れていて、そのせいで書架の中で見落とされていたのだそうです。

「2013年に復刊された」と一言で書けば済む話ですが、実際には、最初の9回分を確認した後、後続の号を収めた合本を半年がかりで探し出し、ようやく全編の刊行にこぎつけたのでした。書誌を追いかける者としては、この背の壊れた合本の話にいちばん心を動かされました。

その後、本作は2025年7月27日に、『ト・ヴィマ』紙の付録としても刊行されています(224ページ、ISBN 978-618-244-025-4)。百年あまり合本の中に眠っていた連載が、いまは新聞の付録として読まれるようになったわけです。

「ドイルの新作」のように書かれた匿名の小説

なぜ作者は名前を出さなかったのか。アポストリディスは、この匿名性が「コナン・ドイルのオリジナル作品であるかのように見せる遊び」になっていると説明しています。当時の読者にとっては、ギリシャ人の独創よりも、本場の模倣のほうが魅力的だった、というのです。フィリプーも2018年の『ト・ヴィマ』紙の記事で、この作品はドイルの作品であるかのように、作者名なしで載ったと書いています。

ただしアポストリディスによれば、連載の末尾には「F.G.」という曖昧なイニシャルがあるそうです。誰を指すのか、どんな役割の表示なのかも、本文で確かめたい点です。

作者については、『エラス』の責任者で、同誌に連載物語も書いていたスピロス・ポタミアノスが有力候補とされています。2013年の『タ・ネア』紙も、研究者たちはポタミアノスが作者だと考えていると伝えています。ただ、今回確認した公開記事だけでは、作者を確定する証拠までは確認できず、書誌上は「匿名」のままです。

一方で、物語のホームズは正典と少し違うようです。インタビューの聞き手は、ホームズが「警察官」と呼ばれていることと、アヘン系の薬物の使用を嫌う人物として描かれていることを挙げています。アポストリディスは、作者がホームズを当時のギリシャ社会の道徳観に合わせた、という説明が「おそらく」当たっているだろうと答えています。英国の名探偵を借りながら、ギリシャの読者にふさわしい道徳的な人物に手直しした可能性がある、ということです。

政治宣伝の小説なのか

ギリシャの首相が英国の名探偵に救われる、という筋立てからは、親ヴェニゼロス・親英国の宣伝小説ではないか、という疑問が浮かびます。インタビューの聞き手も、まさにそれを尋ねています。

これに対してアポストリディスは慎重です。執筆されたのは第一次世界大戦の前で、のちにギリシャを二分する国王派とヴェニゼロス派の対立(「国民分裂」)は、まだ起きていない。バルカン戦争のさなかに自国の首相を好意的に描くのは自然なことだ、というのです。彼のことばを借りれば、「分裂はまだ来ていない」のです。英国びいきについても、外交上の立場というより、英国の大衆的な英雄と物語の型を借りるという文化的な親近感の表れだと見ています。ただし、作品がヴェニゼロスの国際的な存在感を強調していることは認めています。

後に激しくなる国王派とヴェニゼロス派の対立を、1913年の作品にそのまま読み込まないように、という指摘だと受け止めました。

シャーロッキアンとして気になる「K.K.K.」

ガチョウの件に加えて、私がいちばん引っかかったのは、秘密組織の名前「K.K.K.」です。シャーロッキアンなら、この三文字を見て「オレンジの種五つ」(1891年)を思い出さずにはいられません。正典で「K.K.K.」といえば、アメリカのクー・クラックス・クランのことでした。

匿名の作者は、正典の秘密結社のモチーフを、バルカン政治の文脈に置き換えたのではないか、そう推測しています。ただし、今のところ根拠は略号の一致だけです。作中で組織の正式名称がどう説明されているか、警告や制裁のやり方が「オレンジの種五つ」と似ているかは、ギリシャ語の本文で確かめる必要があります。ガチョウの胃袋の手紙も含めて、正典のどの作品がどこまで下敷きになっているのかは、この作品を読むうえでの大きな楽しみの一つになりそうです。

前後の流れ:1910年から1919年へ

フィリプーのトルコ語記事は、この作品の前後の流れにも触れています。以下の最初の二つは、彼の記事による情報で、私はまだ原誌で確かめていません。

  • 『エラス』は1910年から、ドイルの長編・短編を連載していました。
  • 1913年には、パパニコラウ訳で「ブラック・ピーター」にあたる作品も同誌に載っています。
  • 1919年8月には、週刊誌『シャーロック・ホームズ』が創刊されました。ドイルの作品と並んで、ドイル風に書かれた別の作家の作品も載ったといいます。この週刊誌については、フィリプーが2018年の『ト・ヴィマ』紙の記事でも、研究者ディミトリス・ハノスの調査として紹介しています。

ギリシャのミステリー史では、パヴロス・ニルヴァナスの『プシヒコの殺人』(1927〜28年連載)が初期の重要作とされ、「最初の記名されたギリシャ探偵長編」と紹介されています。一方、アポストリディスは、それより前の匿名作である本作を、現在知られる限りで「おそらく」最初のギリシャ探偵長編と考えています。本人も「今後、新発見があり得る」と留保をつけています。

同じころのオスマン帝国では

トルコの雑誌で見つけた記事なので、トルコ側にも目を向けておきます。ビルケント大学の修士論文(2005年)によれば、ほぼ同じ1913〜14年に、エビュッスレイヤ・サーミの探偵小説シリーズ『トルコ人のシャーロック・ホームズ、アマンヴェルメズ・アヴニ』全10作が刊行されています。論文は、ホームズから着想を得つつも、人物も推理法もホームズとは異なる独自の作品だと結論づけています。

バルカン戦争前後のギリシャとオスマン帝国では、ホームズを自国の政治的な事件に登場させる作品と、ホームズを参照しながら独自の探偵を作る作品が、ほぼ同じ時期に現れていたことになります。英国の名探偵を取り込む、異なる二つの方法として比べてみると面白そうです。

残された謎

最後に、公開資料だけでは確かめられなかった点を挙げておきます。

  • 連載の日付と回数: 1913年12月19日から1914年3月13日までは、両端を含めて85日です。週刊誌なら、毎週載ったとしても13号分にしかなりません。フィリプーの2018年の著作『ギリシャ探偵文学史』も25回としていますが、複数の文献が同じ数字を挙げていることと、その数字が正しいこととは別の問題です。刊行の頻度か、1号に複数回分が載ったのか、日付か回数の誤記なのかは、原誌を見ないと分かりません。
  • 暦: ギリシャは1923年までユリウス暦を使っていました。原誌の日付がユリウス暦なら、西欧の暦では13日後にあたります(1913年12月19日は1914年1月1日)。ただし、暦を換算しても期間の長さは変わらないので、回数の矛盾は解消しません。
  • 作者: ポタミアノス説は有力候補にとどまります。末尾の「F.G.」の意味も未確認です。
  • 正典との関係: 「K.K.K.」と「オレンジの種五つ」、ガチョウの手紙と「青いガーネット」の関係は、まだ私の仮説です。

ギリシャ語の本文と、序文、そして『エラス』の原誌に当たれば、これらの謎の多くは解けるはずです。ギリシャ語に通じたシャーロッキアンの方と知り合うことができたら、続きを共著として、どこかに発表できたらと思っています。

参考文献

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