英国のイベント情報サイトを眺めていたら、”Don’t Go Into The Cellar!”という劇団によるSherlock Holmes Strikes Back!という演目が目に留まりました。マンチェスター郊外のGuide Bridge Theatreでの上演情報として掲載されていたのですが、筆者が確認した時点ではページ上に具体的な上演日は見当たらず、劇団公式サイトで確認できる上演告知の一覧にも、Guide Bridge分の日程は明記されていませんでした。そのため本稿では上演日程には触れず、演目の内容と劇団そのものに焦点を当てて書いてみたいと思います。
「赤毛組合」×モリアーティ×モラン大佐、という組み合わせ
劇団公式サイトに掲載されている演目紹介は、次のように説明しています。「赤毛組合」の謎に挑んだあと、ホームズが宿敵モリアーティ教授、そしてモラン大佐と知恵比べをする内容であり、コナン・ドイルの古典を基にしたオリジナルの舞台化である、とのことです。
正典に親しんでいる方なら、ここで引っかかるはずです。「赤毛組合」の正典における敵役はジョン・クレイであり、モリアーティもモランも登場しません。モリアーティ教授が初めて姿を見せるのは「最後の事件」、モラン大佐が登場するのは「空き家の冒険」です。つまりこの舞台は、本来別々の作品に属する人物たちを一つの物語に組み替えた、独自の翻案ということになります。
実はこうした「赤毛組合にモリアーティを絡める」という発想には前例があります。1985年放送のグラナダTV版シャーロック・ホームズシリーズ(ジェレミー・ブレット主演、脚本John Hawkesworth)の「赤毛組合」の回は、原作にはいないモリアーティ教授(エリック・ポーター)を登場させ、赤毛組合を利用した銀行襲撃計画をモリアーティと結びつける脚色を行いました。この改変について、英語版Wikipediaの当該項目は、原作の単独短編をシリーズ後半の「最後の事件」への前奏曲として位置づけ直す脚色だったと説明しています。今回の舞台版がこの系譜を意識したものなのか、それとも独立して同じ発想に至ったのかは私には分かりませんが、「赤毛組合」という一見完結した短編には、偽組織による誘導、地下道を用いた銀行襲撃、待ち伏せによる逮捕という舞台的に明快な骨格があり、その黒幕を一段上位の宿敵に置き換える余地を残しているように思えます。グラナダ版の改変も、まさにその余地を使った例と見ることができるでしょう。
もう一点、モリアーティと「赤毛組合」の関連について思い出すのは、アンソニー・ホロヴィッツのホームズパスティーシュである『モリアーティ』です。正典の赤毛組合に登場しているジョン・クレイがこのパスティーシュにも登場しているのです。ネタバレになるので、詳しくは説明できませんが、印象的な役割であったということだけは間違いありませんでした。
脚本・主演のJonathan Goodwin氏について
“Don’t Go Into The Cellar!”は、俳優のJonathan Goodwin氏を中心に、ヴィクトリア朝・エドワード朝の文学を独自に舞台化している英国の劇団です。劇場だけでなく、マナー・ハウスやフェスティバルなど英国各地の会場で上演しており、レパートリーはホームズ・ドイル作品にとどまらず、ディケンズ、ブラム・ストーカー、M・R・ジェイムズ、H・G・ウェルズ、オスカー・ワイルドなど広範囲に及びます。多くの演目でGoodwin氏自身が脚本と出演を兼ねており、劇団公式サイトで現在確認できるホームズ関連演目だけでも、Sherlock Holmes Strikes Back!のほか、Sherlock Holmes: The Sign of the Four(『四つの署名』)、The Hound of the Baskervilles(『バスカヴィル家の犬』)、A Study in Scarlet(『緋色の研究』)、Memoirs of Sherlock Holmes、Sherlock Holmes’ Christmas Casebook(「青い紅玉」を軸としたクリスマス公演)が並んでいます。Goodwin氏自身、これらの戯曲をまとめた台本集Don’t Go Into The Cellar, Mr Holmes!: Sherlock Holmes Stories Re-Imagined for the Stageも、MX Publishingとの提携により刊行しています。
Goodwin氏はシャーロキアンとしての経歴も持っています。2013年の劇評サイトThe Secret Victorianistの記事によれば、氏は13歳でロンドン・シャーロック・ホームズ・ソサエティに入会しており、これは同ソサエティ史上最年少入会にわずかに次ぐ記録で、最年少はスティーブン・フライだった、とその劇評は伝えています(この点はあくまで劇評者による紹介であり、ソサエティ自体の公式記録を私が確認したわけではないことをお断りしておきます)。
またGoodwin氏は、吸血鬼文学の愛好団体Dracula Societyが授与するHamilton Deane Awardの受賞者でもあります。同協会の公式サイトによれば、これは新型コロナウイルス流行下の2020年、オンラインでゴシック・ホラー演劇を演じ続けた功績に対する特別賞で、実際の授与はパンデミックによる中断を経て、2021年11月6日の第46回Bram Stoker Birthday Dinnerの席で行われました。この賞の歴代受賞者には、舞台版Frankenstein(ナショナル・シアター)でのBenedict Cumberbatchや、BBC制作のM・R・ジェイムズ原作『The Tractate Middoth』などで二度受賞したMark Gatissの名も見えます。両氏はいずれもこの受賞理由そのものではホームズと直接関わりはありませんが、CumberbatchはBBCドラマ『SHERLOCK』でホームズ役を、GatissはBBCドラマ『SHERLOCK』の共同制作者・脚本家としてマイクロフト役も演じており、シャーロキアンとしては見逃せない顔ぶれです。
おわりに
大きな劇場のプロダクションではなく、地方の劇場やマナー・ハウス、フェスティバルなどを巡演する小規模な一人芝居中心の活動ですが、正典の枠を超えてキャラクターを組み替える「翻案の遊び」という点では、案外シャーロキアン研究的に汲み取れる要素があるように感じます。上演日程が確認でき次第、また続報として取り上げられればと思います。
出典
- The List: Don’t Go Into The Cellar: Sherlock Holmes Strikes Back!(Guide Bridge Theatre)
- Don’t Go Into The Cellar! 公式サイト レパートリー一覧
- Don’t Go Into The Cellar! 公式サイト What’s On
- Amazon: Don’t Go Into The Cellar, Mr Holmes!: Sherlock Holmes Stories Re-Imagined for the Stage(書誌情報)
- The Secret Victorianist: Theatre Review: The Singular Exploits of Sherlock Holmes(Goodwin氏の経歴に関する劇評)
- The Dracula Society: The Hamilton Deane Award(受賞理由・歴代受賞者一覧)
- The Dracula Society: Events Archive(2021年11月6日の授与式に関する記録)
- Wikipedia: The Red-Headed League (Sherlock Holmes) ― グラナダTV版1985年放送回の翻案に関する記述
- Wikipedia: The Red-Headed League ― 原作あらすじ

コメント