*本記事は著者が2006~07年にロンドン滞在時に訪問した記録です。当時の情報であることをご承知おきください。
今回はロンドンの中心地の一つ、エロス像で有名なPiccadilly Circus駅周辺を探索してみたいと思います。当時から中心だったためか、8箇所のゆかりの土地があります。
駅を出ると有名な有名なエロス像があります。
1. Cafe Royal – 68 Regent Street, W1
エロス像のあるPiccadilly CircusからReagent通りに入って右手を歩いてすぐの所にあります。食事するのに良いところということですので、一度くらいは入ってみたいものです。
「高名な依頼人」
そのときの記事はつぎのようなものだった。
有名な私立探偵シャーロック・ホームズ氏は今朝暴漢の襲撃を受け、気の毒にも死にそうなほどの重傷をうけた由、まだ詳報はないが、前夜十二時ごろのことで、場所はリージェント街のカフェ・ロイヤルの前だという。加害者はステッキを持った二人組の男で、ホームズ氏は頭部と体を強打され、医師の言によれば負傷の程度は容易ならぬ由。すぐにチャリング・クロス病院へ担ぎこんだが、本人のたっての希望でべーカー街の自宅へ移された。
(新潮文庫『シャーロック・ホームズの事件簿』)
こちらがCafe Royal
横からの写真です。
2. Criterion Bar – 222 Piccadilly, W1
ワトソン博士がホームズに会うきっかけとなったスタンフォード青年との出会いの場所ということで、重要な場所と言えます。Criterion Barとなっていますが、Criterion劇場横のサイトと思われるところの表にはレストランの表示しかありません。中に、かなり大きなBarがあるらしいのですが、ここでよいのか若干の不安があります。住所的にはこちらでよいと思うのですが。
「緋色の研究」
そのためふところ具合がひどく悪化したので、これじゃロンドンを去ってどこか田舎へでもひっこむか、さもなければ生活様式を根底から改める必要があると気がついた。そこで後者をえらぶことにし、さしあたりホテルをひき払うのを手はじめに、もっと質素でよいから費用のかからぬところへ居を移そうと決心を定めたのである。
この決意ができたばかりの日だった。クライテリオン酒場のまえにつっ立っていると、肩をたたくものがある。ふりかえってみると、聖バーソロミュー病院時代私の下で助手をつとめていたスタンフォード青年である。
(新潮文庫『緋色の研究』)
表にBarの表示はありませんでした。
3. Glasshouse Street – W1
上述のCafe Royalに入った暴漢が裏に出たときに通った道がこのGlasshouse Streetです。小さな通りで特に特徴があるわけではありません。湾曲した通りでPiccadilly CircusとRegent Stをつないでいます。この通りの途中から東へ延びる道に日本食材店や日本の古本屋などがあります。
「高名な依頼人」
加害者は身形いやしからぬ男だったらしく、やじ馬をかきわけてカフェ・ロイヤルへはいり、裏通りのグラスハウス街方面へ逃走した。
(新潮文庫『シャーロック・ホームズの事件簿』)
加害者が逃走した通りです。Cafe Royalの裏手にあたります。
4. Piccadilly – SW1
Piccadillyでのゆかりの地ですが、探すのに非常に迷いました。といいますのは、St. James’s Church, Piccadillyという記載はすぐに見つかるものの、St. James’s Hall, Piccadillyという記載が見あたらないためです。ここでは今もコンサートが開かれていることは間違いなく、そのいくつかの広告にHallという名称が使われていましたので、ここのことではないかと思っているのですが、確信にまでいたっていません。改築のための募金活動が行われていたり、庭ではマーケットが開かれていたりと、見物するには面白い場所だと思います。場所はPiccadilly CircusからPiccadillyに向かって歩いて、Japan Centerをさらに越えた左手にあります。
「赤髪組合」
「午後からセント・ジェームズ会館で、サラサーテの演奏があるんだが、どうだろうワトスン君、患者のほうは君が二、三時間留守にしては、困るだろうかね?」
(新潮文庫『シャーロック・ホームズの冒険』)
こちらがかつてSt. James’s Hall, Piccadillyがあった所に現在あるLe Meridien Piccadillyです。1904年にホテルを建てるためにHallが取り壊されたそうです。
こちらは現存するSt. James’s Church, Piccadillyで、内部でコンサートなどが開かれたりしています。Le Meridienとは通りを挟んで反対側です。
庭ではマーケットが開かれていて衣類や土産物などを売っています。
←その後の調べでHallはChurchの反対側に位置していたことが分かりました。(こちらを参照。家のマークをクリックすると地図が見られます。)
←St. James’s Hall , Piccadillですが、やはり右側にあったそうで、1904年に解体され、今も残るLe Meridien Piccadillyというホテルになったそうです。
5. Regent Street – W1
たくさんのブランドショップなどもあり、観光客にも人気の通りです。特徴はこのカーブでしょうか。バーバリーやアクアスキュータムで買い物をする人でにぎわいます。
ホームページ「The World of Sherlock Holmes」で、このカーブにちなんだ挿絵の反転問題について興味深い議論が展開されています。
「バスカヴィル家の犬」
ホームズは二人との距離が半分くらいに接近するまでは、歩調を早めて歩いたが、それからはいつも同じくらいの間隔をたもって、オックスフォード街からリージェント街へと曲っていった。やがて先にゆく二人は、ある店の前でちょっと止って、飾窓の中をのぞきこんだ。
(新潮文庫『バスカヴィル家の犬』)
「ボヘミアの醜聞」
アイリーンのほうはすこしも見えなかったが、そのうち出てきた男の様子を見ると、さっきよりはいっそう急きこんで、馬車に乗りながら金時計を引きずりだしてみて、『大急ぎでとばしてくれ。リージェント街のグロス・エンド・ハンキー商店をまわって、エッジウェア街の聖モニカ教会までだ。二十分でまわったら半ギニーやる』とどなった。
(新潮文庫『シャーロック・ホームズの冒険』)
ピカデリーサーカスから見たリージェント通り。このカーブが特徴です。
6. Shaftsbury Avenue – W1
シャフツベリーアベニューはPiccadilly Circusから北東に延びる道で、China Townに行くときなどこちらから行くと便利なのでよく使う道です。
「ギリシャ語通訳」
ラティマーは私と向かいあわせに腰をおろして、馬車はチャリング・クロスをぬけてシャフツベリ・アヴェニューのほうへ駆けてゆきます。それからオックスフォード街へ出てきましたので、これではケンジントンヘ行くには遠まわりのはずだと、思いきっていいかけますと、相手があんまり妙な行動をしたので、出かかった言葉もひっこんでしまいました。
(新潮文庫『シャーロック・ホームズの思い出』)
ピカデリーサーカスから見た通りの様子です。
7. St. James’s Square – SW1
Piccadilly Circusからは南西に位置したところで公園を中心としたSquareとなっています。ワトソン博士がホームズに言われて詰め込み勉強をした図書館はSquareの北西に位置しています。
しかし、ホームズも自分の取る行動を説明して、ワトソンに期待する役割を事前に教えてあげていれば、もっと効率的に勉強できて時間稼ぎもできたと思うのですが、やはりワトソンを驚かせたいという趣味があったのでしょうか。
「高名な依頼人」
そのまま表へ出ると、何だってこんな変な命令を遂行しなければならないのだろうと、思案をめぐらしながらべーカー街を歩いていった。あきらめて私はセント・ジェームズ・スクェアにあるロンドン図書館へ馬車を乗りつけ、副司書をしている友人ロマックスに事情をうちあけて、相当な量の参考書を抱えて帰った。
(新潮文庫『シャーロック・ホームズの事件簿』)
Squareの中心の公園の様子
ロンドン図書館
図書館のある一角
8. Theatre Royal, Haymarket – Haymarket Street, SW1
Theatre Royalはいまだ健在です。HaymarketはTrafalger SquareからNational Galleryの前を通って西に少しいったところを右に曲がるとおりになっています。劇場街として有名な通りのようです。
「隠居絵具屋」
その晩は、アンバリー老人、細君を喜ばせようと思って、ヘイマーケット劇場の天井桟敷の切符を二枚買っていた。ところが出がけになって彼女は、頭が痛いから行きたくないといいだした。それで老人は一人で出かけたというのだ。この話に嘘はないらしい。不用になった細君の切符まで出してみせたくらいだからね。
(新潮文庫『シャーロック・ホームズの事件簿』)
こちらがTheatre Royal Haymarketです。
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